二人の時間
ずっと広過ぎると感じていた部屋だったが、その部屋のソファに侯爵が座っている。
机の上の念話器から現れるちっこい侯爵様を見慣れていたので、なんだか実物の存在感がすごい。
「侯爵様」
「なんだ?」
「いえ、ちょっと呼んでみただけです」
一人で楽しんでいるセリカを侯爵は訝しげに見た。
「何をそんなにニコニコしてるんだ?」
「この部屋にお客様がいらしたのが久しぶりなもので。一度、マリアンヌさんとティムくんが遊びに来てくださったんですけど、私の勉強が忙しくなってからは、どなたもおいでにならなかったんです」
「それはそうだろう。勉強が一番大事だ」
「そうでしょうか? 私は家族と過ごす夕べが一番大切だと思ってました。ここで独りで暮らすようになって、よけいにそう思います」
― セリカ、侯爵様に家族の話は厳禁なんじゃない?
あ……言っちゃった。
セリカが急に顔色を変えたのを見て、侯爵は何かを思い出したらしい。
「ダルトン先生に聞いたが、君は二重人格だそうだな。ニッポンという国で育ったソーコと言う女性が君の中にいると聞いた」
「ええ、二重人格と言われれば言葉通りではあるんですが、その時々で切り替わるというより前世の人格がいつも一緒にいるという感じなんです」
「話しているのはそのソーコと言う人なのか? それともセリカなのか?」
「うーん、どちらかというとセリカが話していて、奏子が相槌を打ってくれる感じですかねぇ。でもそんなことを突き詰めて考えたことがなかったな」
「私にも、ダルトン先生たちが言っていたニッポンという国の話を聞かせてくれないか?」
― へぇ~、いいですよ。
そうだ、念話器に近いアイフォンの話をしましょうか。
ところが奏子が話したことを聞くと、侯爵はセリカとの話はそっちのけにして、仕事モードになってしまった。
セリカに筆記用具を持ってこさせ、自分たちが作った念話器の改善点を書きだしていく。箇条書きにした改善点の隣には、奏子から聞き取ったアイフォンの特性を並べていった。
「なるほど、最初は声だけで映像はスイッチで切り替えたらいいのか……そうすると寝間着を見られることもないな。シャシン? 写し絵のことだろうか? 立体映像があるのに必要か? ラインでチャットって何だ? ツイートする意味がわからん」
どうやら侯爵の意識は別の次元帯に行ってしまったようだ。
ブツブツと独り言を言っている侯爵を、セリカは優しい顔をして眺めていた。
7歳でお母さんが亡くなるなんて……そんなに小さい頃に独りぼっちになって不安だっただろうな、寂しかっただろうな。
― この人はずっと家族の愛情が薄い場所で生きてきたんだね。
うん。
その中で踏ん張って、こうして立派な大人になったんだ。
家ではゆっくりさせてあげたいね。
― おお、妻の心得ですか?
王命や政治バランスで決まった結婚だけど、何年かは家族として一緒に生活するわけだし、少しは私もそれらしいことを考えないとね。
― えらいえらい。
カールやベッツィーに負けないように、
私たちも頑張らなくちゃということね。
エバが夕食の時間ですと言って呼びに来るまで、侯爵とセリカはこんな二人きりの時間を楽しんでいた。
◇◇◇
今日は侯爵が来ているので、セリカの先生方も一同に会しての、大勢での夕食会になった。
ウェイティングルームで食前酒を飲みながら、今日、出かけてきた森の家の話になった。
「その『癒しの水』は興味深いな。フロイド、わしにも1度飲ませてくれ」
「いいですよ、お部屋の方へ持っていきますよ」
ダルトン先生はウォーターストーンごと持って来いとフロイド先生に念押ししていた。
あの石は珍しいものらしい。
ダルトン先生でも若い時に一度見ただけだと言っていた。
そんなものが、アン叔母さんの家にあったなんて驚きだよね。
食事室の用意ができたので、カップルで移動することになった。
正式な晩餐会では、この場の最高位貴族である侯爵が伯爵夫人をエスコートすることになるのだが、今日は内輪の晩餐なので、侯爵はセリカにエスコートの腕を差し出した。
初めて触る侯爵の腕は固く引き締まっていた。
何日か前に晩餐会の練習をした時には、ダルトン先生がエスコートしてくれたので、歩く歩幅や腕の感触が年齢によって違うんだなと言うことを感じた。
ダルトン先生のエスコートは優しくて手馴れている感じがした。
かたや侯爵の方は固くて近寄りがたい感じだ。
「晩餐会のマナーは習ったのか?」
「はい、一度だけですが」
「ふむ、6月までに王宮晩餐会のマナーまでやっておくようにとバノックさんに言っといてくれ。」
ゲゲッ、王宮?
聞いただけで緊張するよ~
知ってる人ばかりの内輪の晩餐会でもドキドキしてるのに……
「もしかして結婚式は6月になりそうなんですか?」
「ああ、ジュリアンから早くするようにと言われた。秋物のドレスを注文しようとしたのに、夏物に変更だ。まぁそのほうが安く済むかもしれないが」
侯爵様……
夢も希望もない発言ですね。
― この人にはロマンスを期待できそうにないね。
だね。
テーブルにつくと、両隣の人や向かいに座っている人たちと失礼のないように話をしていくのがマナーだ。
伯爵とダルトン先生、それに侯爵の三人が政治の話を始めたので、セリカは向かいに座っているマリアンヌと夏服を買いに行く話をしていた。
結婚式が早まるのなら、王都に行くのも5月ぐらいになるのかもしれない。
そうなると今から初夏に着る注文服をこしらえたほうがいいとマリアンヌさんは話していた。
しかしオードブルが下げられて魚料理が出てくると、マリアンヌの顔から血の気が引いた。
セリカは慌てて、フロイド先生と話をしていたクリストフに注意を促した。
「クリストフ様、マリアンヌさんが……」
「あ、これは。皆さま途中退席は誠に失礼なことですが、妻は今、つわりの時期でして……席を外させてください」
クリストフがマリアンヌと退出すると、配膳係の人たちがすぐに席を詰めて、バノック先生と伯爵夫人が席を移動した。
最初からこうなった場合の根回しがしてあったようだ。
バノック先生が良い機会だからと、セリカに女主人の役割を教えてくれた。
「このように晩餐会の席順を決めて、滞りなく食事を進められるようにするのも女主人の役割です。席をカップルで偶数にして、地位や称号、仲の良し悪し、話題が弾むかどうかなどを考えて席順を決めます。今回のように不安材料があった場合には、厨房や配膳のスタッフ、そしてお客様にもあらかじめ根回ししておく必要があります。こちらの伯爵夫人がされていたことをお手本に覚えておきましょう」
「はい」
なるほど。
女主人の心配りが行き届いているかどうかで、お客様の印象も変わって来るのね。
― これは飯屋でも同じね。
うん。
でも地位や称号、貴族間のお付き合いのことなんかは知らないから覚えなくちゃならないんだね。
なんか覚えることがいっぱいありそう。
侯爵は、マリアンヌの妊娠のことをまだ聞いていなかったらしい。
クリストフの退席の挨拶を聞いて、ちょっと驚いているようだった。
「マリアンヌは二人目が出来たのか?」
「はい、そうみたいです」
「ふーん、これはまたヘイズ兄さんがジュリアンに文句を言いそうだ」
……また侯爵が訳の分からないことを言い出したよ。
マリアンヌの妊娠が、どうして第二王子と第一王子に関わってくるんだろう??
誰か私に説明してくれませんかね。
昼間にフロイド先生の奥さんから聞いた侯爵の生い立ちも複雑だったし、貴族の関係ってよくわからない。
その貴族間のあれこれをこれから覚えなきゃいけないんだよね。
ちょっと遠い目になったセリカだった。




