102 旅
待ち合わせは朝の六時半。
改札前で友人の姿を探していたリナリーは、ベンチで雑誌を読むその姿を見て首をかしげた。
「……荷物多くない?」
ちょこんと座るイヴの隣には、キャスター付きの大きなボストンバッグが二つ並んでいる。
「そう? 必要なものを詰めてたらこうなった」
「イヴが持っていきたいならいいけど」
見るからにパンパンのバッグに、何が入ってるんだろうと思いつつリナリーは言う。
「何読んでたの?」
イヴは仕舞おうとしていた雑誌の表紙をリナリーに見せた。
「『ローゼンベルデを五億倍楽しむための本』」
「なるほど、旅行ガイド」
「とても良い本だった。他に、『ローゼンベルデ王都食べ歩きマップ』、『史跡と名所を巡る旅――ローゼンベルデ編』、『大人かわいい女子旅のススメ。ローゼンベルデを歩く』もある」
「そんな大きい雑誌を四冊も……」
「昨日の夜、眠れなかったからその分予習をしてきた。今の私はローゼンベルデマスター。任せて」
自信に満ちた顔で言うイヴ。
「でも、学校休んで旅行に行くのご両親は許してくれたの?」
「学校の勉強よりイヴにはそういうことの方が必要だってお母様が」
「素敵な人ね」
「わたしもそう思う」
「お父さんは何も言わなかったの?」
「今お父様は発言権ないから」
「また何かしたの?」
「………………聞く?」
「ごめん、聞かなかったことにするわ」
相変わらずいろいろありそうなヴァレンシュタイン家の家庭事情だった。
「それじゃ、行きましょうか」
「うん」
イヴは雑誌を仕舞おうとボストンバッグのファスナーを開ける。
瞬間、パンパンのバッグは爆発して開いたファスナーから中身があふれ出した。
トランプ、オセロ、チェス、バックギャモン……他にもカードゲームやボードゲームがいっぱい。
あわてて鞄と格闘するイヴにリナリーは言う。
「どうしてゲームがこんなに?」
「あった方が楽しいと思って」
どうりで荷物が多いわけだと思う。
「入らないなら持つわよ。私まだ余裕あるし」
「かたじけない」
「かたじけないって」
古風な言葉使いにくすりと笑いつつ、リナリーはボードゲームを自分の鞄に仕舞う。
(楽しみにしてくれてたんだ)
そう思うとうれしくなった。
アーヴィスくんのことで頭がいっぱいだったけど、イヴとの旅を良いものにすることも忘れないようにしないと。
「鞄、整理できた?」
「うん、大丈夫」
「よし、行きましょ」
「まずは朝食。この駅のパンはおいしいってお母様が」
「いいわね。それは買わなきゃ」
「おすすめはアイスクリームパイ。さくさくのパイ生地と、とろりと溶けたアイスのハーモニーが絶品だと話題で――」
二人は言葉を交わしながら、駅の奥へ歩いて行く。
そして始まった旅は、幼い頃から魔術漬けだった二人にとって、経験したことがないくらい楽しい時間だった。
二人で絶品アイスクリームパイを食べ、あまりのおいしさに引き返して買いに行っておかわりした。
並んで座って列車を待ったり、違う列車に乗ってあわてて引き返したり。
揺れる列車の中でトランプやボードゲームをして遊んだり。
地頭が良く成績優秀な二人なので、ただの遊びだったはずなのに変にレベル高い争いが始まったり。
「クイーンをd7。ビショップは取らせてもらうわ。さあ、追い詰めたわよイヴ」
「残念だけど、それは読み筋。十七手詰め。残念だけどわたしの方が一手速い」
「そんな手が……」
「ふふふふ。これがスーパー名探偵兼グランドマスターであるわたしの実力」
「もう一回! もう一回やりましょ!」
「構わない。グランドマスターのわたしは何度でも相手になる」
「次は絶対に勝つ!」
勝負が白熱して、うっかり乗り過ごしそうになりながら、二人はローゼンベルデに降り立つ。
「リナリー、リナリー。あれかわいい」
「この地域で人気のマスコットみたいね」
「グッズ買おうと思う。これとこれとこれと」
「そんなに買って大丈夫?」
「お母様がこっそりお小遣いくれたから。大丈夫」
ヘルメットをかぶった愛らしいクマのマスコットにイヴが夢中になったり、
「お昼は駅近くで一番評判のパスタのお店が良いと思う」
「イヴ。それ逆方向」
「今のはあなたを試しただけ。わかってる。ほんとはこっち」
「いや、そっちも違うけど」
「…………」
ガイド片手に歩くイヴは方向音痴で、リナリーがその都度軌道修正したり、
「このパスタおいしい! 来られてよかった。イヴのおかげ」
「そう? ならよかった」
大満足なお昼ご飯に弾んだ声で言ったリナリーに、イヴがうれしそうに言ったり。
近くにあった史跡も巡った。
その昔、この辺りは『悪徳の街』と呼ばれていたらしい。
邪悪な神が人々の心を惑わし、享楽的で堕落した生活をさせた。逆らう者はその邪眼で瞬く間に塩の塔に変えられてしまったという。
そんな邪神を倒し、彼らを解放したのが近くにいた魔術師の一団だった。
薔薇の会と呼ばれたそのグループの指導者的立場にいたのが、ジグムント・ローゼンベルデ。
後にローゼンベルデを建国し初代魔導王になった人物なのだそうだ。
「アイオライト王国建国のお話に似てる」
「この辺りの地域では、こういう話多いのよ。そういう化物が実際にいたってことなんだろうけど」
こうして、観光を楽しんだ二人は、遂に目的地であるアーネンエルベ宮殿にたどり着く。
「別の国の王女になんて負けない……! 絶対にアーヴィスくんを振り向かせてみせる……!!」
大きな門と、その向こうに見える巨大な宮殿を見据え、拳を握るリナリーに、
「でも、どうするの? 彼に内緒である以上、正面から入ることはできない」
門を固めるいかにも隙が無さそうな警備員たちを見つめて言うイヴ。
「問題ないわ。ちゃんと準備をしてきたから」
「準備?」
リナリーは鞄を開けてその中身を少しだけイヴに見せる。
そこには二人の黒仮面騎士スーツが入っていた。
「魔術光学迷彩なら、悟られずに侵入することができるでしょ」
「……それは犯罪なのでは?」
「私もアーヴィスくんを見習って、本当に欲しいものに対しては手段を選ばないことに決めたから」
「でも、正義のためでなく私益のために法を破るのはよくないような」
困り顔のイヴ。
しかし、リナリーは彼女を説得する必殺の切り札を持っていた。
「入ることが許されないアーネンエルベ宮殿に入って活動する機関のエージェントってかっこいいと思わない?」
「悪いことしないよう気をつけていれば問題ない。早速突入する」
二人は荷物をコインロッカーに預け、戦闘用スーツに着替える。
「――状況開始」
「待っててアーヴィスくん! 今行くから! お金も渡せるよう準備してきたから!」
「その準備はいらない」
こうして、誰に悟られることもなく二人はアーネンエルベ宮殿に潜入する。






