新しい屋敷
お茶の後、セリカとバノック先生は、侍女のロイスや女中頭のアリスと一緒にリネン類の在庫を確認した。
「在庫はあるようですが、棚の整頓ができてませんね」
「これは一度、天気のいい日に虫干しをして、数を確認しておいた方がいいですね」
ロイスとアリスがそんな相談をしている。
「先生、このくらいの規模のお屋敷だと、どのくらいの在庫が必要なんでしょうか?」
セリカがバノック先生に尋ねると、逆に質問を返された。
「セリカさん、シーツなどは一年間に何種類のものが必要だと思いますか?」
「夏物、冬物、合い物の三種類でしょうか?」
「そうですね。それぞれに必要数量の二倍は、洗い替えとして用意しておくのが普通です。ただ、シーツを汚す子どもが多かったり、お客様が頻繁に長期間泊まられるという家庭は、もう少し数が必要でしょう。そして結婚式やお葬式がありそうな時には、大人数の親族が集まるので事前にリネン類を増やす必要があります」
「それって、膨大な数になりそうですね」
「ええ、そのためリネン類の管理は、女主人と女中頭の主な仕事の一つになります。リネン室を見れば、そこの女主人と女中頭の力量がわかると言われています」
ひぇ~
これは侯爵家に行ったら、一番にリネン室を確認しないといけないみたいね。
― なんだかホテルのリネン室みたい。
爵位のある家も大変ねー
◇◇◇
お昼になって食事室に全員が集まった。
今日は、普段は一緒に食事を取ることのない使用人のデービスとアリス、それにロイスも同じテーブルについている。
「それではファジャンシル王国の安寧と自然の神に感謝して、今日の糧をいただこう」
「「「いただきます」」」
クリストフもこうやって食事の挨拶をすると、お父さんの伯爵に声がよく似ている。
やっぱり親子だと似てくるんだねぇ。
昼食だったため、オードブルは一品ずつお皿を分けないで、三種の盛り合わせで出てきた。
・ブロッコリーとオリーブのアンチョビソース
・海老とイカのジュレ
・ショートパスタのホワイトソース
最後のショートパスタを食べた時に、セリカは一瞬「あれ?」と思った。
どこかで食べたような味がしたのだ。
その後、スパゲティミートソースが出て来た時にびっくりした。
「父さんのミートソースだ!」
セリカの声に、クリストフもすぐにスパゲティを口に入れる。
「本当だ。トレントの店で食べた味によく似ている。これは美味いな」
いったいどういうことなんだろう。
セリカは気になったので、昼食後にバノック先生に頼んで厨房に行ってみることにした。
「忙しい時にすみません。料理長のガスキンさんはいらっしゃいますか?」
セリカが皿洗いをしていた若い料理人の人に声をかけると、その声が聞こえたのか奥の作業場からガスキンが出てきてくれた。
「これはお嬢様」
「コホン、セリカさんは侯爵夫人でいらっしゃいます」
バノック先生が即座に訂正を入れる。
「……大変失礼いたしました。侯爵夫人、このようなところに何か御用ですか?」
「昼食でいただいた、スパゲティの味のことなんですが」
セリカが話し出すと、ガスキンはみるみるうちに顔色を悪くした。
「な、なにか不具合がございましたか?」
「あ、ごめんなさい。美味しかったんですよ。でも……」
「でも?」
「うちの……いえ、ダレーナの街のトレントの店という飯屋の味によく似ていたものですから、何故なのかなと思いまして」
「………………………」
今度こそガスキンは声をなくして驚いていた。
貴族の外出着を着こなしている、目の前のセリカの姿をマジマジと見ている。
「もしかしてお嬢、いえ奥様はあの店の看板娘? いやいや、そんなバカなことがあるわけはない」
「やっぱりトレントの店を知ってたんですね。そうなんですよ、ご想像の通りです。ガスキンさんはどうしてあの味を再現できたんですか?」
ガスキンは信じられないことを聞いてしまったというような顔になった。
後からポツポツと語ってくれたことによると、どうやらガスキンはトレントの店の常連さんの一人だったらしい。
「私はここのコルマ男爵領が故郷なんです。王都の職場から何かの折に里帰りするたびにトレントの店に寄って、飯を食って帰ってました。あそこの味はうちのおふくろの味に近かったんです。トレントの店で食事をするたびに、田舎に帰って来たなと嬉しく思っていました」
「それで味を覚えていらしたんですね」
「ええ。それが先日ダレニアン伯爵閣下とラザフォード侯爵閣下がこちらの後始末にいらっしゃった時に、お二人がトレントの店のピザやスパゲティの話をされてたんですよ。それで高位貴族の方でもあの味を美味いと感じるんだなと思って、今回のメニューに加えてみたんです」
「そうだったんですか。ところでガスキンさんは、職場を変わるつもりはないですか?」
「セリカさん」
バノック先生は怖い顔をするけれど、ガスキンを王都に連れていったら父さんの料理がずっと食べられるということじゃない?
「申し訳ございません、奥様。年老いた両親のそばにいるためにここで頑張って来ました。職場を変わるつもりは今のところございません」
「そうなの、それは残念ね。でも、もしここを辞めたくなったら、ラザフォード侯爵邸に来てねっ。優遇するから」
「は、はい」
セリカの勢いに押されて、ガスキンはへどもどしていた。
バノック先生は頭を振っていたが、セリカの気持ちもわかるのか口元はしょうがないわねと笑っている。
私だけじゃなくて、ダニエルも喜ぶと思うのよね。
父さんの料理を気に入ってたし。
ガスキンがここを動けないのは本当に残念だなぁ。
◇◇◇
午後には、マリアンヌやペネロピが住むことになる部屋の、インテリアや改装のポイントなどを話し合って、セリカたちの今日の視察は終わった。
「やはり、しばらくこちらで受け入れ準備を整えたほうがよさそうです」
執事のデービス夫妻は、午前中に女中がしでかしたことがよほどショックだったらしい。
問題がなければ一緒に帰ると言っていたが、次回の視察までこの屋敷に住んで従業員教育をすることにしたようだ。
幸いこんなこともあろうかと二人とも旅行用のバッグを持って来ていた。
「そうか、それではよろしく頼む。うちでの仕事は調整するようにカースンに言っておく」
「お願いします」
帰りの馬車は四人になったので、行きよりもスピードが出ているようだった。
しかし空に雲が多くなってきて、吹く風も強くなってきた。
「これは雨が降るかもしれないな」
「え? 屋根がないですよ、この馬車」
朝のようないい天気なら最高の馬車だが、雨が降ったら全員びしょ濡れだ。
「とにかく急ぐしかあるまい」
クリストフの声を聞いて、御者が馬にムチを打った。
馬車は、よりいっそうのスピード出して田舎道を駆け始めた。
「空間魔法を使えばいいんだけど、あれ苦手なんだよな」
隣でクリストフがぼやいたので、セリカも魔法で何とかできるということを思い出した。
「使えますよ、私。今、ダルトン先生に習ってるところです」
「一刻近く維持するのは難しいだろ。だいぶ魔法量が必要だぞ」
「ダルトン先生に言わせれば、私の魔法量はタガが外れてるそうですから」
そんなことを言っているうちに、顔にポツポツと雨粒が落ちてきたので、セリカはすぐに透明の膜で馬車全体を覆った。
「お、上手いじゃないか。でも馬は覆う必要がないだろ」
「でも馬も濡れたくはないでしょ?」
セリカがそう言うと、御者が笑いながらありがたがってくれた。
「ありがとうございます。馬も濡れないほうが速く走れます」
透明の膜の中から見る春の嵐は、なんとも不思議な風景に見えた。
特に天井の部分に打ち付ける雨粒は面白い模様を作っている。
「本当にセリカの魔法量はすごいな。王都に行って検査したらどのくらいあったか教えてくれよ」
「はぁい」
後にクリストフの言ったその魔法量の検査が、これからのセリカの人生を決めることになるのである。




