青年の話
さっき見た貴族の青年が、偉そうに腕を組んで、店の窓際の席に座っていた。
入口に突っ立っているセリカを、鋭い目でじっと見ている。
― これ……バレてるかもね、セリカ。
ううん、まだごまかせると思う。
青年がいる机の上には、食べかけのピザとエールが置いてあった。
うちの看板商品の一つだ。
エールで酔っぱらって、さっきの些細な出来事なんて、忘れてくれたらいいのだが。
「いらっしゃいませ~ どうぞごゆっくりご賞味ください」
セリカは愛想笑いを顔に貼り付けて、そそくさと店の奥に向かった。
「待て! 話がある」
そんなセリカの背中に、その青年はすぐに声をかけてきた。
自分に誤魔化しは効かないぞという、強い意志を感じる。
― ほらね、あの人を騙すのは大変そうよ。
もうっ黙っててよ、奏子。
セリカはしぶしぶ立ち止まって、青年に相対した。
店で食事をしていたお客さんたちが、何が始まるのかと期待して、黙ってこちらを窺っている。
「お話を聞かせていただきたいところですが、イチバンに用事がありまして」
「イチバン?」
「はい。それを済ませましたら、奥の部屋でお話を聞きます」
セリカがそう言って他のお客さんの方を見ると、青年も注目を集めていたことに気づいたようだ。
「わかった。逃げるなよ」
「滅相もございません。すぐに奥の部屋を用意いたします」
トイレを済ませたセリカは、厨房の両親の所へ向った。
すぐに母さんが、心配そうにセリカの側に寄って来る。
「セリカ、あの人を知ってるの? 『ここの娘さんが帰って来るのを待たせてくれ』って言って、もう半刻もあそこに座ってるんだよ」
それは心配にもなるだろう。
滅多に店に来ないタイプの羽振りのよさそうな貴族が突然訪ねて来て、娘を待っていると言うのだ。
母親にしてみたら、いったい何があったのかと、気を揉んでいたに違いない。
父さんは苦虫を嚙み潰したような顔をして、ものも言わずに野菜炒めを作っている。
「母さん、ちょっと面倒な話になるかもしれないから、宴会用の奥のフロアーを使うね」
「それはいいけど……大丈夫なの?」
「うん、大丈夫にするつもり。任せといてっ!」
セリカの根拠のない自信に、母親のマムも苦笑した。
「何と言っても、貴族に歯向かうんじゃないよ。穏便に話し合いをしておくれよね」
「わかってるって。何年、客商売をしてると思ってんのよ。このセリカさんに扱えない客はいないでしょ?」
「ふふ、わかったわかった。飲み物や料理を持って行こうか?」
「そうだね、必要になったら声をかけるから」
セリカは奥の部屋の空気を入れ替えて、テーブルと座布団を用意すると、貴族の青年を呼びに行った。
「ほう、こんな部屋があるのか」
青年は物珍しそうに、16畳ほどの宴会用の部屋を見ている。
ここはセリカの提案で、増設した部屋だ。
大勢でパーティーをする時に使ってもらっている。
座を上げて畳部屋のような感じで使っているので、床も汚れないし椅子を購入しなくてもよい。
赤ちゃん連れの人には、赤ちゃんを寝かせておけるので便利がいいと評判だ。
店にしても、パーティーの人数が少々変わってもすぐに対応できるので助かっている。
「そこで靴を脱いで上がってください。床全体が椅子のようなものと思ってくださいな」
「ほう、わかった」
青年は高そうな靴の紐を解いて脱ぐと、部屋に上がって用意されていた座布団の上にドカリと胡坐をかいた。
ふーん、貴族のように見えるけど、そうじゃないのかしら?
平民の言うことを素直に聞き入れて行動できるなんて、よく聞く貴族の噂とはだいぶ違う。
でも、これなら話しやすいかもしれない。
セリカは青年が食べていたピザやエールをお盆にのせて運んでくると、自分のハーブティも一緒にテーブルにのせてみた。
青年はそのハーブティを見て、ピクリと眉毛を動かしたが、セリカには何も言わなかった。
平民風情が貴族の真ん前で飲み食いするなどということは、許されることではない。
けれどこの人が貴族だと名乗ったわけではない。
普通、貴族は従者を連れているハズだが、この人は一人で飯屋に乗り込んできている。
いったいどういうことなのだろうか?
「まずは、名を名乗ろう。私はダニエル・ラザフォードという。……侯爵だ」
セリカはギョッとした。
侯爵というと、国王にとても近い高位貴族ではないだろうか?
セリカは、自分のハーブティを机の下に置こうとコップに手をかけたが、侯爵がそれをすぐに止めた。
「よい、この場は無礼講だ。その代わりに、ここでの話は、家族にも内密に頼む」
「家族にもですか?」
セリカは震え始めた声で、おずおずと尋ねた。
何といってもこれだけは確認しておかなければならない。
セリカにとって、家族は運命共同体なのだ。
「時期が来たら……話してもよい」
「わかりました」
「まずはセリカ、君の魔法のことだが……」
「魔法は使えませんっ!」
「と言うだろうな。しかし微かだが空気中に違和感があった。魔法を使った後の残滓が感じ取れたんだ。ごく微量であったからそう強い魔法を使えるわけではないのだろうが」
― うわー、よかったねセリカ。
この人セリカの魔法が弱いって勘違いしてくれてるよっ!
そうだね。
このぶんだと、養子とかの話はないかも。
奏子の言葉を聞いて、セリカもやっと肩の力が抜けてきた。
「しかしこの部分は特に内密に願いたいのだが……今、貴族の魔法量が全国的に減ってきている。もともと魔法量の少なかった男爵家や子爵家が、相次いで爵位を取り下げられて平民に戻っているんだ」
は?
魔法が使えないと貴族も平民になるということ?
そんなシステムになっているとは、セリカは全然知らなかった。
「しかし一度、権力の味を覚えた人間の中には、なかなか従順に平民に戻ることが出来ない輩もいる」
なるほどね、それは想像できるかもしれない。
「今回も、ここダレーナの街を統治するダレニアン伯爵領に、隣のコルマ男爵領を併合させるため、私が派遣されてきたんだ。しかし元コルマ男爵は困る人でね。絶対に平民にはならないとあがいて、微量に魔法量を持っている元貴族の女性を襲い、子どもを産ませようとした前科がある」
何それ、なんて自分本位な奴。
「のんびりと聞いているようだけど、私が心配しているのは君、セリカのことだよ」
「は?! もしかして、その変態のコルマっていう人に私が狙われそうだとか、そういう話なんですか?!」
「そうだ。頭は悪くないようだね」
うげっ!
嫌だー、ゾッとする。
「そこでだ。セリカ、君にこの指輪をつけておいてもらいたい」
「はぁ……」
ラザフォード侯爵が渡してくれた変わった模様が入った指輪を、セリカは受け取った。
言われるまま、左手の薬指にその指輪をはめる。
指輪は、ぼうっと赤く光ると、セリカの指にピタリと収まった。
「…………ふ……うん。赤く光ったな?」
侯爵は、心持ち目を見開いたまま、セリカの指にはまった指輪を不思議そうに眺めていた。
「何なんですか、これ?」
「これは、君が私の婚約者だという印だ」
「はぁ?!!!」
なんか理解できない言葉が聞こえたんですが。
「妾用の指輪を持ち歩いてなくてね。すまないが当分の間、それで我慢してくれ。守りの力は強いから、むしろそれの方が役に立つだろう」
侯爵は平然とした顔でそこまで話すと、もう用事は終わったとばかりにピザを一口食べ、エールをグビッと飲んだ。
これって……
いったい、どーいうことぉーーーーっ?!!!




