ポチ
ここ三日ほどは、お義母様と買い物に出かけたり、一緒にテラスでお茶をしたりしていた。
おかげで、王都の貴族の人たちの噂話もいくつか仕入れることができた。
ダニエルの叔父というか、義理の父親であるエクスムア公爵は、少し気の弱い方らしい。
兄の国王陛下はダニエルのような押しの強いタイプで、よく頭が回るやり手の人らしいが、弟の公爵の方は自分からは積極的に動かないタイプだそうだ。
「あれは、典型的な婿養子の事なかれ主義ね」
お義母様も、聞いているのがセリカだけなので、言うことに遠慮がない。
ダニエルは義理の母親であるシャロンのことを、気位の高い人だと言っていたから、なんとなく公爵家の力関係が想像できる気がする。
― お父様は完璧に奥様の尻に敷かれてるわね。
たぶんね。
「この辺りではまとめて王都と言っているけど、王族の直轄地の周りに公爵家の領地がそれぞれ四ケ所あるのよ。侯爵家の領地はだいたいその外側ね。でもその辺りまでは、道も整備されているから、家も混み合って建っている、いわゆる都会ね。ダニエルが治めているラザフォード侯爵領は、大きな会社の建物がたくさんあるわ。最近、人も増えているし、新興住宅地も広がっているそうよ」
お義母様の言われていることは、フロイド先生の地理の授業でも習った。
ファジャンシル王国は大きく中央帯、東部帯、西部帯、南部帯、北部帯、の5つに別れている。
東西南北の地方の自治帯に対して、中央帯に属する家領は、王族に連なる人々が治めているので、王都に分類される。
企業や商店も多い経済の中心地でもある。
ここダレニアン伯爵領は西部帯の北の方に位置している。
王都までは、普通の馬車で二週間。
魔導車だと一刻ほどかかるそうだ。
ダルトン先生とバノック先生は王族の直轄地に住んでいるので、ラザフォード侯爵領に住んでいるフロイド先生夫妻とは、違う魔導車に乗って帰って行った。
ラザフォード侯爵領は王都と言っても、ダレニアン伯爵領が属する西部帯に近い場所なので、普通の馬車でも一週間ぐらいで行けるらしい。
今日はとうとうダニエルがやって来る日だ。
4日前に先生方とお別れしてから、セリカはこの日を指折り数えて待っていた。
自分でも不思議だが、ダニエルの妻になってからは一人でいるのを寂しく感じるようになってしまった。
今は、お喋りをしていたマリアンヌやペネロピもいないし、勉強も一人で復習をしているだけなので気を紛らわせるものがない。
そのため考えることといったら、ダニエルのことやこれからの生活のことばかりだった。
今日からずっとダニエルと一緒だと思うと、なぜか心が浮きたってくる。
◇◇◇
by 星影さん
7刻の鐘が鳴ってからずっと、セリカは焦れながら窓の外を何度も確認していた。
荷物はもうまとめてあるし、乗馬服も着こんでいる。
お義母様は「結婚式に出るのだからドレスを着ていって、後で伯爵邸に戻ってきて着替えたら?」と言ってくださったが、乗馬服でも平民の結婚式には派手すぎるぐらいだ。
貴族のパーティー用のドレスなどで出かけたら、皆の中で浮いてしまうことは間違いない。
今日の主役は私じゃなくてベッツィーだからね。
― セリカ、来たみたいよ。
本当だ!
山の上空に点のように見えていた黒い粒が、みるみる大きくなってくる。
セリカはカバンの肩ひもを頭から被って荷物を抱えると、窓から下に飛び降りた。
エバがそんなセリカを見て苦笑しながら部屋の窓を閉めてくれている。
真っ白なペガサスが草原に降り立ち、そのまま少し地面を走って伯爵邸の玄関近くまでやって来た。
近くに来るとペガサスは見上げるように大きかった。
ブルンッと鼻息をはきながら、ポチはセリカのすぐ側にきて止まった。
ダニエルが背中から飛び降りると、ポチは大きな翼を馬体の横にたたんでいく。
ふわふわの羽毛が気持ちよさそうで、思わず撫でてみたくなる。
セリカがポチに近付くと、ポチは長いまつ毛に覆われた優しそうな目をして、セリカの方をじっと見ていた。
「ポチ、今日はよろしくね」
セリカが肩の近くの羽を撫でてやると、ポチは頭をセリカの方にすり寄せてきて、髪の匂いをそっと嗅いだ。
うわー!
サラサラで綺麗な羽。
― 馬に触ったのも初めてだけど、それがペガサスだもんねぇ。
「へぇ~、ポチが大人しくしてるな」
ダニエルが面白そうにセリカとポチを見ている。
玄関の扉が開いて、伯爵夫妻や執事のカースンをはじめとする使用人の人たちが大勢出てきてくれた。
エバも急いで二階から降りて来たようで、皆の後ろに立っている。
「セリカ、元気でね。また落ち着いたら遊びにいらっしゃい」
「ありがとうございます、お義母様。本当にお世話になりました」
「二人とも気をつけて行くんだぞ。トレントの家族にもよろしく言ってくれ」
「はい。ダレニアン伯爵、色々とお世話になりました」
「お義父様、カールへのお祝いをありがとうございました。どうかお二人とも、お元気でお過ごしください」
「セリカ様」
「お幸せに!」
「皆さん、お世話になりました」
見送りに出てきてくれていた人たちにもお礼を言い、侍女をしてくれていたエバとは抱き合って名残を惜しんだ。
「よし、それじゃあ行くか」
ダニエルの言うことがわかるのか、ポチは馬体の向きを変えて翼を広げ始めている。
「私の後ろに乗ってしがみついておけよ」
「はい」
ダニエルの言葉に頷いて、セリカも羽に気をつけながらポチの背中に飛び乗った。
うわ、筋肉がすごいね。
― それに温かい。
お尻の下にポチの身体の躍動感を感じる。
セリカは肩にかけていた荷物を後ろに回して、ダニエルの腰にしがみついた。
あ……ダニエルの匂いがする。
背中に顔をつけながら、セリカは久しぶりに感じる安心感に浸っていた。
ポチは翼をはためかすと、あっという間に空へ翔上がっていった。
― あら不思議。
飛行機に乗った時みたいなGをあんまり感じなかったわ。
ふわっと飛び上がったね。
馬車で半刻ほどかかるダレーナの街が、ポチで飛んで行くとあっという間だった。
「セリカ、ここら辺りで飛び降りるぞ」
「はい。でも、ポチは?」
「こいつは大丈夫だ。私が呼ぶまで森の中で遊んでる」
ダニエルと一緒に空中に飛び出すと、ポチは旋回しながら森の方へ飛んで行った。
「私が支えてるように見えたほうがいいだろう」
ダニエルは、魔法を使えることを大勢に知られたくないセリカの気持ちを、なぜだかわかってくれている。
ダニエルに後ろから身体を抱きしめられるようにして、セリカはトレントの店がある通りに降りて行った。
通りを歩いている人たちが、空から降りてくる二人の姿を口を開けて眺めている。
レイチェルが、店から飛び出してきて空を見上げたのがわかった。
ふふ、相変わらず好奇心旺盛ね。
セリカはふわりと店の前に降り立った。
一か月以上、側で見ることができなかった店の扉。
「帰りました」
小さく呟いたセリカの背中を、ダニエルがぎゅと掴んでくれた。




