107 王位継承戦1
アーネンエルベフィールドは世界最大の魔術戦フィールドだ。
森、荒野、山岳地帯、市街地。
四つのエリアに彩られた広大なフィールドのどこに布陣するかで序盤の戦いやすさは大きく変わってくる。
「でも、地形的に有利な場所はその分強い陣営が取りに来るのではないですか?」
ニナ王女の問いに、メリアさんが答える。
「そうなるわね。だから私たちは、それを取りに行かない。むしろ地形的に不利な場所を利用する。まさか序盤からそんなところにいると思わないから、接敵する可能性が低く抑えられる」
「でも、地形的に不利な場所だともし見つかってしまったら」
「裏を返せば、見つからないよう行動すればいいってこと。ね、妹大好き策士さん」
「王位継承戦では、通信端末の持ち込みが認められています。各陣営傍受されないよう、特別製の機器で暗号通信を行う。周波数と秘密鍵を知っていなければ絶対に傍受できない」
「それがどう関係あるんですか?」
「これが各陣営の周波数と秘密鍵です」
僕はメモをニナ王女に見せる。
ニナ王女は驚いた様子で目を見開いた。
「これ絶対に他陣営に知られてはいけない機密情報ですよね。どうやって、こんなの」
「こういうの得意な知り合いがいるんですよ」
本当は、宮殿に忍び込んで自分で盗み取ってきたんだけど。
「つまり、僕らは各陣営の動きを把握しながら行動できるわけですよ」
「すごいです、師匠」
「ふっふっふ。それほどでもないよ、我が弟子よ」
今のところ各陣営の動きは想定通り。
それぞれの作戦と開始時に布陣する位置も完璧に把握してある。
「兄様、わたしがんばるから」
僕を見上げるエリス。
がんばらなくてもいいんだよ? と思う部分もあるけれど、それはきっと今伝えるべき事じゃない。
「うん、頼りにしてる」
そう伝えると、エリスは瞳を輝かせてうなずいた。
「見ていてください、アーヴィス様! 絶対に……絶対に目立ってみせますので……!」
張り切るエインズワースさん。
「始まりますね」
真剣な目でフィールドの先を見つめるニナ王女。
王位継承戦の幕が上がる。
そして始まった王位継承戦。
その進行は穏やかなものだった。
バトルロイヤルにおける一つのセオリーは、戦いの回数を減らすこと。
戦いを避け、敵同士が潰し合ってくれるのを待つ方がリスクもなく効率も良い。
必然的に各陣営の動きは、周辺に位置する他陣営の動きを探ることに集中するようになった。
『こちら斥候班。市街地北側に敵発見。第十一王子陣営です』
『山上の高地は第一王子陣営が取ったようですね。各チーム第一王子陣営との接敵を避けた結果、無傷で好位置を確保したようです』
『第八王子陣営が第三王子陣営と交戦! しかし、互いに踏み込んで戦う意図はありません。牽制が続いています』
情報は傍受してる僕のところに勝手に集まってくる。
僕は用意した地図に各陣営の配置を書いていく。
「第十四王子陣営が近づいてきます。発見されないよう、森の西側に移動しましょう」
各陣営の動きを把握しながら、先手を打って移動する。
「すごいです、各陣営の動きがわかっているだけで、こんなに有利に戦いを進められるなんて」
感心した様子で言うニナ王女。
「情報は戦いにおいて最も重要なものだからね。騎士の国の軍神もそう言ってるから。レリア、おかわり」
「はい、姉様」
カップの紅茶を飲んで言うメリアさん。
僕は手元の端末で時間を確認する。
よし、そろそろ行動を開始していい頃かな。
「ルナ王女、ポイントG7に移動してください。予定通り作戦を開始します」
『……移動します』
指示を送ってから僕はみんなに向き直って言う。
「それでは、作戦を始めましょう。目標は第十王子です」
◇◇◇◇◇◇◇
森に布陣した第十王子、マティウス・ローゼンベルデは自身のコンディションにたしかな手応えを感じていた。
「良い。実に調子が良いぞ、爺」
「何よりです、マティウス様」
頬を緩める老執事。
調整がうまくいったのもあるが、それ以上に大きい何かの影響をマティウスは感じていた。
「まさかここまで違うとは」
「裏社会に伝わる禁止薬の中でも最も作用の強いもののようですから。なんでも、彼の暗殺教団でも使われているとか」
「負ける気がせぬ。勝てる……今の俺なら、ヴィルヘルム兄にも勝てるぞ……!」
「もちろんでございます。マティウス様こそ魔導王に最もふさわしいお方。亡きお父上もそれを望んでおられるはずです」
「俺は、王になる」
決意を込めて言ったマティウスの耳に届いたのは斥候班からの報告だった。
『マティウス様、ルナ様の陣営が森の北側を進行中。我々の背後を取ろうとしているようですが』
「ほう」
その報告はマティウスにとって意外なものだった。
第十六王女、ルナ・ローゼンベルデは兄妹の中では目立たない存在だったからだ。
才能がないわけではない。
一般社会で天才と呼ばれるだけのものはある。
しかし、ローゼンベルデ家では別だ。
その程度の才能はこの一族において才能とさえ認識されない。
(俺を取りに来るとは。兄妹の中でも評価が高い俺を倒すことで一気に名を上げようという魂胆か。面白い)
「迎撃する。腕試しにはちょうど良い。蹂躙するぞ」
「はい、マティウス様!」
「愚妹如きが戦っていい相手ではないことを教えてやる」
動きだすマティウス陣営。
その動きは効率的で一切の無駄がない。
磨き上げられた連携は、所属するクラブチームで鍛えられたものだ。
ローゼンベルデ一部リーグの上位チーム。
全員が気心知れた相手。
互いにその長所と短所、息の合わせ方を知り尽くしている。
加えて、彼らは普段以上の固い結束でこの王位継承戦に臨んでいた。
それは――秘密。
試合前に全員で飲んだ禁止薬だ。
もし飲んだことが発覚すれば、重い処分は避けられない。
永久追放――選手として二度とプレーが許されない可能性さえある。
しかし、彼らはそれを飲んだ。
世界最高の選手フィーネ・シルヴァーストーンや、ローゼンベルデ最強のヴィルヘルム・ローゼンベルデ等強者が揃う王位継承戦で躍進し、自分たちの価値を上げるために。
ルナ陣営の選手についても彼らはよく知っている。
リーグ下位のチームに所属し、昨季降格を何とか免れた彼らが、格下であることをはっきり認識している。
今の自分たちが負ける相手ではない。
そして、実際に戦いは彼らの想定通り進んだ。
奇襲を狙ったルナ陣営の動きを、マティウスは完璧に察知している。
均衡が崩れるまでに時間はかからなかった。
(驕ったな。身の程だけは知っている妹だと思っていたのだが)
「狩りの時間だ。一匹たりとも逃がすな」
前進するマティウス陣営。
強烈な魔術砲火が視界の左側を埋め尽くしたのはそのときだった。
「伏兵です! ニナ王女陣営! ニナ王女陣営が強襲を!」
「何――!?」
それはまったく予想外の事態だった。
「何故他の陣営がこんなに近くにいる! 斥候は何をしていた!」
「申し訳ありません! 小まめに連絡を取り合いたしかに警戒していたはずなのですが」
「もういい! 俺が何とかする」
奇襲をかけてきたニナ陣営とルナ陣営が繋がっている可能性にマティウスは気づいている。
兄妹の中でも特にニナのことを嫌っていたはずのルナがどうしてという気持ちはあるが、そこを逆に利用しようと考えたのかもしれない。
しかし、にしても組む相手が悪いと言わざるを得ない。
ニナ陣営は急造で人数さえ足りていない。それもアイオライト王国の魔術学生を中心に組まれた半人前の集まりだ。
王位継承戦を戦うにはあまりにも力が足りなすぎる。
そう思っていたマティウスは――
『六炎殺地獄』
瞬間、視界を埋め尽くした業火に思わず息を呑んだ。
(オーウェン・キングズベリー……!)
その名前はマティウスも知っている。
練習生として参加した合宿でバイレルン・ミューレンの三選手を撃破し、契約を勝ち取った世界的にも知られる若手有望株。
(まさか十八歳でここまで)
マティウスを驚かせたのはそれだけではない。
ゼリーのように切断される森の木々。
水流の糸は触れたものを躊躇なく、無慈悲に切り刻んでいく。
それはマティウスの見たことが無い魔術だった。
何が起きているのかはわからない。
しかし、それが一線級の魔術師による最高練度の魔術であることは一目でわかった。
「壁だ! 壁を作れ!」
未知の攻撃をなんとか食い止めるマティウスたち。
(水魔術の糸。なんという威力――!)
これほどの力を持つ魔術師がいるとは。
しかし、種さえわかってしまえば対応は十分できる。
「大体わかった。反撃を開始するぞ」
言ったマティウスに、隣にいた老執事が言った。
「申し訳ありません、マティウス様。少し調子が悪く……」
「爺、どうした?」
「それが、先ほどからお腹の調子が」
「腹の調子だと……!」
こんなときに何を言っているのか。
怒鳴りつけようとしたマティウスは周囲の光景に気づいてはっとする。
皆、額に汗を浮かせ苦悶の表情でふるえている。
(一体何が……)
そして、それはマティウスにも訪れた。
突如襲い来る強烈な腹痛と便意。マティウスは思わずうずくまる。
(バカな、どうしてこんなときに……!)
マティウスは顔をひきつらせながら、なんとか敵集団に目を向ける。
目が合ったのは奥にいた少年だった。
口角を上げ、悪い笑みを浮かべたその姿にマティウスの背筋は凍る。
(まさか、はめられた……!?)






