視察
フェルトン子爵家の新しい執事にデービス、女中頭にアリスが選出された。
どちらも執事のカースンと女中頭のバリー、一押しの人だ。
二人が選んだ人が偶然、夫婦だったため、呼び名は名字ではなく名前で呼ぶことになった。
デービスは30歳になったばかりだが、同僚からの人望がある人らしい。今までは年老いたカースンのもとで外向きの仕事をしていたそうだ。
コルマ男爵領の併合にあたっても伯爵やダニエルの手足となって働いていたので、領地の事情もよく知っており適任なんだとか。
アリスは28歳になる優しそうな人だ。
もう少し魔法量が多かったらセリカの侍女になる予定だったと、エバがこっそり教えてくれた。
この二人を中心に、今日は新フェルトン子爵邸の最初の視察が行われることになった。
セリカとバノック先生、マリアンヌの侍女のロイス、それにフェルトン子爵であるクリストフを加えた総勢六人が、今回の視察のメンバーである。
六人が乗った馬車は快調にフェルトン子爵領に向かって走っている。
ダレーナの街の大通りから西に向かって走る街道に出て、田園風景の広がる中を進んで行く。
この道は高低差がないので走りやすい道だ。
ダニエルと知り合うきっかけになった街の大通りの角を通った時に、セリカは不思議な気持ちになった。
あれはまだ一か月半ばかり前の話なんだよなぁ。
なんだか急激に自分の人生が方向転換した気がする。
小鳥の声が響き渡る峠を抜けると、小さな山が点在するフェルトン子爵領に入っていった。
― 今日はゴールデンウイークのような気候だわ。
山の緑が綺麗ねぇ。
うん、晴れて良かった。
こういう天蓋のない馬車だと雨が降ったら大変だもの。
座席の前列に座ったセリカとクリストフとバノック先生は、馬車の心地よい揺れとピクニックに向かうような天候に、気分が浮き立っていた。
「風がいい気持ち」
「ああ、弁当を持ってくればよかったな」
「そうですわね。でもあちらの料理人の腕をみるのも今回の目的の1つですし」
「コルマ男爵の使用人も使わざるを得ないとはな。デービス、彼らの人柄は本当に大丈夫なのか?」
クリストフが振りむいて、後ろの席に座っている執事のデービスに質問した。
「ええ。3分の1の人間は解雇しました。男爵の遠縁だとかで仕事も碌にしていないのに雇われていた者がいたんです。残っている者は身元や経歴がしっかりしていたので、そのまま屋敷の管理を任せています。料理人は以前、王都のレストランで修行をしていたとかで、まずまずの腕だと思われます」
一刻半、馬車を走らせると新フェルトン子爵邸に着いた。
二階建ての屋敷だが敷地を広く取っているので、ゆったりとした建ち姿に見える。
馬車が車回しに入ると、大勢の使用人が玄関前に整列しているのがわかった。
「出迎え、ご苦労。今日は世話をかける」
クリストフが使用人たちに挨拶をすると、全員が一斉にお辞儀をした。
一人の男が、一歩前に出てきた。ここにいる使用人の代表として挨拶をするようだ。
「私は料理長のガスキンと申します。執事も主任クラスの者も全員解雇されていますので、私が挨拶をすることをお許しください」
「そうか、許す」
「ここに出ておりますのが、ダレニアン伯爵閣下が残してくださった従業員のほぼ全員になります。庭師が一人、風邪で休んでおります。それと厨房に火の番として一人付けております。皆、フェルトン子爵がおいでになるのをお待ちしておりました。今後ともよろしくお願いいたします」
料理長さんは田舎の農家のおじさんのように見える。日に焼けた、人のよさそうな人だ。
慣れない挨拶を、汗をかきながらしている。
「こちらこそ、よろしく頼む。彼が新しい執事のデービスだ。その妻のアリスが女中頭になる。昼食の後に従業員との面談の場を設けるので、今後のことは二人からの指示に従ってくれ」
「フェルトン子爵、まずはお茶になさいますか?」
デービスが早速、執事として動き始めたようだ。
「そうだな。全員が一旦部屋に落ち着いた後で、半刻後に食堂に集まってくれ。それぞれの印象をお茶を飲みながら話してもらおう」
「かしこまりました」
アリスが女中たちのところに行って、お客様を部屋に案内するように指示を出している。
まだ指示系統が出来ていないので、誰が誰に付くかで二言三言話をしなければならないようだ。
こうしてみると執事や女中頭の仕事というのは大変だというのがよくわかる。
これだけの人数の人たちの癖や経歴、適性などを全部把握していて、屋敷がスムーズに機能するように動かしていくのだ。
― オーケストラの指揮者のような目や耳が必要なのね。
あの二人はまだ若いけど、大丈夫なのかしら?
― たぶんクリストフ様の家族の年齢に合わせて選ばれたんでしょうね。
ああ、女中頭のアリスの年齢は、クリストフ様より10歳上だもんね。年寄り過ぎず、若すぎないということなのかな。
セリカを案内してくれたのは、少し影があるような綺麗な20代の女性だった。
「こちらのお部屋をお使いください」
「ありがとう。食堂に移る時間になったら声をかけて下さいね」
「はい、承知致しました。ごゆっくりおくつろぎください」
対応も、所作も落ち着いた人だ。
ダレニアン伯爵邸にいても遜色ない人材に見える。
コルマ男爵に雇われていたといっても大丈夫そうだね。
― そうね。
この部屋も間取りから言ったら、家族棟に近い客室だから
ちょうどいい選定ね。
セリカは部屋の中に入って窓際の椅子に座ってみた。
そこから部屋全体を見廻してみる。
セリカが今住んでいる部屋よりは狭いが、このくらいが丁度いい広さだ。
立ち上がって隣の寝室に行ってみると、客室にしては広いベッドがあった。
衣裳部屋やバスルームなども覗いたが、きれいに掃除がされていた。
このドアは何のドアだろ?
セリカが衣裳部屋の横のドアを開けてみると、人が一人だけ通れるような狭い廊下が現れた。
あれ?
こんなの間取り図になかったね。
どこに続いているのか歩いて行ってみることした。すると、またドアがあったので開けてみる。
「こっちも部屋なのかな?」
「おいセリカ、君はどこから出てきたんだ?!」
「え……クリストフ様?」
そこにはベッドに寝転んでみているクリストフがいた。
「ということは、ここは主寝室なんですか?!」
「………………………」
どうもこれはおかしな構造になってるぞ。
客室と主寝室が廊下で繋がってるみたいだ。
クリストフとセリカは頭が痛くなってきて、執事のデービスと女中頭のアリスを呼び出した。
二人は慌ててやってきて、クリストフの説明を聞くと、ここの使用人たちに詳しい話を聞くために飛び出して行った。
後から聞いたところでは、セリカを案内してくれた綺麗なお姉さんは元コルマ男爵のお手付きの女中さんだったらしい。
爵位を持っている貴族は、全員コルマ男爵のような人だと思っていたらしく、セリカをクリストフの妾だと思って、あの部屋へ案内したということだった。
「おいおい、こんなことがダニエルに知られたら、僕は殺されちゃうよ」
「冗談を言ってる場合じゃないですよ、クリストフ様。こんな環境で子ども達が育つのかと思ったらゾッとします。徹底的に調べて、こんなおかしな廊下は潰しちゃわないと」
「そうだな。やれやれ前途多難だぞ、これは」
元コルマ男爵邸は、そんなこともあって最初から難あり物件だということがわかったが、昼食の時にセリカはまた驚くことになる。
貴族風の味付けになっているんだろうなと思って食べたパスタが、父さんの味だったのだ。




