雨の雫
セリカは午前中かかって、肝っ玉母さんのような女中頭のランドリーさんと一緒にリネン室のチェックをしていた。
ラザフォード侯爵家のリネン室はコルマ元男爵邸とは違い、しっかりと管理されていたので、問題は一つだけだった。
ダニエルが独身だったため、親戚や知り合いが泊まりに来るということが今までほとんどなく、50ある客室のリネン類の洗い替えが全く用意されていなかった。
来月に結婚式を控えているので、これでは心もとない。
セリカはランドリーさんと相談して、客室のリネンの数を倍に増やすことにした。
これはまとまった額の買い物になるので、ダニエルに言って予算を取ってもらわなければならない。
ひと仕事終わったセリカは、部屋に帰る途中で図書室に寄り、本を借りていくことにした。
― この部屋は、いつ眺めても壮観ね。
私はずっとここにいたいわ。
奏子はそうだろうけど、私はあちこち動き回る方が好きだな。
― セリカはね。
図書室の三方向の壁は高い天井までの作りつけの本棚になっており、そこには図書館のようにびっしりと本が詰まっている。
南側に掃き出し窓があるが、その両側に艶光りしたマホガニーの机が置いてあり、採光によってどちらかに座り、一日中本が読めるようになっていた。
セリカはフロイド先生にオディエ語の勉強を続けると約束していたので、オディエ語で書かれた子ども用の絵本か童話でもないかなと思って、探しに来てみたのだ。
外国語のコーナーに行ってみると、セリカが探していたオディエ語の絵本があった。
結構ボロボロでダニエルが読みこんでいたのがわかる。
ふふ、こうしてみればダニエルにも小さかった頃があったのね。
そのコーナーの下のほうに、珍しいことに多色刷りの背表紙の分厚い本があった。
オディエ語の読み取れる単語から類推すると、料理に関する本らしい。
わー、外国の料理の本かしら?
棚から出して開いてみると、絵がついた料理のレシピ集だった。
― ちょっと、これって世界中の料理が載ってるじゃない!
でも国によって全部書いてある文字が違うね。
あ、日本料理もある!
奏子……日本料理のとこ。これ、オディエ語だよ。
― え?
ということは、オディエ国って日本文化が基になってる国なのかな?
言語は全然違うのに、不思議だねぇ。
でも、いい本見つけちゃった。
これで当分、勉強が楽しくなりそうだよ。
◇◇◇
昼食の時、料理長のディクソンに朝食のメニューについて相談したいと言うと、
12刻に予定を開けると言ってくれた。
「セリカ、何を企んでるんだ?」
「え? 給仕係のアインに聞いたけど、朝食のメニューが代わり映えしないようだったから、少し料理の幅を広げてみようと思って。ダニエルは好き嫌いとか、朝食にはこれがいいっていうこだわりがありますか?」
「んー、朝食についてそんなに考えたことがなかったな。出されたものを食べてただけだ。好き嫌いはない。でも朝食にあまり凝ったものを食べたいとは思わないな」
「朝食に凝ったものは料理人も大変だろうから、簡単なもので目先が変わったものにします」
「ほう、それは朝が楽しみになったな」
「ダニエル、今朝みたいにずっと一緒に朝食を食べてくださいね」
「……わかった」
◇◇◇
セリカのオディエ語の勉強が終わった頃に、侍女のエレナがディクソンとの会合の時間だと言って呼びに来てくれた。
「奥様、奥様が厨房に出向かなくても、ディクソンを部屋に呼びつければいいんですよ」
「ええ、それはわかってるわ、エレナ。でも私も厨房の方が落ち着くのよ。それに新しいメニューを提案するなら、どんな食材があるのか見たほうが早いでしょ?」
厨房に入っていくと、料理長のディクソンだけではなくて、他に二人の男の人がセリカたちを待っていた。
壮年の四角い顔の人と、ひょろりとした青年だ。
「奥様、副料理長のルーカスと若手の主任を任せていますニックを紹介させてください」
「こんにちは、ルーカス、ニック。セリカです、よろしくね」
「「よろしくお願いいたします」」
「実は朝食の方はこの二人に管理を任せています。それでこの会合に同席させた方が話が早いかと思いまして」
「ああ、そうなんですね。それでしたら一緒に聞いていただいた方がいいわ」
けれど二人の様子を見ると、奥様に何を言われるのかと緊張しているようだ。
「今朝の目玉焼きはどちらが作られたのかしら?」
「は、はい。私です」
若い方のニックがひょろりとした身体を揺らして飛び上がった。
「卵の黄身の半熟具合がとても良かったわ。白身もプルプルしててやわらかかったし。侯爵様も美味しそうに食べられていました」
「……ありがとうございます」
「私は朝食に手間がかかり過ぎるものを求めるつもりは無いので、二人とも安心してちょうだい。ただ、同じような素材でも、ちょっとバラエティー豊かなメニューにして、ダニエルに朝の景色と食事を楽しんでもらいたいの」
「わかりました、奥様。こちらにケーキも用意してありますので、まぁ、座って話し合いといきましょうか」
「あら素敵! ディクソン、今日はなんなの?」
「今日はチーズケーキにしてみました」
「わぁ、楽しみー」
セリカがスフレを褒めてから、ディクソンはデザートを色々と考えてくれているらしい。
ケーキを食べながら、セリカはまずはパンの種類のことから話をした。
食パンのトーストだけではなく、バターロールやクロワッサン、ナッツや干しぶどうが入っているもの。固焼きのパンに胚芽パンも料理によっては使ってみたらどうだろうかと提案してみた。
「疲れている時や夕食が胃に重たいものだった時には、フレンチトーストもいいかしれないわね」
セリカがそう言うと、料理人が三人とも「フレンチトースト?」と不思議がった。
― そう言えばフレンチトーストは、私がセリカに教えたかも。
そうだったっけ?
うちではよく作ってたから忘れてたよ。
セリカは卵と牛乳と砂糖を入れた液にパンを浸して、サラダ油かバターを垂らしたフライパンで焼く、フレンチトーストのやり方を料理人たちに説明した。
焼けたパンの上にシナモンや粉砂糖をかけてもいいし、ハチミツをかけてもいい。
ベリー類やミントの葉を飾れば、オシャレな感じになると言えば、料理人たちの目が輝きだした。
「それはパン粥よりいいですね」
「見た目がいい」
そしてパンが焼きたての日には、サンドイッチも提案した。
ハムやチーズだけではなく、厚焼きの卵焼きを挟んでもいいと言ったら、オムレツとの違いがよくわからないと言われたので、セリカが実際に作ってみることにした。
材料を持って来てもらって、セリカがササッと厚焼き玉子を作ると、ディクソンが鋭い目でその様子を見てぶつくさ言った。
「奥様、料理はできないと言ってませんでしたか?」
「あら、私の腕はお客様にお出しするものじゃなくて、賄い飯や家族で食べるご飯どまりよ」
出来立ての厚焼き玉子をパンに挟んで、一口ずつ皆に試食してもらう。
「一緒に挟む野菜やソースを工夫すると、味が変わって面白いわよ」
セリカの言葉にまた三人の目が輝いた。
料理人にとっては、工夫の過程こそが面白いのだろう。
父さんを見ていたのでよくわかる。
そして朝は野菜がたくさん食べられるようなメニューにして欲しい、ということも頼んだ。
野菜の残り物を小さく刻んで煮込んだ具だくさんスープとか、サラダも生野菜だけではなく温野菜を使ったりして、簡単にできるもので工夫してみて欲しいと言うと、すべて好意的に受け止めてもらえた。
ルーカスとニックにしても、変わり映えのしない朝食に、飽き飽きしていたようだ。
たぶんダニエルの反応もなかっただろうし、作り甲斐がないよね。
◇◇◇
話し合いの後で、セリカとエレナが回廊を歩いていると、雨が降り始めた。
「今日は曇ってたけど、とうとう降り出したみたい」
「そうですね、洗濯の取り込みが間に合っていたらいいですけど……」
「そういえば、エレナの家の洗濯物はどうしてるの?」
「うちは主人か息子のハーヴのどちらかが入れてくれます。庭園の作業小屋の近くに家がありますから」
「へぇ、それは助かるわね」
母屋まで戻って来た時、突然、使用人が使う裏口のドアが開いて、執事のバトラーが二人の男を連れて駆け込んできた。
「やれやれ、降られてしまったな。でも酷い雨になる前に屋敷に着けて良かったよ」
「お帰りなさい、バトラー。どこかにお出かけだったの?」
セリカが声をかけると、三人ともびっくりしたようだ。
「奥様?! どうしてこんなところにいらっしゃるんですか?」
「厨房でディクソンたちと会合をしてたのよ」
「そうなんですか。あ、紹介しておきます。この者たちはこれからセリカ様の護衛に就く、タンジェントとシータです」
「「よろしくお願いします」」
「こちらこそよろしくお願いします。でもシータって、もしかして女性の方なんですか?」
「はい、女性しか入れないところには私が付き添います」
そう言って顔を上げたシータの前髪から、雨の雫が落ちてきた。
黒髪で漆黒の目をしたエキゾチックな容姿。
髪型も服装も背丈も、隣に立っている男性のタンジェントとほとんど変わらない。
でも、女の人なんだ。
― うわぁ、カッコイイ!
ヅカの男役の人みたい。
セリカにとってこれから苦楽を共にしていく二人との、これが初めての出会いだった。




