120 光
「『何者……!?』的な感じになったときは、『黒の機関。世界の闇を狩る漆黒』とだけ言ってください。意味深な感じを出す方向で」
グランヴァリア王立の一年生、アーヴィスの言葉がモニカはまったく理解できなかった。
この子は一体何を言っているのだろう?
「そんなことして何の意味が――」
「なるほど。いいな」
「いいですね。私もそう思います」
良い。隊長かわいい。
普段のかっこいい寡黙な隊長もいいけれど、そこからの男の子感が最高のギャップ。
このかわいい隊長が見れるなら、秘密結社ごっこもいいかもしれない。
むしろ、積極的に賛同すべきだ。
だって、隊長のかわいいところが近くで見たいから。
戦闘用スーツなるものを装着して、戦場へ走っている間も、モニカの頭にあるのは彼のことだけだった。
(また一緒に戦える)
それはこの王位継承戦の間、ずっと彼女の胸を弾ませていた思い。
その根幹にあるのは準優勝に終わった全国魔術大会の心残りだ。
隊長は誰にも撃破させないと決めていたのに、最後の戦闘にモニカは参加することさえできなかった。
あの場に私がいたら……!
どんなに悔やんでも悔やみきれない。
だから、これはあの日間違えた私のリベンジマッチ。
今度は絶対に隊長を守り抜く。
少し前を走るその背中を横目で見る。
思いだす。
初めて彼を見た日のことを――
初めて見たのは初等学校の頃。
地元では敵なしの天才だったモニカに、先生が見せてくれた映像だった。
同い年のはずなのに、ずっと年上の選手たちを圧倒するその姿にモニカは見とれた。
次の日から、モニカはそれまで以上に真剣に練習に打ち込むようになった。
先生たちは「負けず嫌いな子は伸びる」と褒めてくれたけど、
でも、本当は違う。
そんな純粋な気持ちじゃなくて、もっと不純な動機。
(かっこいい……!)
最初に好きになったのは外見だった。
近づきたいと思って。
がんばってもっと優秀な選手になれば会えるんじゃないかってストーカーみたいなことを考えて。
同じ学校――名門フォイエルバッハ魔術学園中等部に入って。
しかし、それからがさらに厳しい戦いの始まりだった。
(す、好きだってバレたら引かれるかもしれないから、まずは距離を置いて様子を見ることにして、えっと)
オーウェンを意識するあまり、モニカは彼を避け続けた。
話しかけることはおろか、目を合わせることさえできない。
いわゆる――好き避け。
結局、中等部時代三年間同じ学校で過ごして、モニカがオーウェンと話したのは一度だけ。
「箒、どこにあるか知らないか?」
しかも、うまく答えることができず黙り込んでしまって。
高等部に進学したモニカはこの事態を重く受け止めた。
対策を打たなければ、間違いなく同じことの繰り返しになってしまう。
考え抜いた末、モニカが出した結論は魔術の腕を磨くことだった。
オーウェンは戦術眼にも優れ、教師生徒の人望も厚い。
中等部時代同様、間違いなく主将になることだろう。
(だったら、私が副主将になれば自然と話す機会ができる……!)
モニカは懸命に魔術の腕を磨いた。
先輩が引退して副主将になって、それでも普通に話せるようになるまで半年かかったけど。
でも、それからは毎日が本当に幸せだった。
知れば知るほどもっと好きになって。
女子力をアピールしようとして、その圧倒的な女子力の前に何度も返り討ちにあって。
「……男がお菓子作りというのは変じゃないだろうか」
そんな悩みを打ち明けてくれたときは本当にうれしくて。
「変じゃないです! 私はすごく素敵だと思います!」
思わず出ていた本音に息が止まりそうになったモニカに、
「ありがとう。君はやさしいな。いつも感謝している」
そう彼は笑った。
好きだ。
どうしようもなく。
だって、隊長が傍にいるそれだけで、私はこんなにも幸せな気持ちになってしまう。
「もし生き残れたら、伝えたいことがあるんです。いいですか?」
気づいたら、そんな言葉を口にしている。
「ん? 構わないが」
ずっと秘めていたこの気持ち。
伝えたら、隊長はどんな顔をするんだろう?
絶対に生き残らないと。
そうモニカは思った。
廃市街地北側。
ニナ・ローゼンベルデの『空間を裂く王剣』は単騎で崩壊しかけていた戦線を立て直すだけの力があった。
その一閃は、空間ごとすべてを切り裂く。
裂かれて空いた穴は飲み込んだものをすべて無に帰した。
正に攻防一体。
攻撃と同時に、できる空間の裂け目を盾にして、ニナは下級悪魔の群れを押し返す。
さらに戦場で炸裂したのは強烈な爆炎だった。
『炸裂する十一の火花』
吹き飛ぶ下級悪魔の群れ。
黒い外套をはためかせ、仮面騎士が敵前線へ殺到する。
(誰かはわからないけど、ありがたい)
ニナの一閃がさらに精度を増す。
空間を裂くそれの前には、どんなに堅い盾も無力。
下級悪魔の群れがどんなに数で押しても、一人として彼女に近づくことさえできない。
雪崩のような軍勢を一人で押し返すニナの姿に、どこからともなく漏れたのはつぶやき。
「英雄だ。英雄がいる――」
蒼剣をふるい、邪神を倒した建国の英雄。
初代魔導王ジークフリート。
彼らがそこに見たのは、英雄譚からそのまま出てきたかのような一人の勇者だった。
廃市街地中央では内部に侵入した悪魔に対する警戒が行われている。
刻一刻と変化する戦況にあわただしく動き回る魔術師たちの中で、エリスは邪魔にならないよう隅っこに待機していた。
「ごめんね、エインズワースさん。目立ちたいのに」
「いいのです。私は秘密兵器ですからね。最後の最後、正念場の大ピンチで出番が――」
エインズワースは言いかけて、ふと気づいたように続ける。
「あれ……? もし大ピンチがなければ結局目立てないのでは……?」
「うん、目立てないかも」
「そんな……」
がっくりと地面に手を突くエインズワ-ス。
「エリス様に危険が及ばない程度で、でも目立てる程よい大ピンチ来い、程よい大ピンチ来い……!」
「なかなか複雑な注文だね」
神様もきっと困ってしまうんじゃないだろうか。
(でも、エインズワースさんがんばってくれてるし、来てくれるといいな)
そんなエリスの考えは、
「申し訳ありません。自分のことを優先している場合ではないようです」
エインズワースの別人のように真剣な冷たい声に打ち消された。
「え?」
驚くエリスの耳に届いたのは悲鳴。
複数のそれは、明らかに不自然なタイミングで唐突に消える。
その不自然さがぞっとするくらいに不気味だった。
「貴様――!」
攻撃しようとした魔術師二人の身体が白い粉に変わる。
山になって降り積もる。
悠然と現れたのは黒山羊の頭をした男。
「そんな……廃市街地内に侵入を許したという報告はどこからも」
一人の魔術師がふるえた声で言う。
尻餅をついて後ずさる。
「二十七人。いずれも大した相手ではなかったな。卿らにはもう少し期待できると思っていたのだが」
言い終わったときにはもう、塩の山しか残っていない。
「逃げてください。絶対に振り向かないで。私が一秒でも長く時間を稼ぎます」
エインズワースは魔術式を起動する。
『裁断する水蜘蛛』
瞬間、疾駆したのは水流の糸。
音より速く手首と右足を切り飛ばしたその一撃は、しかし致命的なところまでは届かない。
不和の悪魔は笑った。
「終わりだ」
「こちらの台詞です」
声が放たれたときにはもう、それは不和の悪魔のすぐ頭上に浮いている。
切り刻まれた三階建ての廃墟の上階。
石造りの瓦礫は、重力に引かれて不和の悪魔を生き埋めにする。
見た者を塩に変える邪神の邪眼。
その力は光を通して作用しているとエインズワースは考えていた。
つまり、光さえ遮れば攻撃を無力化することができる。
加えて、これだけの量の瓦礫で押しつぶせばいくら邪神の力を手にしているとはいえ、そう簡単には抜け出せない。
しかし、そんな期待はあっけなく崩れ落ちた。
「なるほど。良い狙いだ。卿は優秀らしい」
瓦礫が塩の山に変わる。
粉雪のように降り積もったその中から、不和の悪魔が現れる。
「そんな……」
揺れる瞳が、何より明瞭に勝者と敗者を分けていた。
そして、悪魔は神の言葉を告げる。
『振り向いてはならない』
すべてを塩に変える神の光が降り注いだ。
◇◇◇◇◇◇◇
エリスにとって、今回の王位継承戦は悔しい時間だった。
兄様と一緒に戦いたい。
力になれる自分になりたい。
しかし、そんな気持ちはうまく現実にかみ合ってくれない。
メリアさんは天才と褒めてくれたけど、その力は年齢の割にはという域を超えていなかった。
一線級の魔術師さんたちの中ではとても通用しなくて。
その上、凄腕の魔術師さんたちさえ歯が立たない、邪神の力を持った相手なんて……。
「逃げてください。絶対に振り向かないで。私が一秒でも長く時間を稼ぎます」
エインズワースの言葉に、エリスは唇を噛む。
(守られるばかり。これじゃ、ただ足を引っ張っているだけ……)
役に立ちたいのに。
力になりたいのに。
わたしにできることはないのだろうか。
違う。
あきらめちゃダメだ。
できることはきっと、きっとあるはず……!
外から見たらバカな考えだと笑われるだろう。
子供ができることではないのは明らかで。
しかし、エリスはあきらめない。
あきらめず続ける強さを知っている。
――どんな状況でも絶対にあきらめない誰かにずっと手を引かれていたから。
不意に一つの言葉が頭をよぎった。
『たしかに既存のやり方ではできないかもしれない。でも、できないっていうのは一つの武器です。できないからこそ、他の可能性と向き合える。他の人では見つけられない、ニナ王女にしか使えない魔術がきっとあると僕は思います』
兄が言ったその言葉をエリスは聞いていた。
覚えていた。
通常のやり方ではたどり着けない可能性。
既存のそれとはまったく違う魔術。
みんなが走っているレールの上じゃ追いつけない。
(わたしだけの、まったく違う魔術がきっとあるはず……!)
子供じみた発想だって笑われるかもしれない。
だけど、エリスにはそれを信じる根拠があった。
自分は世界でただ一人、時魔術使いの妹なのだ。
(できる、きっとできる)
思いを込めて魔術式を組み上げる。
メリアさんが教えてくれた六原質の基礎魔術式。
元にして、組み替えて、もっと自由に、好きなように、心が望むように改変して――
組み上がった魔術式を最後に彩ったのは、大好きな兄がくれたものだった。
いっぱいがんばってわたしにくれたプレゼント――色鮮やかな世界。
見えるということ。
――光。
『光を屈折させる魔術』
「……まさか。そんなはずが」
不和の悪魔は目を見開く。
「この土壇場で。そういうところもお兄様譲りということですか」
口角を上げるエインズワースさん。
その声がうれしくて仕方なくて。
わたしにもできたんだ――!
だけど、大好きな兄はこういうとき絶対にかっこつけるから、エリスも真似して兄がよくやる決めポーズと共に言った。
「光さんに曲がってもらう魔術。わたしがエインズワースさんを守ります!」






