公爵家の威信
「ディロン伯爵に聞いたけど、どうもビルが下手なことを言ったらしいわ」
珍しいことにアナベルがセリカの側にやってきて、怒りを含んだ声で教えてくれた。
「ビルって、静かにご飯を食べてた長男の方?」
ブラマー伯爵の第二夫人の息子さんだそうだが、二人ともあまりものを言わなかったので、セリカは大人しい親子だなと思っていた。
アナベルはフンッと鼻をならして、見下げはてたように言った。
「ブラマー伯爵はもっと頭の良い方だと思ってたわ。せっかく公爵家の娘である私が、類稀なる才能を持ったダニエルに見合わせて差し上げたのに、そのチャンスを棒に振るなんてっ。ここの伯爵家が第一夫人のパトリシアと娘のダイアナでもっていると言われているのは本当だったのね。ディロンも予想通り使えないことっ」
おいおい、婚約者まで……
言いたい放題だね、アナベル。
「アナベル、ちょっといいかしら?」
そのダイアナが私たちのところへやって来た。
「申し訳ございません、侯爵夫人。弟が、先日の事件のことを持ち出して、侯爵閣下を不快にさせてしまったそうなんです。今にも席を立たれそうなんですが、私としてはもう少しセリカ様とお話をしたいですわ。外国料理のレストランを経営されるということは、シーカの港を持つブラマー伯爵家とのご縁を繋いで頂けるのではないかと喜んでいたんです」
ふーん、この人は話が旨いわね。
さっきアナベルが言ってたことから考えると、やっぱり女性の方がしっかりしてるみたい。
セリカとしても、今日行った店とは今後とも取引がしたいので、ここの領主とはできたら良好な関係を保っておきたい。
「私、カレーがお好きだと聞いてから、ダイアナさんのことを近しく感じていました。また、場を変えてお話するのもいいかもしれませんね」
セリカが今日はお暇した方が良さそうだと告げると、即座にダイアナは提案してきた。
「それでは、カレーの香辛料の配合のことなどもお話してみたいと思ってますから、また明日にでも連絡させて頂きますね」
香辛料の配合か……やっぱり、旨いなぁ。
セリカがどこに興味を持っているのか、的確につかんでいる。
「ダイアナ、私もその会合に参加させてもらえない?」
隣で聞いていたアナベルが、何を思ったのか参加を表明してきた。
私を目の敵にしていたのにね。
いったいどんな心境の変化があったんだろう?
◇◇◇
翌日セリカが、アナベルと一緒にダイアナに会いに行くことになった伝えると、ダニエルに苦い顔をされた。
「いつからアナベルと仲良くなったんだ? それにブラマーの家の者は、頭が固い。ここまで情勢が変わってきているのに、これからもビショップ公爵の腰ぎんちゃくを続けたいようだ」
ダニエルはブラマー伯爵の昨夜の応対に、だいぶお怒りのようだ。
確かに、最初の質問からしてちょっと失礼だったもんね。
「ダイアナさんがカレーの香辛料の配合を教えてくださるんですって。その会合にアナベルの方が一緒に行きたいと言ってきたのよ。何を考えているのかは知らないけど」
「今日は二人で、港の辺りを散歩したかったんだが」
「わぁ、それは素敵ね! 早く帰って来るから、絶対に行こうね!」
うわー、楽しみ。
― ダニエルの方から誘ってくるなんて、珍しい。
セリカはタンジェントとシータに、ダニエルが指示を出していたことは知らなかった。
どうやらダニエルの中では、ブラマー伯爵家がまだ敵対勢力だと判断されたようだ。
ホテルの玄関で、アナベルと一緒に馬車に乗り込んだ時に、キムではなくシータがセリカに続いて入って来た。
セリカもあれ?と思ったけど、さして気に留めなかった。
気づいたのはアナベルの方だ。
「護衛を乗り込ませるなんて、私は信用されていないようね。無理もないけど。私はあなたが嫌いよ、セリカさん」
「はぁ……知ってます」
何を今更だ。
「でもオリヴィアの事件からこっち、セリカさんに危害を加えようなんていうような酔狂な人間はいないと思うけど。私を含めてね」
嫌味を込めてそう言うと、アナベルはシータを睨んだ。
「シータは任務に就いているだけです。でも、そんなに嫌いな人間となぜ一緒に出かけようなんて思ったんですか?」
「セリカさん、あなたは幸せボケをしていらっしゃるようね。私がなぜ敵側だったディロン伯爵と婚約させられたと思ってるの?」
「動揺している貴族を、一気にジュリアン王子側の勢力に組み込みたいから、かしら?」
セリカの返答にアナベルは、ウッと言葉に詰まった。
「平民のわりに状況は見えているのね」
「はぁ」
「そこまでわかってるのなら、私がこれからしなければいけないこともわかるでしょ?」
「……よくわかりません」
「ダイアナは賢い人よ。昨日の様子を見れば、父親のブラマー伯爵よりも今の政治情勢が見えてるわ。セリカさんに取り入ろうとしているでしょ。この機会に彼女を取り込んでおいた方がいいと思ったの」
「へぇ~ 私は伯爵家の商売のことを考えられてるのかなと思いました」
「……と、とにかく私は、こちらが水を向けて、ダニエルに取り入れるようにして差し上げたのに、台無しにしたブラマー伯爵に対して頭にきてるの。フンッ、でも公爵家の威信にかけても、この南部帯の貴族たちをいずれ取り込んでやるわ!」
……………………。
なんだかアナベルって、変なことに拘ってるのね。
ダニエルや王子様方との結婚がなくなったから、今度は違うところにやりがいを見出してるのかしら?
本人がやる気なんだから、ま、いいか。




