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婚姻届

春うららかな今日の善き日、セリカは伯爵の執務室で婚姻届を書いていた。


ダニエル・ラザフォードの署名の下に、セリカ・ダレニアンの名を(しる)す。


以前、ダレニアン伯爵家の係累簿に名前を書いた時のように、字が白く光って浮き上がった後で、書類の上にコソコソと落ち着いた。


立会人として、義父であるダレニアン伯爵と、後見人を代表してダルトン先生が署名をしてくださった。

二人とも心からセリカたちの結婚を喜んでくださっているようだ。



「それでは、貴族郵便で王都に送ります」


領地管理人のドレイクさんが婚姻届を手に取ると、侯爵がそれを制した。


「いや、私がこのまま持って帰ろう」


あら侯爵様は今日、帰る予定だったのかしら?



「ばかもん! 結婚したその日に花嫁を一人で寝かせる花婿がどこにいる!」


「ダルトン先生の仰る通りです。せめて帰るのは明日にした方がよろしいかと」


先生と伯爵、双方からの進言に、侯爵はしぶしぶと婚姻届をドレイクさんに渡した。



え……ちょっと待って。


まさか今日が初夜っていうこと?!


― はぁ~

  侯爵様もたいがいだけど、セリカも鈍すぎない?


鈍いって言ったって。

そんな雰囲気はちっともなかったんだもの。

結婚式の後から一緒に暮らすものだと思うでしょう?


思わず侯爵とセリカは見つめ合ってしまった。



「侯爵閣下、封印をお願いします」


ドレイクさんの言葉に、二人ともハッとする。


侯爵が封蠟(ふうろう)を溶かして封印すると、ドレイクさんは前と同じように光る砂で双頭の鷲を描いた。

すると外から「ブルルル」という鼻息が聞こえてきた。


もしかして、飛び竜が来たのかしら?


執務室の掃き出し窓が開かれると、そこにはいつか見た小人が立っていた。



ドレイクさんがすぐに封筒を持って出て、小人に手渡した。


「王宮かい?」


「ああ、書留郵便で頼むよ」


小人は部屋の中にいるセリカたちをチラッと見てニヤリと笑った。


「手紙が喜んでるね」


そんな謎の言葉を残すと、馬車の中の仕分け袋に手紙を放り込んだ。

そして白く春霞(はるがすみ)がかかったような色をした飛び竜に一つ(むち)をくれると、みるみるうちに空高く登って行った。


「飛び竜も馬車も真っ青じゃなかった……」


「今日の空は春霞がかかってますからね」


ドレイクさんに当然のようにそう言われた。


― なるほど、小人の郵便馬車は空の色なのね。


いつ見ても不思議な光景だわ。




◇◇◇




突然、昼食をいつもの食堂ではなく、晩餐会をする時の広めの食事室でとると言われた。


エバに晩餐会用のドレスを勧められた時に変だなとは思ったが、食事をする部屋が変わっていたことで確信を持った。


もしかしてこれって、内輪のお祝いの会をしてくださるのかしら?


― そうかもね~

  ありがたいわね。


けれどウェイティングルームに入った時に、目に映った人を見てセリカは驚きのあまり泣き出してしまった。



そこでは精一杯のおしゃれをした家族が、セリカを待っていた。


「父さん!母さん! カールたちも来てくれたの?!」


「綺麗だよ、セリカ。結婚おめでとう」


「侯爵様に大切にしてもらえ」


母さんや父さんとしっかりと抱き合い、久しぶりの家族の温もりを感じた。



「アネキ、ピザを作ってきたから食べろよ」


「グスン……ありがと、カール」


「おめでとう、セリカ。そのレースのドレス、とてもよく似合ってるわ」


「ベッツィィイー……」



侯爵が泣いているセリカにハンカチを手渡してくれる。


「う…すみません」


「いけそうか? あっちで皆、待ってる」


「はい。大丈夫です」


セリカはハンカチで涙をぬぐうと、背筋に力を入れて姿勢を正した。

目の前に差し出された侯爵の腕に昨夜のように手を添える。

そして口の端をキュッとあげて、気合を入れて笑顔を作り、隣に立っている侯爵を見上げた。


そんな初々しい二人の様子を、セリカの家族がニコニコと見守っていた。



家族と一緒に、六人で食事室に入ると、ダレニアン伯爵家の人たちや先生方、執事のカースンさんや女中頭のバリーさん、そして屋敷中の大勢の人たちが皆、この部屋に集まってくれていた。


皆の心のこもった祝福を受けて、セリカはまた涙してしまった。


平民出の、養子になって日も浅いセリカに、ここまでのお祝いをしてくださるとは思ってもみなかった。

一人一人にお礼を言いながら、セリカは徐々に結婚した実感を持ち始めていた。



「君の家族も、クリスの家族もあたたかいな」


ポツリと呟いた侯爵の言葉に、今までの生い立ちを匂わせる深い実感がこもっていた。


侯爵もまさかこういうお祝いの会をしてもらえるとは思っていなかったのだろう。

何も期待していないからこそ、婚姻届を持ってすぐに王都に帰るつもりだった。


セリカは侯爵の腕に添えた手に力を入れた。


「侯爵様、これからは私が侯爵様の家族です。ダレニアン伯爵家のような温かい家庭を作っていきましょうね」


セリカの言葉が耳に入ると、侯爵は、聞こえてくるハズがない声が聞こえたかのような、ひどく驚いた顔をして、こちらを見つめてきた。


深い青色の瞳が何かの感情に揺れているように見える。


「……そうだな」


その同意は、疑う心を抑えこみ、初めて発した素直な言葉だったのかもしれない。




「おめでとう! ほら二人ともシャンパンを持って!」


セリカたちがクリストフにシャンパンを渡されると、ダレニアン伯爵がその場にいるすべての人を見渡して、高らかに杯をかかげた。


「二人の幸せを祈って乾杯!」


「「「乾杯!!!」」」


グラスをかかげた人たちが笑顔で一斉に乾杯をする。


その乾杯の叫びと共に、魔法の光のシャワーが、部屋中に飛び出してきた。



「うわぁ…………」


セリカと家族は初めて見る光景にびっくりした。


まるで夏祭りの花火の中に飛び込んだみたいだ。

貴族の乾杯って、すごいね。



一口、口に含むとシュワシュワの泡になった発泡酒が心地よく喉を通っていく。それは奏子の記憶にあったシャンパンの味と同じだった。


セリカの家族は初めて飲むシャンパンにも驚いていた。


「これ、顔に泡の粒がぶつかってくるよ」


その感覚が面白いらしくて、カールが喜んでいる。


「まぁ、これはお酒でしょっ」


「カールはそれ一杯だけよ」


「えぇ?! 僕、ほとんど成人じゃん」


母さんとベッツィーにお代わりを取り上げられた情けないカールの姿に、家族の笑いが弾けた。



立食パーティーでのピザの人気はすごかった。


貴族の人たちは皆、手で掴んで食べるところや、とろけるチーズに絡まる様々な具材の味に驚いていた。

特に伯爵と孫のティムくんが、仲良く一切れのピザを分け合って食べていたのがほほえましかった。


体調が万全ではないマリアンヌとペネロピも部屋の隅の椅子に座って参加してくれていたので、セリカは義妹のベッツィーを引っ張っていき、二人に引き合わせた。



ベッツィーはマリアンヌと同じ歳なので、気が合ったようだ。

ちょっと考えただけでは元伯爵家の令嬢と農家の娘の接点など全くなさそうだが、マリアンヌは乗馬が趣味なので、二人とも馬のことで話が弾んでいた。



セリカはペネロピと結婚準備の話をしていた。


ピローカバーやナフキンにする刺繍は、あのリボン刺繍にするのかとペネロピに聞かれたので、ちょっと考えてしまった。


「枕の顔にあたる所に刺繍があったら邪魔だから、ワンポイントか縁飾りなんかがいいんじゃないかしら? 私は寝返りをよく打つから、私が使うピローカバーは縁飾りだけのほうがいいかもしれないわ」


セリカがそう言うと、なぜかペネロピは真っ赤になり、何度か言いよどんだ後でとても言いにくそうに切り出してきた。


「……セリカ、あの…えっと。お義母さまが、パーティーの後で話があるって言ってたわ」


「へぇ~、何だろ? バノック先生が今度、女中頭のバリーさんに頼んでリネン類の管理を教えてもらうって言ってたから、そのことかしら?」


「う……たぶん、そのぅ…………今夜の、ことだと思う」


「え……?」


セリカはペネロピの顔を見つめたまま、みるみる身体中が熱くなるのを感じていた。



奏子……

これって、どうしたらいいの?


― 経験のない私に聞かないでよ。


だって、26歳だったんでしょ。


― 日本には、30歳になっても童貞の男の人や処女の女の人なんて

  たくさんいるのよ。



侯爵とはまだ出会ってから一か月にもならないのに……

その期間内に、何回、会ったかしら? 片手で数えられるんじゃない?


遠くでクリストフやカールと談笑している侯爵の姿をチラリと見て、セリカはもう一度、尋ねるようにペネロピに顔を向けた。



「大丈夫、優しくしてくれるわ」


ペネロピはセリカの手を、勇気づけるようにそっと握ってくれた。

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