指輪
「ところで、このピザは美味いな」
セリカが呆然としている間に、ラザフォード侯爵はぺろりとピザをたいらげていた。
「はぁ……うちの看板商品なもので。お酒を召し上がる方には、パリパリした食感のクリスピーピザを出してます。食事として食べられる方には、もっちりとした食感の食べ応えのある生地にしているんです」
「なるほど。今度はもっちりとした方を注文してみるかな」
今度?!
また来るつもりなんだろうか?
― そりゃあ婚約者だもの。また来るに決まってるでしょ。
奏子……
これはたぶん面倒ごとを避けるための、一時的な指輪だよね。
― そうかもね。聞いてみたら?
うん。
「あの、ラザフォード侯爵様。お聞きしたいことがあるんですが」
「ん、なんだ?」
「この指輪は、いつまで……そのう、どのくらいの間、お預かりしたらよいのでしょう?」
「ふむ、私としてはコルマの脅威がなくなるまでと考えていたが。だがさっき、君が指輪をはめた時に赤く光っただろ?」
「はぁ」
「どうも君とは縁があるらしい。赤く光ったら少々では外れまい。指輪の意思があるからな」
指輪の意思?
なんだそれは?
「ええっと、外れなかったら侯爵様は困るのではありませんか? 本当の婚約者の方に渡すときに指輪がないと困るでしょう。それとも、こういう指輪がいくつかあるとか……?」
「侯爵家の指輪はそれ一つしかないが、気にするな。これで結婚をうるさく言われなくてもすむ。当分貸し与えるので、期間のことなど心配せずともよい」
何やら侯爵は満足げだ。
もしかして、まわりに結婚をせっつかれて、お疲れ気味なのだろうか?
「それより、他に看板料理とやらはないのか? これだけでは腹が膨れん」
「あ、はい。パスタ、焼肉、豚カツなどもございます。野菜の方もサラダや煮物、酢の物、漬物と各種取り揃えております。本日の『おすすめ料理』は新じゃがのグラタンです」
「ふーむ……グラタンとサラダ。それにつまみに小さめに切った焼肉を何種類か持って来てくれ。エールのおかわりもな」
「はい。グラタンとサラダ、何種類かのつまみになる焼肉、それにエールですね。承りました」
セリカはやれやれと首を振りながら、厨房へ注文を伝えに行った。
◇◇◇
うちの料理を気に入って、大層機嫌よく侯爵様はお帰りになったが、後に残されたセリカは家族への説明に苦労していた。
「お礼の指輪ねぇ。でも何だってアネキにそこまでしてくれるんだろう?」
弟のカールが店じまいをしながら、腑に落ちない顔をする。
それはセリカにもわからない。
そんな疑問は当の本人に聞いて欲しいところだ。
「たぶん馬車で男の子をひかなくて済んだからじゃないかな。面倒ごとを避けられたお礼?」
「でもねぇ、そんな高価なものをそのくらいのことで平民にくれてやるかね? それにあんたを半刻も待ってたんだよ。侯爵様本人がそこまで手間暇をかけるかい? お付きの者に手土産でも持ってこさせたらいいだろうに」
母さん、鋭い。
もうっ、内緒になんてできるわけがないでしょう。
無理があるよね「お礼の指輪とでも言っておけ」なんて。
貴族と平民の金銭感覚の差なんだろうか。それともあの侯爵様が変わり者だとか?
「そのくらいにしておけ。セリカにも言えないことがあるかもしれんだろう」
ずっと黙って鍋を洗っていた父さんの一声で、なんとかその場は収まった。
ほっ、父さん助かったよ。
けれど母さんは後からセリカを捕まえて、小さな声で聞いてきた。
「養子の話が出たんじゃないだろうね?」
それは聞かれるかもしれないと思ってたから、セリカにも心構えができていた。
「それは言われなかった。私の……力が、そこまで大きくないと思ってるみたい」
「ああ……それを聞いてホッとしたよ」
母さんはそのことが気にかかっていたようだ。
やっぱり母さんは気づいてたんだね。
小さな頃から一年に一度、セリカは母親の末の妹であるアン叔母さんの家に預けられていた。
アン叔母さんは森の中で独りで暮らしている。
薬草を採って薬を作る薬師をしているのだ。
身体が熱っぽくなって体調が悪くなると、いつも叔母さんの家に行って療養してこいと言われていた。
セリカは人のいない森の中で魔法を使ってみるのが面白くて、アン叔母さんの家に行くのが大好きだった。
けれど何年か前からそうやって魔法を使うことで、体調が改善しているのではないかと疑っていた。
もしかしたら魔法が身体の中で押さえきれなくなったら、熱っぽくなるのかもしれない。
誰かに聞いたわけではないけれど、セリカの中にいる奏子もそうではないかと予想していた。
「ずっと黙って、私のことを考えてくれてたんだね、母さん」
「何のことだい? 母親が娘の心配をするのは、当たり前だろ」
しらばっくれてとぼけた顔をする母さんに、セリカはギュッと抱きついた。
「ありがとう。私、母さんの娘で良かった」
「なんだい、急に。こんなに大きくなって、赤ちゃんじゃないんだから」
いろんな食べ物の汁が染み込んだ母さんのエプロンから、普段の生活の匂いがしてきて、セリカはやっと緊張から解き放たれた気がした。