カレーの使い方
ブラマー伯爵家の馬車がセリカを連れて来てくれたのは、カレーの専門店だった。
大通りから筋を一本、奥に入ったところにある、知る人ぞ知るというような小さなお店だ。
店の前にはダイアナが立って、出迎えてくれていた。
「侯爵夫人、お目にかかれて嬉しいです。昨夜は、家族の者が大変失礼を致しました」
「こんにちは、ダイアナさん。早速のお招き、ありがとうございます。カレーが食べられると聞いて楽しみにしてきたんですよ。昨日のことは、お互い水に流しましょう」
セリカの言葉を聞いて、ダイアナも安心したようだった。
小さな息をつくと、顔に笑みが浮かんできた。
「寛大なお言葉、ありがとうございます。アナベルさん、来てくださって嬉しいわ。カレーを楽しんでね」
ダイアナがアナベルにも声をかけると、アナベルは鷹揚に頷いた。
「私も後でダイアナと話をしたいわ。時間を取ってくださいね」
歳は下だけど、地位的には公爵令嬢のアナベルの方が上になる。
けれどアナベルがディロン伯爵と結婚すれば同等ぐらいになるのかな?
貴族間のバランスをとるのって、難しそう。
店の中は薄暗かったが、案内されたのは個室の明るい部屋だった。
飲み物を持って来てくれた店員さんは、奏子の記憶の中にあるアフリカの人みたいだ。
「セリカ様の目的を考えると、いろいろな辛さのカレー・ルーを味わっていただいた方がいいと思いまして、激辛、中辛、甘めの三種類を頼んでいます」
ダイアナは仕事ができる人のようだ。
段取りがいい。
こういう人と取引が出来るのは、話が早くて助かるね。
「ありがとうございます。後で香辛料の配合も教えていただけるかしら?」
「はい。最後にここのシェフに来てもらいます。どうぞ何でもご質問ください」
出てきたカレーは奏子が記憶しているカレーライスとはだいぶ違っていて、薄い緑色や茶色をしていた。
黄色のルーのものが一つあったが、ココナッツミルクが混ざっているらしく、どちらかというと白色のサラサラした液体だった。
円形の小さな器に色々な種類のルーが入れてあり、皿にのっているナンと言われるパンのようなものにルーをつけたり、長細い形のお米にルーをかけ、スプーンで混ぜて食べるようになっている。
どれも美味しかったが、緑色をしたルーは、食べた後から口の中が刺すように痛くなった。
セリカとダイアナは全部を食べきれなかったが、アナベルは意外にも完食していた。
「失礼しまーす。今日は来てくれてありがとー わたしがコックのスパポーンさんです。よろしくお願いしまーす」
食事が終わると、チャイという、紅茶にミルクがたっぷりと入っているような飲み物を持って、コックが部屋に入ってきた。
セリカはコックに、ターメリックやクミンシードなどの香辛料の配分を聞いたのだが、これはあまり参考にならないなと思っていた。
日本のカレーライスとは全然違うものだったよ。
― カレーは日本で独自の進化を遂げてるからね。
カレーうどんやカレーパンなんかもあるし。
お米も種類が違うしね。
でもナンを見て思いついたんだけど、カレーでピザが出来ないかな?
ダニエルやジュリアン王子にあれだけピザがウケるんだから、カレーピザもいけるかもよ。
― その発想はなかったなぁ。
確かにいい考えかも。
カレーも使い方次第で、色々と料理のバリエーションが広がる素材だね。
その後、セリカはダイアナと食材の仕入れ方法や流通についての話をした。
仕入れる量によっては、ラザフォード侯爵領に外国食材の支店を出してもいいというような景気のいい話も聞けた。
この時はお互いにそれが実現する可能性は薄いと思っていたが、すぐに支店のことを検討する日がやって来るのである。
◇◇◇
ダニエルが馬車を迎えに寄越したので、セリカはこの後、話があるというアナベルとダイアナを店に残し、先に帰らせてもらった。
ホテルに着くと、ダニエルがイライラしてセリカを待っていた。
「遅かったな」
「ごめんなさい、ついつい話がはずんじゃって」
「君は早く帰ると言ってなかったか?」
「そうでしたー そんなに散歩が待ち遠しかったのね、嬉しいな。このまま行きましょ!」
ダニエルの腕を取り、セリカがサッサと歩き出すと、ダニエルは首を振りながらもついてきてくれた。
夏の午後のうだるような暑さの中で、蝉時雨がどこからともなく聞こえていた。
時おり吹いて来る海風が、身体のほてりを冷ましてくれている。
「ダニエル、カレーの新しい使い方を思いついたのよ。美味しい料理を作るから、また味見をしてね」
「君から香辛料の匂いがする……食べたいな」
もう、なんかダニエルが言うと違う意味合いに聞こえちゃう。
― セリカもダニエルに毒されつつあるわね。
セリカは料理の話をしながら、ダニエルと一緒に坂道を下っていった。
海の向こうから、ボ~という船の汽笛が響いてきた。




