港の夜景
主要な街道はある程度の整備はされているが、雨が上がったばかりの道はぬかるんでいる所が多い。
旅程の遅れを取り戻すために、休憩を短めにしながら馬車を進めているが、水溜まりができている所はスピードを落としてゆっくりと走っていた。
ところがホルコット子爵領を抜けて、ブラマー伯爵領に入った途端に道が広くなり、王都のように整備された街道が続きだした。
「この辺りは道がいいのね。馬車のスピードが落ちないわ」
「ブラマー伯爵領にはシーカの港があるからね。南の大陸との交易で、経済的に潤っている。ここの伯爵家は一説には王家よりも金を持ってるんじゃないかと言われているほどだ。ディロン伯爵家はブラマー伯爵家の親戚になるんだよ」
ディロン伯爵?
どっかで聞いた名前だね。
― 義妹のアナベルが結婚する人じゃない。
ほら、服屋のアリソンが、ぼんやりしてる人だって言ってた。
ああ、前にオリヴィアと婚約してた人か。
「ディロン伯爵の領地は東部帯だけど、南部帯に近いの?」
「なんだ地理で習わなかったのか?」
「結婚式が早くなったから、領地を全部覚えるとこまでいかなかったのよ。フロイド先生は、パーティとかで出会った人から、地図と照らし合わせて覚えていきなさいって言ってた」
「そうか。それならこの旅行は、地理の実践的な勉強の場になるな。ディロン伯爵の領地は南部帯と隣接している。隣の領地は……」
ゲッ、お勉強が始まっちゃったよ。
― 新婚旅行、なのにね。
ダニエルの頭の中はどうなっているのだろう。
目の前に地図もないのに、次々に領地の名前が出てくる。
コールやキムの口数が少なくなってきたことを考えれば、学院を出た人が全員、記憶力がいいわけではなさそうだ。
「ブラマー伯爵家の主要産業は貿易業だが、観光業にも力を入れている」
「ファジャンシル王国の始まりの港があるからね」
「そうだ。今日はシーカの街に泊まるんだよな、コール」
「ええ、港を見下ろす高台にあるホテルです。海鮮料理で有名なところですよ」
― まぁ、新鮮な海の魚ってずいぶん食べてないわね。
ダレーナでもラザフォード侯爵領でも淡水魚ばかりだったもんね。
海の魚は干物や塩漬けぐらいしか食べたことがないな。
何刻も馬車に揺られていくうちに、街道沿いの家がだんだん多くなり、まるで王領のレイトに行った時みたいに高い建物が増えてきた。すると道の前方に、明るい青い色がチラチラと見え始めてきた。
「ダニエル! あれが海なの?!」
ウトウトしかけていたダニエルが、窓の外を覗いて確認してくれる。
「ああ、そうだ。しかしセリカは元気だな。もう15刻近いだろう」
一日中、馬車に乗っていたのでセリカも疲れてはいた。
けれど初めて海を見る興奮で、目だけは冴えていた。
黄昏をまとった街に、塩っぽい匂いのする海風が吹いている。
なんでかな、なんか懐かしい風景に感じる。
― 私が住んでた町からも海が近かったからね。
そう言えば、おばあちゃんちが漁師町だったな。
遊びに行った時にはお刺身をたくさん食べさせてくれたなぁ。
お刺身か、それは食べてみたいな。
― 醤油やワサビがあるといいね。
うん。
そうだ、ここに調味料を買いに来たんだよ!
― セリカ……新婚旅行に来たんでしょ。
これってダニエルのことを言えないかも。
海にせり出した高台に馬車が登っていくと、眼下に青い海を背景にしたシーカの街の全貌が見えてきた。
沈む夕日を追いかけるように、一つ、また一つと家々の灯が増えていく。
「綺麗~」
― 地上の星ね。
セリカはダレーナの家族のことを思い出した。
今頃は皆でロウソクの光が瞬く中、今日一日あったことを話してるんだろうなー
私のことも少しは思い出してくれてるのかしら。
四階建ての豪奢なホテルの建物が見えてきた。
ガシャガシャンと音を立てて馬車が止まると、寝入りかけていたコールがハッと目を覚まし、起き上がって首を回している。
キムもあくびをこらえながら目をパチパチさせていた。
「着いたようだな」
タンジェントが外からドアを開けてくれたので、ダニエルが一番に長い足を地面に下した。
ダニエルに手を差し出されて、セリカも馬車を降りる。
ずっと座っていたので、足を伸ばして立つと気持ちがいい。
皆も次々に馬車を降り、ホテルから出て来たポーターにコールが荷物をおろすように指示を出した。
そこに意外な人の声が聞こえてきた。
「ダニエル! 遅かったのね」
「……アナベル。どうしてこんな所にいるんだ?」
ダニエルの義妹、エクスムア公爵家の長女であるアナベルだ。
ホテルの玄関から男の人と一緒に、こちらに歩いて来ている。
もしかして隣にいる人って、道々話をしていたディロン伯爵なんだろうか?
背はアナベルより少し高いぐらいで、どちらかというとポッチャリした体型だ。
セリカと目が合うと、会釈をしてきた。
こちらも略式のお辞儀をする。
ダニエルに抱きついて、挨拶をしているアナベルを複雑な思いで眺めながら、ここでの滞在がどんなことになるのだろうかと、少し不安になったセリカだった。




