105 魔導国の影2
闇の中。
ある一室に集うは十三の影。
十三階段。
世界の影で暗躍する暗殺者集団――暗殺教団。
その頂点に君臨する凄腕たち。
「アーネンエルベ宮殿に怪物が潜んでいる可能性がある」
スコーピオンからもたらされた報告は衝撃的なものだった。
第十七王女、ニナ・ローゼンベルデが住む壁に囲われた洋館。
護衛はいないはずのそこに張り巡らされた、超高精度の魔術トラップ。
そして、スコーピオンが放った必殺の一撃を未知の方法でかわした謎の黒仮面。
スコーピオンの腕については組織の誰もが認めている。五歳で初仕事をこなしてから、一度のミスも犯すことなく最年少で十三階段の一員となった。
そのスコーピオンが、標的の暗殺をあきらめ即座に撤退を選択したという。
「その黒仮面を見たのは一瞬のことだったのだろう。何をもって、それほどの強者と言い切る」
「見ればわかる」
「だが、同行したナイトホークはそこまでの凄みは感じなかったと話していたが」
「力量不足だ。腕があるなら同様の判断をする。逃げ切れたのもやつが俺を見逃したから。やつはいつでも俺をやれた。ただしなかっただけだ」
その言葉に、集った影は息を呑む。
スコーピオンにそこまで言わせる相手とは。
「信じられん……」
「事実だ。認めなければ間違いなくやられる。断言できる」
「それで、お前はどう行動するべきだと考える」
「一切の作戦行動をやめ、潜む。情報を集めることに専念する」
「バカバカしい」
言ったのは十三階段の五段目――スパイダーだった。
「そんな怪物いるわけがねえ。お前は単に自分の失態を正当化したいだけだ。初めての失態をなんとか隠そうと必死になっている。見え透いてんだよ」
「そう思いたいなら思うが良い。直にわかる」
「やめよ、二人とも」
齢七十にして、なお組織最強の暗殺者と評される長老。
十三階段の一段目、ファントムが言う。
「その者の力量について、スコーピオンが過大評価している可能性は否定できん。が、今この状況で我々が把握できていない何者かが宮殿に潜んでいるのは事実。状況が見えてくるまで一切の作戦行動を禁ずる。良いな」
その決定にスパイダーは納得することができなかった。
事実は明白。スコーピオンがミスをした、それだけのことだ。
なのに、何故俺の行動まで制限されなければならないのか。
(あいつは昔からそうだ。腕があるように見せるのがうまいだけ。実際の腕は俺の方がある。なのに、何故みんなそれがわからない)
スパイダーはスコーピオンのことが昔から嫌いだった。
自身の持つ最年少記録をすべて更新し、今や現在の地位まで脅かそうとする邪魔な才能。
(やっとやつが尻尾を見せたんだ。間違いなくヘマをしたに違いねえ。残念だったな。俺だけはお前の嘘に騙されねえぞ)
その夜、スパイダーは親しい腕利きの仲間二人を呼んだ。
「出るぞ」
「しかし、ファントム様から作戦行動を禁ずるとのご指示が」
「大事なのは結果だ。結果さえ出せば何をしようが認められるのがうちの組織。そうだろ」
「それはそうですがしかし」
「さえずるのをやめろ。殺されてえか」
瞬間、二人の男の身体は無数の糸で覆われている。
特殊な魔術繊維により作られた糸は、少しの摩擦で簡単に人間の身体を切断する。
「……わかりました。スパイダー様に従います」
「それでいい」
スパイダーは闇に溶ける。
目指すは壁に囲われた洋館。
(絶対に俺がやつの失態を暴いてやる)
目的の場所に到着したスパイダーは、壁の縁から囲われた洋館を見下ろす。
張り巡らされた水魔術は、たしかにスコーピオンがミスを犯すのもうなずけるだけのものだった。
(なるほど。相当の手練れがいることは間違いねえ)
厳しい戦いになる。
もしかすると、命さえ取られかねない。
しかしリスクは承知だ。スコーピオンがヘマをし、逃げ帰るだけの相手。
簡単にどうこうできるとは思っていない。
スパイダーは覚悟を決める。
庭に飛び降りようとしたそのときだった。
液体窒素を流し込まれたかのような悪寒が、背筋にはしったのは。
(何かが……いる?)
肉眼では捉えられない。
視界には映らない。
しかし、磨き上げてきた感覚がスパイダーにその敵のことを伝えている。
「どうされました、スパイダー様」
「どうもしていない。そのまま待機してろ」
同行している二人では戦力にならない。
この状況で、スパイダーは敵に対する警戒度を最大に上げている。
(たしかに、こいつは底知れねえ……!)
スコーピオンが引いたのもうなずけた。
現実に彼の感覚も今、脇目も振らず撤退しろと声高に叫んでいる。
今対峙しているのは、自身の理解を超えた相手だ。
しかし、同時に希望もあった。
動きに素人くささが残っている。かなりの強者であることは間違いないが、実戦経験の乏しさが伺えた。
(こいつなら勝てる。俺なら殺せる)
スパイダーは息を止める。
意識を集中し、背後から近づいてくるそれに跳びかかるタイミングをうかがう。
そして、そのときは唐突に訪れた。
(そこだ――!)
スパイダーは壁を蹴り、近づいてきた見えない敵に疾駆する。
瞬きの間に勝負は決していた。
「終わりだ。動かない方がいい。輪切りになりたくないならな」
スパイダーの糸は、見えない敵を完璧に捉えていた。
逃げだそうともがけば、敵の体は積み木が崩れるようにバラバラになることだろう。
「答えろ。お前は何者だ」
「なぜ答えなければならないのです」
返ってきたのは冷ややかな女の声だった。
こんな状況にもかかわらず、感情のない声に動揺の色はない。
「状況がわかってねえのか。いつでもお前を殺せるんだぞ」
「わかってないのは貴方の方です。貴方にわたしは殺せない。そして答えるべきなのも貴方の方です。貴方はわたしの神に背く者ですか?」
「神……?」
何らかの宗教に関係する者か?
姿が見えない女は、神託を受けた預言者のように言った。
「ドラ×アヴィ。それは神がこの世に送りたもうた祝福」
「ドラアヴィ……?」
聞いたことがない言葉だが、そこに何か重要な意味があるのはスパイダーにもわかった。
「答えろ。ドラアヴィとは何だ」
「質問しているのはわたしの方です。神にあだなす者なのか。そうわたしは聞いている」
「黙れ。わからねえならわからせてやる」
スパイダーは右手を引く。
糸を張る無骨な手袋。
幼い頃から磨き上げてきた、師譲りの必殺武器。
刃より鋭利な特別製魔術繊維は彼女の右手首から先を一瞬で切断する――はずだった。
(……!? 切れ、ない……!?)
「だから言っているでしょう。貴方にわたしは殺せない」
さらにスパイダーを動揺させたのは、周囲を取り囲む何者かの気配だった。
五人、十人……いやもっといる。
姿が見えない何者かは、スパイダーたちを取り囲み近づいてくる。
(こいつら、一体何者……!)
スパイダーは自らの失策を悟った。
スコーピオンは正しかった。
この者達は自分たちの想像のはるか上に位置する存在だ。
スパイダーは、森に飛び込む。
包囲の穴を突き、見えない怪物たちから逃げようと疾駆する。
しかし、怪物たちの動きは速かった。
禁止薬物で人間の限界を超えた身体能力を獲得しているスパイダーよりも彼らはさらに速い。
背後から聞こえる仲間二人の悲鳴。
細かい動きなら分はあるが、しかし自分でもこの広い森を逃げ切ることはできないだろう。
(せめて情報だけ……! 得た情報だけ皆に知らせなければ……!)
決死の思いで逃げつつ、スパイダーは教団の構成員のみが持つ特殊な通信機器で暗号通信を送る。
「こちらスパイダー。失敗した。俺は生きて帰れない。奴らは化物だ。いいか、絶対に手を出すな。一つだけ、掴んだ敵の情報を送る」
スパイダーは敵の正体につながるメッセージを口にする。
「――――」
その言葉は、任務に失敗し行方不明となったスパイダーが発信した、最後のメッセージとして教団幹部に届いた。
「スパイダーがやられた……?」
「まさか、スパイダー様が……」
その事実が教団内に与えた衝撃は大きかった。
「アーネンエルベ宮殿に潜む影はそれほどまで強いということか」
「スコーピオンは正しかったということになるな」
暗号通信によるメッセージを残して連絡が途絶えたスパイダー。
彼が最後に残した言葉は、潜む影につながる手がかり――最重要の情報として受け止められた。
「この単語は一体何だ?」
「わかりません。情報部門総出で文献を当たっているのですが、調査は難航しています」
「おそらく、古代ルルイエ語で光を意味する言葉に関係すると思われるのですが、それ以上は――」
『ドラアヴィ』
懸命の調査にもかかわらず、教団情報部門はその謎のメッセージの意味を今日も解読できずにいる。






