幸せの華
とうとう結婚式の朝がきた。
小鳥の声で目覚めたセリカは、隣に寝ているダニエルの寝顔をじっと見つめた。
結婚式のために短く整えられた金髪が、カーテンの隙間から忍び込んできた朝日を受けて、艶やかに煌めいている。
あのダレーナの道で出会った時に、春の陽光を浴びて輝いていたこの髪が、すぐ手の届くところにある。
あれから三か月……
長かったようにも、あっという間だったようにも思える変転の日々だった。
一昨日の事件で思い知らされた。
こんなにも自分がダニエルを愛しているということを。
ダレーナの街では、貴族の中で生きていけるのだろうかと不安に思っていたのに、今ではダニエルが隣にいないと不安でたまらない。
変われば変わるもんだよね。
― そうね。
ロマンスにはぜんぜん縁がないと思っていた私たちが、今日は結婚式を挙げるんだよ。
― それもペガサスに乗った王子様とね。
ふふ、ポチに乗った侯爵様だけどね。
「……セリカ」
ダニエルが無意識にセリカの方へ手を伸ばしてくる。
セリカはダニエルの背中をポンポンと叩くと、声をかけた。
「侯爵様、今日は結婚式ですよ。そろそろ起きましょう。朝食を早く食べておかないと、お客様がいらっしゃいます」
「んー……もうちょっと」
セリカに愛してると言ってから、ダニエルはこんな風に甘えることが多くなった。
たぶん今までは、独りで気を張って生きてきたんだろうな。
セリカはダニエルのサラサラした髪をかきあげて、賢そうな額にキスをすると、一人でベッドから抜け出した。
自分の部屋に帰って衣裳部屋へ入り、一人で着ることができる服に素早く着替える。
ウェディングドレスを着る前に食事をしておかなければならない。
今日ばかりはダニエルと一緒に食事ができない。
花嫁というのは忙しいのだ。
部屋を出ると、廊下の向こうからエレナがシャキシャキと歩いてきた。
「良かった、声をおかけしようと思ってたんです」
「おはよう、エレナ。今日はよろしくね」
「おはようございます。奥様、本日はおめでとうございます。朝食を食べたらすぐに髪をつくりますからね」
「お願いします。そういえば薔薇の花はきてるの?」
「もちろん。主人がとびきり綺麗な花を揃えてくれていますよ」
朝食室に行くと、給仕係のアインとマインが並んで迎えてくれた。
「まぁ、今日は二人なのね」
「「おめでとうございます! セリカ様」」
さすがに双子だ。声がピタリと揃っている。
二人の満面の笑顔に、こちらも元気が出てくる。
「ありがとう。今日はお客様が多いけど、よろしくお願いしますね」
「「はいっ!」」
結婚式の日の朝用だということを意識したのか、今朝の朝食は特別仕様になっていた。
おー、ハート型の目玉焼きだ。
これ、どうやって作ったんだろう?
料理人のルーカスやニックが、苦心してハートの形を作ったかと思うと微笑ましい。
◇◇◇
急いで食べた朝食の後は、部屋の鏡台の前に座って、エレナに髪を結ってもらう。
鏡に映っているエレナは、真剣な顔で薔薇やカスミ草を髪にとめていっている。
「ねぇ、エレナもお嫁に行く時に、こうやって誰かに髪を結ってもらったの?」
「ええ。姉やが花嫁仕度をこしらえてくれましたわ。小さい頃から私の世話をしてくれてた人でね。手先が器用だったから、こうやって髪をつくるやり方も教えてもらったんですよ」
「へぇ~」
鏡の中のセリカはいつもとは違う濃い化粧を施されて、よそいきの顔になっている。
朝の新鮮な空気をまとった瑞々しい花々が、そんなセリカの顔を彩っていた。
お化粧が終わり、ウェディングドレスを身につけると、気持ちまでがキュッと引き締まったような気がした。
セリカは結婚式をそんなに重要視していなかったが、やはりこの日は自分にとって大きな節目の日となるようだ。
一人になり、背もたれのない椅子に座らされて、窓の外で囀る小鳥の声を聞いていると、ノックの音がして懐かしい人たちが入って来た。
「母さん! ベッツィーも! 来てくれたのね。遠いところをありがとう」
「まぁまぁ、綺麗に仕上がって。元気そうで良かったよ、セリカ」
母さんは眩しそうな目をして、セリカの花嫁姿を眺めている。
ベッツィーはキョロキョロと部屋を見回して、信じられないと首を振っていた。
「ダレニアン伯爵邸のお部屋もすごかったけど、ここはまた宮殿みたいなところね」
「そーなのよ。私も最初にここに来た時はびっくりしちゃって腰が抜けそうだったわ」
「あの外で走り回っていたセリカが、こんな大きなお屋敷の奥様になるなんてねぇ」
母さんは、ここのお城みたいな建物を見て父さんたちも驚いていたよと教えてくれた。
父さんとカールは一階の控室にいるらしく、そこには招待客が続々と到着しているそうだ。
「貴族の中で居場所がないんじゃないかと思って心配してたんだけど、ダレニアン伯爵家の皆さんが気を使ってくださってね。どなたかが側にいるようにしてくださってるんだよ。後でお礼を言っといておくれ」
「うん、わかった」
◇◇◇
母さんとベッツィーが部屋を出ていってしばらくすると、支度を終えたダニエルがセリカを迎えに来てくれた。
― うわぁ、王子様だ!
本当だ……
正装に身を包み、肩から斜めがけに侯爵家の印である幅の広い帯を付けているダニエルの姿は、絵本から抜け出してきた王子様のようだ。
胸には、セリカの髪飾りと同じ色合いの薔薇の花が、ピンで留められていた。
ダニエルはセリカの花嫁姿を見て一瞬息を止めたが、側までやって来るとサッと腕を差し出した。
「さすがアリソンだ。想像以上の出来だな」
「侯爵閣下の見立ては確かだと言ってらしたわ。ふふ……その時に、昔の話もしてくださったのよ」
セリカの言葉にダニエルは目を見開いた。
「おいおい、何を聞いたか知らないが、忘れてくれ」
「いいえ、忘れません。大切な人の大切な思い出だもの」
「セリカ……」
「行きましょう、ダニエル! 皆様が待ってるわ」
セリカとダニエルは扉を開け、結婚の儀に向けて足を踏み出した。




