113 王位継承戦6
クレイン・ローゼンベルデは山岳地帯の南側、険しい山越えの道を少数で進んでいた。
一流の魔術師でなければ通ることもできない道なき道。
崖そのもののような斜面を、クレインたちは進む。
すべては、山岳地帯北側に布陣した第一王子陣営の背後をつくために。
「気をつけろ、大丈夫か」
「ありがとうございます、クレイン様」
周囲の手助けをしつつも、その足取りに迷いはない。
予定されていた位置についたクレインは、気配を消しつつ戦いが始まるそのときを待つ。
合図は決めていないが、それでも彼には間違いなくわかる確信があった。
(いつも無駄にうるさいバカ兄貴の突撃の余波がここまで届いてこないはずがない)
そしてクレインの予想は現実に変わる。
大地を揺らす轟音。
揺らぐ空気と、その先の景色。
すべてを飲み込みかねないほどの勢いを持った攻勢に対し、しかし第一王子陣営は落ち着いていた。
冷静に、動揺の一つも見せることなく予定されていたのだろう行動を取る。
陣形を見るに、わざと一角を突破させ、中に仕込んだ罠にはめて包囲するつもりらしい。
(辛気くさいくらい静かで性格が悪いクソ兄貴らしい)
成績でもボードゲームでも一度だって勝てなかった。
いつもこっちの狙いの上を行き、一番嫌がることをするクソ兄貴。
しかし、冷たいように見えてなんだかんだ兄妹のことも国のことも憎からず思っていると思っていたのに。
(どうして……どうしてだ、クソ兄貴……)
クレインは思う。
(絶対俺が止める……!!)
そのときだった。
一つの可能性が脳裏をよぎったのは。
いつもこちらの狙いの上を行き、一番嫌がることをするクソ兄貴が、俺の策に気づかないなんてことがあるだろうか。
嫌になるくらい負けてきた俺だからわかる。
そんなこと、絶対にありえない。
「背後だ! 背後に伏兵がいる!」
五体の人形が一斉に跳びかかってくる。
クレインは反応が遅れた仲間を突き飛ばし、魔術を起動した。
『千の氷銃』
瞬間、クレインを取り囲むように現れたのは青白い光を放つボルトアクションライフル。
精緻な機構の一切が氷で作られた無数の氷銃。
放たれた氷の弾丸は、一瞬で人形たちを戦場から消し飛ばす。
「初めて上を行かせてもらったぜ、クソ兄貴」
「問題ありません。それも想定の範囲内です」
現れたのはクレインの想像を超える数の人形を連れたベルクロード。
こめかみで冷や汗が凍りつく。
視線が交錯する。
◇◇◇◇◇◇◇
「にしてもよかったですね、001(ファースト)。無事031(サーティワン)からローゼンベルデを守ることができて」
「いや、まだ安心はできない。結婚の意思がないことはわかったが、いつ矛先が第十七王女に向くか。教団への依頼主もローゼンベルデ王族であることがわかったしな」
「兄妹に暗殺者を放つなんて」
「それだけ王の座には価値があるってことなんだろう」
ドランは言って、三重に施されたドアのロックを解除する。
二人が忍び込んでいるのはアーネンエルベ宮殿の一室だった。
暗殺教団地下大聖堂を調査した結果出てきた、依頼主の名前。
更なる悪事の気配を感じて、二人は第一王子ベルクロードの部屋の調査をしていた。
「世界の闇を見逃すわけにはいかないからな」
「それが黒の機関ですから――あ、モカちゃんからメッセージだ」
「……お前、どうして連絡先を。まさか本当に手を出そうとしてるんじゃ」
「違います! 違いますって! 私は真の愛に目覚めたんです。好きだから、大切に思うからこそ近づかない。美しく咲く花は遠くから見守ることこそ私の進む道なので」
「だったら、なんで連絡先を交換している」
「ココアちゃんから聞かれたんですよ。モカちゃんが連絡先を知りたがってるからって」
「なんで006(シックス)の連絡先を?」
「わかりません。なるべく余計な影響を与えないよう、紳士的に対応して距離を取ろうとしてるんですけど、なぜか連絡の頻度がますます上がってて」
「……妙だな。黒の機関トップクラスのアレな存在である006(シックス)と何故連絡を」
「私もわかりません」
二人は第一王子の私室を隈無く調査する。
出てきたのは第一王子と暗殺教団の関与。そして密かに持ち込み使用したと見られる禁止薬の証拠資料。
「決定的ですね」
「そうだな」
「では、第一王子の悪事を暴いて白日の下にさらしてやりましょう」
「――待て」
ドランは鋭く言った。
「あまりにもスムーズに行きすぎている。証拠資料を隠すにしても、もっと良い隠し場所があるはずだ。こういうのを俺は気に入らない」
「かっこいいですね。何の映画の台詞ですか?」
「昨日見たスパイ映画でな。主人公がアーヴィス氏みたいで本当にかっこよくて」
興奮して語るドラン。勢いの余りバランスを崩して本棚に手を突く。
押し込まれた本。起動する魔術機構。
本棚の裏から現れたのは扉だった。
――隠し部屋。
「映画というのは嘘だ。わかっていたぞ、私は」
「今さら言っても無理ですから。って、マジですか」
慎重に扉を開ける二人。
二十七の魔術トラップを解除してたどり着いたその中には、大量の調査資料が並べられていた。
「何の資料ですか?」
「兄妹全員の動向を事細かに追っていたようだ」
「王位継承戦の準備ですか」
「いや、それとはどうも趣が違う。まるで、何か事件の犯人を探しているような」
ドランは一つの資料に目を落とし、息を呑む。
「『宮殿内に潜む人間でない何者かの影』、『すり替えられた邪神のコア』、『邪神と体を一体化させその力を手にする魔術実験の痕跡』……」
「まさか、悪魔が」
「第一王子は事態に気づき、邪神の力を手にしようとした犯人を探していたんだ」
ドランは言う。
「まずいぞ、悪魔は第一王子の調査に気づいている。このままでは国の存亡に関わる大変な事態に――」
◇◇◇◇◇◇◇
第一王子ベルクロードは人の感情に興味を持たない。
そんなものは山の天気のように、すぐに移り変わるものだと知っているからだ。
誰にどう思われようとさして興味はない。
自分の感情も同様だ。
彼にとって重要なのは現実に起きる事柄を実際的に解決することだけ。
そのために、不要なものは切り捨ててきた――つもりだった。
何者かが宮殿の地下に忍び込み、封印されていた邪神のコアを持ち去った事実。
それに気づいたとき、ベルクロードを突き動かしたのは強烈な感情だった。
(私が王になり、この国を守らなくては)
既に敵は宮殿内に忍び込んでいる。
おそらく敵の手に落ちた勢力も存在するだろう。
ローゼンベルデをこの時期に狙うその目的が王位継承戦にないはずがない。
仲間を増やせば、それだけ寝首をかかれるリスクは増す。
だからベルクロードは自勢力の強化に奔走した。
多額の私財を投じ、選りすぐった優秀な魔術師を集める。
資産のほとんどを失ったがそれで国を守れるのであれば問題ない。
「そういうことでしたら協力しましょう」
それまでとまったく違うベルクロードの姿はフィーネ・シルヴァーストーンさえも口説き落とした。
「意外でした。貴方にそのような感覚があるとは」
「……自分でも驚いています」
「良いと思いますよ。私は嫌いじゃないです」
入手した禁止薬を飲み、魔術戦の選手としてのキャリアを捨てた。
圧倒的な力で、すべてを蹂躙し王位継承戦に勝つ。
後ろ指を指されても構わない。
嫌われても、軽蔑されても構わない。
それでこの国を守れるのであれば――
第三王子クレインについても、その戦い方をベルクロードは熟知している。
評価もしている。
魔術師としての戦闘力はクレインの方が上だろう。
だが、それでも勝つ方法はいくらでもある。
まして、すべてを捨てる覚悟で禁止薬を飲んだ今ならまず負けることはない。
「どうして……どうしてだよ、クソ兄貴……!」
人形に組み伏せられたクレインが、怒りに染まった目でベルクロードを見上げる。
「お前は知る必要が無いことです」
ベルクロードはとどめを刺そうと電撃の針を放つ。
しかし、魔術式が起動することがなかった。
ベルクロードの右腕がなくなっていた。
(――――!?)
動揺するベルクロード。
右腕がない。
肩から先が消失している。
足元でちょうど腕と同じくらいの体積の塩の山が落ちていた。
「人間とは愚かな生き物だと卿は思わないか。必死になって互いのことを思いながら、にもかかわらず疑いあい、傷つけあう。この彼もそうだ。結局最後まで操られているのが自分だとは気づかなかった」
「……まさか、邪神」
「惜しいな。我は不和の悪魔。あのお方の従順なる僕たる六魔将が一つ。人の心に忍び込み、宿主にさえも気づかせず掌握し支配する」
不和の悪魔は閉じた目を開く。
『振り向いてはならない』
瞬間、人形たちの体は一瞬で塩の山に変わって降り積もった。
「邪神の力を手にしたのは事実だがな」
「そん、な……」
「事実だ。我々の前に屈し、跪き、命乞いをしろ。先代の王のように」
「何を言って――」
「我に精神を支配されながら最後まで生きようと必死だった。子供たちに何もしてやれてないと言ってな。愚かな男だったよ」
弟の体が塩の山に変わる。
その上に悠然と立つのは、黒山羊の頭を持つ怪物だった。
足元には、ただ塩の山だけが積もっている。
負けず嫌いでチェスでもカードでも、何度勝っても再戦を挑んできた。
本当はかわいい弟だと思っていた。
言ったことは一度もない。
もう言うこともできない。
感情はいらないとベルクロードは思う。
荒れ狂う激情に身を任せるのは終わってからで良い。
自分がすべきことはただひとつ。
どんな手を使っても目の前の怪物を倒す。
これ以上何も奪われないために。
大切なものを守るために。
『最後の戯曲』
ベルクロードは電気針を自身の肉体に突き刺す。
魔術で肉体を操作し、人間離れした力を引き出すベルクロードの魔術。
体への負担が大きすぎるがゆえ、他者には使わなかった『最後の戯曲』を使用する。
体内の複雑な機構を無理矢理操作するこの魔術は、魔術戦用安全装置も正しく機能するかわからない。
構わない、とベルクロードは思う。
後遺症が残っても良い。
二度と立てなくなっても良い。
これが最後になっても良い。
ここでこの怪物を止められるのであれば――!!
『振り向いてはならない』
瞬間、ベルクロードの体が白く染まる。
煙のように広がり、霧散し地に落ちる。
そこには塩の山だけが残っている。
決意も覚悟も意味を成さない圧倒的な力。
ベルクロードという人間はもうどこにもいない。
そこには塩の山だけが残っている。






