大きな曲がり角
裏庭が見える窓から射し込む春の日差しが、やわらかな黄昏の色を纏い始めた時、ラザフォード侯爵の口から紡がれた言葉に、セリカたち家族は戦慄することになった。
「王命で、セリカと私は結婚することになった」
「「「「「………………………………………………」」」」」
― ちょっとちょっと、セリカっ。妾じゃなかったのぉ?
待って、頭が真っ白。
えっと……なんで平民の私が、侯爵様なんかと結婚するって話になってるの?
「こんなことになって悪いねぇ。それもこれもダニエルが女嫌いだから」
「いや、お前がお喋りだからだろうがっ、クリス……」
「あの……私は、平民ですが」
「わかっている。そのため、ダレニアン伯爵家に一旦養子に入ってもらうことになる。君が避けてきただろう養子の話になってすまないが、王命が発令されていたため、決定が覆らなかった」
「でも、私の魔法量が少ないって……」
「高位貴族は魔法量の維持のために何人もの奥さんを持つことになっている。奥さんの実家の地位と魔法量、この二つのレベルによって第一夫人、第二夫人、第三夫人と順に身分が決まっていくんだ。どちらかというと家の名前より魔法量の方に重きを置かれるがね。しかし君の場合、魔法量も家の地位もない。私は結婚していないので、最初は第一夫人と呼ばれるだろうが、徐々に序列が……下がっていく可能性が高い」
非常に難しい顔をして侯爵様が貴族の結婚制度について話をしてくれた。
「セリカの魔法量が少なくても、子どもに万一の父性遺伝か隔世遺伝が現れるのを王族は期待してるんだよ。ダニエルは女嫌いで、18歳にもなるのにずっと結婚を避けてきたからね」
そのダレニアン卿の言葉で、やっとこの結婚話の背景が見えてきた。
先日、ラザフォード侯爵が内密だと言って話してくれた全国的な魔法量の減少。
王族はこれに危機感を持っているのだろう。
そんな中でいつまでも結婚しようとしない身内のラザフォード侯爵に、再三、身を固めることを促してきたに違いない。
ラザフォード侯爵が女性に婚約指輪を渡したということを聞いて、即座に王命が出るということは、王家も強行策を取らざるを得なくなったということだろう。
でも……なんで、私ぃ?
― セリカがちょうど不味いタイミングで魔法を使っちゃったということね。
本当になんということだろう。
10年以上、魔法が使えることをひた隠しにしてきたのに、こんなことになるなんて……
「しかし結婚と言われましても、私ども平民には荷が重すぎます。どなたか違う方を選んで頂くわけにはいかないんでしょうか?」
母さんが気力を振り絞り、震える声で侯爵に尋ねた。
「トレントさん、すまないが私の力をもってしても王命を排することはできないんだ。それで今後のことも考えてもらうために、出来る限りのこちらの内情を打ち明けさせてもらった」
侯爵もこの結婚話は本意ではないのだろう。
平民との結婚だなんて、苦渋の決断だと思われる。
「まずは秋の結婚式に向けて、セリカにはなるべく早くダレニアン伯爵邸に移ってもらいたい。貴族生活に関する教育を受けなければならないからね。それと同時に、この店のことも考えなければならないだろう。私は二日間しか見ていないが、この店におけるセリカの存在は大きいと感じている。なるべく早く弟さんに結婚してもらって、労働力を確保することを勧める」
「え? 僕は春が終わる5月にならないと15歳にならないんですが……」
「カールと言ったね。僕が春のダンスパーティーで君の嫁さん探しをするのを手伝うよ!」
まだ15歳の成人を迎えていないカールが不安を口にすると、ダレニアン卿が目を輝かせて口を出してきた。
「クリス……おまえは、また面白がって」
「いやぁ、これも罪滅ぼし? 大枠で言うと領主の仕事にも繋がるかも」
「こじつけだ……」
このクリストフ様は、ノリのよい人のようだ。
どこかの誰かと性格が似ている。
ハリー、こういう性格というのは貴族も平民も変わらないみたいね。
セリカがどこか他人ごとのような気持で自分の結婚話について話されているのを聞いていると、隣に座っていた母さんが手を握って来た。
母さんの手が、緊張で冷たくなっている。
母さん、ごめん。
こんなことになってしまって。
一人娘なのに、いずれこの地を離れることが王命で決ってしまった。
弟がこれからもらうお嫁さんが、優しい人だったらいいんだけど。
◇◇◇
ラザフォード侯爵とダレニアン卿が帰っていった後で、ロウソクの光の中、家族会議が始まった。
いつもは楽しく揺れる炎が、今日は不安に瞬いているように見える。
「王命とあれば、仕方がない」
父さんがムスッとして、最初の口火を切った。
「はぁ……そうね。セリカの結婚が決まった夜に、こんな気持ちになるとは思っても見なかった」
母さんもだいぶ落ち込んでいるようだ。
「まさかこの春の内に結婚することになるとはな……」
弟のカールも思わぬ余波を受けて、ため息をついている。
セリカもさっきはあまりの急な展開に何も考えられない状態だったが、あの二人が帰ってから奏子とも話し合い、少しずつ対策を考え始めていた。
「皆、聞いて。侯爵様たちは私の立場が下の下になることを考えて、気の毒がってくれていたけど、私はかえってその方が助かるんじゃないかと思うのよ」
「どういうこと?」
「ラザフォード侯爵は、今までに聞いていた貴族の中では少しは話がわかる人だと思うの」
「そうだな、少なくとも女を襲うような男からお前を守ろうとしてくれた」
父さんはその話が一番、気になっていたようだ。
「侯爵様が第一夫人や第二夫人をもらわれて、私の役目がなくなったら、度々実家に帰ると言ってこっちにいるのが当たり前にしておくの。そうしたら最終的にダレーナに戻ってこられるんじゃないかと思うのよ」
「でもセリカ、子どもが出来たらそんなことは言っていられないだろう?」
母さんが主婦ならではの現実を指摘する。
「でも侯爵様が後にもらわれる奥様が産むお子様方よりも、魔法量が高い子どもができるとは思えないわ。一緒に連れて帰ってこられるんじゃないかしら」
「確かにな。しかし、アネキが魔法を使えるなんて思っても見なかったよ。僕だけ知らなかったなんて、皆ずるいよ」
弟よ。
ずるいとはなんだ。
こんな忌むべき力を授かってしまって、私や母さんはどんなに悩んできたことか。
「とにかく話が決まってしまったからには、その中でいかに生きやすくなるかを考えるべきだと思うの」
カイゼンよねっ、奏子!
― セリカ、それはちょっと違うかも……
落ち込む家族を前に、セリカの頭の中には「プラス発想」「ピンチの中にチャンスあり」「物事には良し悪しはない。それを決めるのは受け止める人の心」などという、長年に渡って奏子から教えられた人生訓が駆け巡っていた。