103 秘密
アーヴィスがローゼンベルデに出発して数日後、シトレーに与えられた指令は想像を絶するものだった。
「わたしたちはこれから正義のためにローゼンベルデへ侵攻します。信仰を侵す邪悪な存在から、我々の神を守るために」
黒いローブの少女は感情の無い声で言った。
「不在の間、わたしたちが教室にいたよう認識の操作をお願いします」
Fクラス三十八人全員がいたように見せかける認識の操作。
(あいつら絶対バカだ。とんでもねえバカだ)
とはいえ、シトレーにとって数は問題ではない。
操作するのはあくまで、観測する人間の認識だからだ。
だからあきれつつもシトレーは031(サーティワン)の依頼にうなずいた。
もちろん難易度は上がるが、自分なら誰に悟られることもなくできるだろう。
自らの技能に絶対的な自信を持っていたシトレーだったが、思わぬ障害が目の前に現れていた。
「ねえ、アーヴィス。よかったらお昼一緒に食べたいと思うんだけどどうかな?」
レオン・フィオルダート。
Aクラスで級長を務める彼のことはシトレーも把握している。
クラス対抗戦でアーヴィスと仲良くなり、全国魔術大会では共に戦った友人の一人。
しかしそんな彼は今、たしかな脅威としてシトレーの前に立ち塞がっていた。
「どうして? 何か用でもあるの?」
「用というわけではないけどさ。アーヴィスと話がしたいというか」
「…………」
妙に話しかけてくるのである。
特に用事もないのに、ただ話がしたいのだ、と。
その頻度が、アーヴィスに聞いた夏休み前の彼より明らかに増えている。
(こいつ、まさかあたしの認識操作に気づいて……!)
いや、落ち着け。
シトレーは不安を振り払う。
認識操作を突破するのは簡単にできることじゃない。
もし何らかの違和感に気づいていたとしても、それを確信に変えるにはさらなる根拠を積み重ねる必要がある。
(あたしはプロだ。素人相手にボロなんて出してたまるか)
「ねえ、アーヴィス。ボクらって友達だよね?」
「…………!」
レオンの問いに、シトレーは確信する。
やはり、こいつはあたしがアーヴィスではない何者かである可能性に気づいている。
シトレーは意識してレオンの警戒を解こうと言葉を選ぶ。
「当たり前だろ。大切な友達だって思ってるよ」
「そっか。よかった。えへへ」
レオンは頬を緩める。
好感触。
選択肢としては正解だったはずだ。
「アーヴィス。今日放課後遊びに行かないかな。一緒にどこか行きたいなって思うんだけど」
思わず息を呑んだ。
(こいつ……! 仕掛けてきた。間違いない。あたしの正体を見極めようと……!)
逃げるわけにはいかない。
誰の助けも借りず、この能力一つでここまで生きてきたのだ。
それはシトレーのプライドが許さない。
「わかった。いいよ。行こう」
「ほんとかい! うれしいな。楽しみにしてるよ」
無邪気な笑みには、何の裏側も見て取れない。
まるで心から自分といられることを喜んでいるみたいに見える。
(ただものじゃねえ……!)
シトレーは警戒を深める。
(あたしが、あのバカ連中を守ってやんねえと)
誰も気づかないところで、戦いは人知れず行われている。
◇◇◇◇◇◇◇
フィオナ・リートにとって、その誘いは心を揺さぶられずにはいられないものだった。
のしかかる重圧と、一向に出ない結果。
届かないことをどこかで悟っていた幼い頃からの夢。
潰れそうになっていたフィオナを支えてくれた男の子。
誰にも言えない弱音を聞いてくれて、励ましてくれて。
その上、卓越した戦略と個人能力でチームを優勝に導き、フィオナの夢を叶えてくれた。
フィオナからすると、その存在は助けてくれたヒーローに他ならなくて。
一年生の男子なんてそういう対象には見えないと思っていたフィオナだけど、いつの間にかその気持ちは違うものに変わっていた。
『君が、リナリーさんと付き合ってなかったらよかったのにな』
打ち上げの日、こぼれ落ちた言葉は紛れもなく本音で。
この気持ちは伝えてはいけないものだと知っていて。
そんなある日のことだった。
同じ世代別代表選手で友人のメリアに、王位継承戦に出ないかと誘われたのは。
ローゼンベルデの一部リーグで活躍する選手と戦える。
選手として、これ以上ないチャンス。
だけど、出場をためらったのは彼の存在があったからだ。
(アーヴィスくんが中心なんだ)
出れば全国魔術大会のときみたいに、また同じ空間で過ごすことができる。
でも、それは許されないことだ。
彼はリナリー王女と付き合っていて――だから、この思いは絶対に許されることじゃない。
迷っていたフィオナの背中を押してくれたのは、慕ってくれる後輩の言葉だった。
「フィオ先輩、絶対行くべきです。じゃないと、きっと後悔しますから」
それから、共に戦った同級生二人――デニスくんと、グロージャンくんの言葉。
「俺はフィオナに挑戦してほしいな。フィオナは俺たちの学年の代表だからさ」
「行って、俺たちの分もあいつに借りた分を返してやってくれよ」
ローゼンベルデの王位継承戦に誘われてると伝えると、両親もすごく喜んでくれた。
父なんて、遂にそんなところまでってうれしさのあまり涙目で。
だから、私が出るのは彼と一緒に過ごせるからじゃない。
違う。これはダメなことだから。絶対に違う。
自分に言い聞かせて、アーネンエルベ宮殿を訪れる。
あらかじめ話を通してくれていたらしい警備員さんに案内されて、洋館の門をくぐる。
「ごきげんよう、フィオナさん。来てくれてうれしいわ」
「こっちこそ。誘ってくれてありがとう」
出迎えてくれたのは誘ってくれた張本人、メリア・エヴァンゲリスタ。
「どうもローゼンベルデの人たちって私たちを下に見てるところあるみたいなの。魔術はうちの国より遅れてるから、みたいな。私そういうえらぶってるのが一番嫌いなのよ、フォイエルバッハもそうだけど」
「変わってないみたいで安心した」
「一緒にぶっ飛ばしてやりましょう」
「うん、がんばろう」
そのときだった。後ろから足音が聞こえてくる。
息を切らせて入ってきたのは、フォイエルバッハ魔術学園副隊長モニカ・スタインバーグ。
瞬間、メリアの瞳が光った。
「あら、随分急いできたみたいねモニカさん」
「別に普通です。それより隊長はどこですか」
「まだ着いてないわよ。そろそろ着く頃だとは思うんだけど」
「え? でも、既に来ててレリアさんと良い感じだって」
「嘘よ」
「殴り飛ばしますよ」
「やだ、怖い。ねえ、ちょうどよく着いた隊長さん。あなたのところの副隊長さんが怖いんだけど」
「へ? 隊長!?」
門をくぐって姿を見せたオーウェンに、声を上ずらせるモニカ。
「こ、これは誤解で! 冗談、そう冗談です! 私も、別に本気で殴り飛ばそうとしているわけではなくて、あくまで仲がいいからできる強めの冗談と言いますか」
「すまない。今ひとつ事情が飲み込めてないんだが」
首をかしげるオーウェンの姿に、フィオナはくすりと微笑む。
そのときだった。
彼が、庭の奥から姿を見せたのは。
近づいてくるのはわかっていて。
だけどなかなか視線を向けられなかった。
久しぶりに話せるってうれしくなっている。
目を合わせたらそんな気持ちも気づかれてしまいそうで。
あくまで、私は仲の良い先輩。先輩だから。
自分に言い聞かせてから、フィオナは今気づいたみたいな顔で彼に振り向く。
「久しぶり、アーヴィスくん」
「お久しぶりです、フィオナ先輩」
久しぶりに見た彼の姿は、前よりも少しだけ大人びて見えた。






