閑話 侯爵の憂鬱
「おい、聞いとるのか?」
ダルトン先生が懸念を覚えるのはわかる。
ダニエルもセリカがそこまでの魔法量を持っているとは思っていなかった。
まさか浮遊魔法に『加速』までかけられるとは……
「とにかく、わしは今どきの婚姻届けだけを出して、後から結婚式をするというのは好かんのじゃが。ことがことじゃし、そんな考えは置いておくほかあるまい。クリストフがお喋りな上に、あのジュリアンに報告をしとるようじゃしな。どこから第二王子側にバレるとも限らん。セリカさんをこっちの陣営に取り込むためには、早めの婚姻届けが必要じゃ」
「わかりました。仕事の段取りをつけたら、一度そちらへ行くことにします」
「婚姻届の用紙を持って来いよ!」
「……はい」
ふぅ、まったく頭が痛い。
念話器を遮断袋に入れると、ダニエルは眼鏡を外し、鈍く痛む眉間を揉んだ。
念話器の改良点がいくつも見つかって、研究所の仕事も多忙を極めている。
そんな中、久しぶりにクリストフに会って、2人目の子どもが出来たお祝いも渡せると、仕事に一石二鳥を求めたのがそもそもの間違いだった。
コルマ男爵領のダレニアン伯爵領への統合案件を、軽い気持ちで引き受けたのはいいのだが、まさか自分が結婚することになるとは思ってもみなかった。
セリカ・トレント……
事故が起きそうだった馬車のもとから、くるりと背を向けて走り去った、しなやかな女性らしい肢体の持ち主。
コルマが良い獲物を見つけたなどと言い出さなかったら、街ですれ違ったちょっと可愛い子という認識だけですぐに忘れ去っただろう。
平民は自分たちが理解できない魔法を恐れ、忌避している。
ダニエルの弟、コールも妾の子として生まれたばかりに、平民社会の中でいつも苦労をしていた。
そんな弟の姿を小さい頃から見てきて心を痛めていただけに、セリカのことを放っておくことができなかった。
魔法を使えるということがバレてしまうかもしれない。
そんなリスクを顧みずに、咄嗟に男の子を助けたセリカ。
そんな善行の見返りがコルマの蹂躙だとしたら、あんまりだと思ったのだ。
最初はコルマに注意しろとだけ忠告するつもりだった。
しかし店に帰って来て、貴族のダニエルにも臆することなく堂々と対峙するセリカを見て、ついいたずら心が湧いてしまった。
守りのためだと言って、婚約指輪を渡したらどんな顔をするだろう。
なんの疑問も疑いも持たずに、スッと指輪をはめたセリカ。
そんな素直で素朴な性質に反応したのか、指輪が赤く光ってしまった。
侯爵との婚姻の縁が強くなければ赤く光らない婚約指輪。
過去には赤く光らなかったことによって、取りやめられた結婚が多々あるという。
そんな歴史もあって、指輪が結婚相手を品定めているのではないか?
指輪が意思を持って次代の侯爵を産む女性を選んでいるのだろう。
そんなまことしやかな話が指輪と共に伝承されることになった。
その噂に興味を持っていたクリスが、ダニエルの右手から婚約指輪が消えていることに目ざとく気づいてしまった。
そこからがこの問題の始まりだ。
クリスのうかつな一言がジュリアンや国王までをも動かすことになったのだ。
結婚式の準備だけでも煩わしいのに、両親の訪問やお喋りにも付き合わねばならず、昨日は王宮からも呼び出しがかかった。
ダニエルが結婚すると聞いて、続々と地方からもお見合いの話が舞い込んでいるという。
誰だ?! 念話器なんかを開発したのはっ。
地方領主が情報を得るのが早すぎる。
目の前にある自分たちが作った念話器を見ながら、ダニエルは深いため息をついたのだった。




