魔法実習
翌朝の最初の授業は、フロイド先生によるオディエ語の講義から始まった。
「オディエ語はファジャンシルの言語と体系が似ている。主語、述語などの並びが同じなんだ。そのため、単語を覚えると話すのにあまり苦労しなくてもすむ」
最初にアルファベットのようなオディエ語の文字を教えてもらい、その後は身近な名詞を50個、ひたすら書いて発音していった。
フロイド先生って、結構スパルタなんですけど。
― 新しい言語を覚えようと思ったら、繰り返して身体に叩き込むのが
一番なのよ。
そうなんだ。
そう言えば平民の基礎学校でも何度も読んだり書いたりさせられたかも。
その後は、科学の分野に魔法を付け足すような「魔法科学」の基礎を習った。
例えば歩くことに加速の魔法をかけて、自然に早歩きが出来る公式などだ。
これはセリカが普段もこっそり使っていたので、実感が伴って理解がしやすかった。
そして花文字のあいうえお表を渡されて、一通り書いて練習した後に、書き取りの宿題も出た。
これを全部覚えたら、バノック先生による招待状の書き方講座が始まるらしい。
最後にこの国の大まかな歴史の流れを、地図を見ながらざっと説明された。
昔はこのダレニアン伯爵領は何もない森だったらしい。王都より馬車で一週間進んだ南にあるシーカの港付近に開拓民が移り住んだのが、ファジャンシル王国の始まりだったようだ。
その国の始まりから現在に至るまでの歴史を、動乱や改革の流れとともに学んでいく。
明日からは国王ごとに詳しく治世を学ぶらしい。
ひょえ~
覚えることがいっぱいだ。
こんな中身の濃い授業を午前中いっぱい受けていたので、セリカの頭の中は飽和状態になってしまい、階段を下りて部屋に戻る時にも少しフラフラした。
午後からの魔法実習もこんな感じなんだろうか?
ダルトン先生には、もう少しお手柔らかに頼みたいものである。
◇◇◇
腹が減っては戦が出来ないと、セリカは昼食をたっぷりといただいた。
今日はパスタがメイン料理だったので、父さんの味を思い出して少し感傷的になってしまった。
けれどグズグズするのはセリカの性に合わない。
敵のようにパスタを食べるセリカに、給仕をしてくれていたお姉さんが驚いていた。
マリアンヌさんが「授業がお休みになる湖曜日に、嫁入り支度の小物を買いに行きませんか?」と誘ってくださったので、その買い物を楽しみに、なんとかこのハードな勉強の日々を乗り切るしかないようだ。
午後の講義に向かっていた時、セリカの侍女をしてくれているエバが後を追いかけてきた。
「あらエバ。私が授業を受けている時はお部屋の整頓をするんじゃないの?」
「それは午前中に終わりました。午後の授業は魔法実習と聞いたので、バリーさんが心配してお嬢様について行ったほうがいいと言うんです」
そう言えば私は魔法量が少ないと思われてたんだっけ。
エバと一緒に教室に入ると、ダルトン先生が春風を気持ちよさそうに全身にうけながら、窓をいっぱいに開けて外を眺めていた。
「こんにちは、よろしくお願いします」
「ああこんにちは。後ろの子はついて来たのか? 授業中は付き人の仕事はないぞ」
「あの……私は、エバと申します。お嬢様はそのぅ……魔法量が少ないので助けるようにと……」
「ふむ、その必要はないと思うがの。でもちょうどいい。助手がおるなら、あれからやってみるか」
最初にダルトン先生に言われたのは、光の球を手のひらに出すことだった。
セリカが手のひらに小さな光球を出すと、ダルトン先生はエバに魔法干渉をしてその球を大きくするようにと指示した。
しかしエバがいくら頑張っても、手のひらサイズからなかなか大きくならない。
「そこまでじゃな。セリカさん、それより大きくなるかどうかやってみなさい」
セリカは顔ぐらいの大きさ、身体ぐらいの大きさ、そして部屋全体に光球の明かりを広げた。
エバは眩しさに目を細めながら、セリカの方を向いて驚いている。
「お嬢様?! 魔法量が増えたんですか?!」
「ええっと……ごめんね、エバ。私も知らなかったんだけど、もともと量は多かったみたいなの。平民は魔法を嫌ってたから、私はずっと使えることを隠してたのよ」
「……そうだったんですか~」
エバはセリカを助けようと勢い込んでいたのに、肩透かしをくらって気が抜けたような顔をしている。
「しかし自分で出した球と、人の作った球への魔法干渉は少し違うぞ。人の魔力に干渉するのは魔法量が必要なんじゃ。ほれ、今度はエバが球を出してセリカさんが大きくしてみなさい」
今度は反対にエバの出した球へセリカが力を込めてみる。
ああ、本当に違いがわかる。
セリカは、エバの方から反発して押し返してくるような魔力を感じた。
ふと思いついてその力を逆に取り込んで、大きく、さらに大きく光を部屋全体に広げる。
「ほう……やめてよろしい。やり方は正反対じゃが、意外なことにセリカさんはラザフォードぐらいの魔法量がありそうじゃな」
ダルトン先生は満足そうに頷いている。
「やり方が正反対?」
「フッ、ラザフォードはこの最初の授業で、クラスメイトの魔力を力技でねじ伏せたんじゃ。セリカさんは相手の力を取り込んだじゃろ? これはますます面白いカップルじゃのぅ」
力技でねじ伏せる? 侯爵様らしい感じがする。
最初に会った時には威圧感があったもの。
「浮遊は出来るかの?」
ダルトン先生が浮き上がったので、セリカも久しぶりに床から浮き上がってみる。
エバは浮遊はできないと言ってしなかった。
「それじゃあエバは普段の仕事に戻りなさい。わしらは外で授業をしてくるでな」
そう言い残して、ダルトン先生は窓から出て飛んで行った。
「ごめんね、エバ。バリーさんにも謝っておいて」
「わかりました。でも、お嬢様が充分な魔法量を持っておられるのでしたら、私は任を解かれると思います。お嬢様にふさわしい仕事ができる女中は他にたくさんいるんです」
「いいえ、私はエバがいいわ。それもバリーさんに言っておいてね」
セリカがそう言うと、エバはなんとも嬉しそうなくしゃくしゃの笑顔になった。
エバに手を振ってセリカが窓から飛び出すと、草原の中に小さくダルトン先生の姿が見えた。
お待たせしてるみたい。
早く行かなくちゃ。
午前中に習った加速の魔法を使ってみようと思い、セリカは頭の中で公式を意識してみる。
セリカがダルトン先生の側にふんわりと降りると、先生は難しい顔をしていた。
「セリカさん、もしかして浮遊に『加速』の魔法をつけましたかな?」
「はい、不味かったですか?」
「いや、大変よろしい」
しかしその言い方も声の調子も、とてもよろしい感じではないんですが……
「いや、ウォッホン。ふーむ、これだけは言っておいたほうがいいな。セリカさん……」
「はい」
「まず魔法の力で使い易いものから教えておこう。先程の光は初心者向けじゃ。これと、簡単な風魔法は使用人の中でもできるものが多い。次にガスに火をつけるような着火の魔法、それに水を操る力じゃな。ここらを使えるものは使用人の中でも主任クラスになれる。そして魔法を媒介する素材、例えば手紙の光砂スタンプ等が操れる者は王宮や役所などの主要な役に就くことができる」
「ああ、それでドレイクさんはダレニアン伯爵領の領地管理人をされてるんですね」
「そうじゃ。ところが浮遊魔法というのは伯爵以上の貴族が使えるものじゃ。それも誰でもが使えん。ここのクリストフはその成績が良かったため、奥さんも複数得ている。伯爵の方は奥さんラブだとか、たわけたことを言って、第二夫人を貰うのを拒んどるようじゃがな。息子が一人しかできんかったから、もう少しで家が潰れるところじゃった。クリスがそんな親父の失態を巻き返すために子作りに励んどるようじゃから、まぁ今は一安心じゃ」
「はぁ……」
なんだか……うん。
貴族社会って、魔法量や魔力を使った技で序列が決まってるんだなぁ。
これって、平民でも血筋とか職人技とかに拘るのと同じなんだろうか。
「う、ゴホン。話はそれたが、セリカさんもあのラザフォードのところに嫁ぐんじゃから、大勢の子どもを産むのも、国への貢献の一つになることを覚えておきなさい」
……何だか、昔風。
頭では先生の言いたいことはわかるよ。
うちみたいに家族で仕事をしてると、子どもも働き手の一員だし。
跡継ぎが必要なのもわかる。
でもあの独身主義者の侯爵様と子どもって、合いそうもない言葉ナンバーワンじゃないだろうか。
こういうことは私じゃなくて、侯爵様の方に言ってもらわないとね。
「わしが懸念を覚えるのは浮遊魔法を使えない貴族じゃ。自分たちが使えないものをポッと出の平民がスイスイ使ってみなさい。どう思われるかわかるじゃろ?」
なるほど、嫉妬されたり妬まれたりすることもありそうだな。
「いらん摩擦を避けるために、ただの浮遊魔法ならばまあいいが、それに『加速』をつけるのは止めなさい。それをこの国で出来るのは5人だけじゃ。ファジャンシル国王、ジュリアン王子、ラザフォード侯爵、わし、そしてセリカさん。この5人。どうじゃ? さすがにわしの言った意味がわかるのではないか?」
私以外、全員、男の人だ……
それも国王の周りにいる人だけ。
ひぇ~、危ない臭いがプンプンする。
「わかりました。絶対に加速は使わないようにしますっ!」
その後、ダルトン先生が雨だれのカーテンのようなものを作ってくれた中で「思いっきり大きな火の球を作ってもいいぞ」と言ってくれた。
今まで森で火球を作ったことがなかったセリカは嬉しくなってしまった。
とことん大きな火の球を作って水のカーテンにぶつけたら水蒸気爆発みたいなものが起こって、ダルトン先生が大慌てするということもあった。
「……セリカさんは、魔法量のタガが外れとるな」
遠い目になったダルトン先生に、セリカ自身も同意して頷いてしまった。




