春のドレス
セリカが侯爵を見送り、家に帰ると、店にアン叔母さんが訪ねて来ていた。
「あら、帰って来たわ。セリカ、久しぶりね」
色白でふっくらとした叔母は、ピンク色の頬っぺたをしてニコニコと笑っている。
「アン叔母さん!」
少し寂しさを感じていたセリカは、叔母さんの胸に勢いよく飛び込んでいった。
「あらあら、大歓迎ね。さっき姉さんに聞いたけど、結婚が決まったんだって?」
「うん……不可抗力で」
「不可抗力ですって? 面白い表現ね」
セリカが叔母さんの隣に座って話をしようとしたら、洗濯を干し終わった母さんが裏口から入って来た。
「セリカ、お茶を入れておくれ。アンには事情を話しておいた方がいいと思うんだよ」
「はぁい」
セリカがお茶とクッキーを持って入って行くと、母さんが大体の事情を話し終わったところだった。
叔母さんはさっきの笑顔がどこかに行ってしまったかのように、暗い顔をしている。
「そう、とうとうそんなことになっちゃったのね」
叔母さんは……もしかして魔法のことを知ってた?
二人にお茶を出してセリカが隣に座ると、叔母さんに強く手を握られた。
「セリカ、貴族とは言っても同じ人間よ。あんまり恐れて萎縮しないで、あなたらしさを失わないように元気に頑張りなさい」
「うん……叔母さぁん」
セリカが叔母の肩にもたれて甘えると、叔母はそっと背中を叩いてくれた。
「それで姉さん、相手はどんな人なの?」
「貴族の中ではいい人だと思うよ。昨日もうちに泊まって、さっき……帰ったんだよね、セリカ」
「うん。結婚式の予定のこととか喋ったら、すぐに飛んでった」
「見た目は、そうだねぇ背が高い男前だね。真面目な感じの人」
「ふうん、真面目そうな人ならいいじゃない」
「アン……」
「男はここの義兄さんみたいに、真面目に働く人が一番よ」
アン叔母さんの旦那さんは、だいぶ昔にふいっと出ていって帰ってこないらしい。
普段は気にせずに朗らかに暮らしているけれど、たまに思い出して、いなくなった叔父さんのことをこんな風に曖昧に話すことがある。
いったい叔父さんはどこをフラフラしてるんだか。
アン叔母さんと話をしながら開店準備をしていたら、店の前で馬車が止まる音がした。窓から覗くと、高級そうな馬車から女の人が二人降りてきていた。
若い方の女の人は、光沢のある茶色のサテンのスーツドレス姿で、襟元にフリルがたっぷりあしらわれたブラウスを中に着ている。
艶のあるブロンドの巻き髪を結い上げて、ドレスと同じ色の小さな飾り帽子を被っている。
もう一人の人は付き添いなのか、かがみこんでその若い女性のスカートの裾を整えていた。
「あんな人、この辺りではあまり見ないね」
「町長さんの奥さんじゃないし、もしかして貴族かもね」
叔母さんと一緒にその女の人たちを見ていたら、そばにいたお付きの人がうちの店にやってきて扉を叩いた。
うちに用事なの?
え?……もしかして、クリストフ様の第一夫人かしら?
でも、ちょっと早すぎない?
「はーい」
セリカが鍵を外して店の扉を開けると、40代ぐらいの背筋の伸びた女性がセリカの顔を見て、目をパチパチさせた。
すぐに気を取り直したのか、きびきびとした様子で口を開いた。
「こちらの家のセリカ・トレントさんに、主人のマリアンヌ、ダレニアン卿・第一夫人がお目にかかりたいそうです」
やっぱり第一夫人だ。
行動が早いね。
「早速、お越しいただきありがとうございます。私が、セリカです。狭い所ですが、どうぞお入りください」
セリカが二人を招き入れると、お付きの人が扉を押さえている間に、外にいた第一夫人が入って来た。
春の花のようないい匂いがして、店の中が一気に華やかな空気に変わる。
ほうっとため息が漏れるような艶やかさだ。
「どうぞそちらにお座りください。今、お茶を持ってまいります」
「セリカ、私がするわ。あなたは座ってお話をお聞きして」
叔母が気を利かせてくれたので、セリカは素直にマリアンヌの前に座った。
「先程の方は、お母さま?」
鈴を振るような綺麗な声だ。
「いえ、母の妹のアン叔母さんです。森で薬師をしていますが、今日は久しぶりに訪ねてきてくれてたんです」
「そう」
マリアンヌは少し顔をしかめて、言葉を続けた。
「叔母さまがいらっしゃると、今日は外出できませんか? 私、ラザフォード侯爵閣下に頼まれまして、セリカさんの洋服を購入するお手伝いに参ったんですの」
やっぱりそうなんだ。
「ご面倒をおかけします。アン叔母さんは気にしないと思いますが、これから店が……」
「粗茶ですが、どうぞ」
アン叔母さんはマリアンヌ様とお付きの方にお茶を出して、すぐに言った。
「私が店の手伝いをするよ。セリカは結婚準備の方を優先させなさい」
「でも……」
「今日は街に作った薬を届けに来ただけだからね。12刻がきてここの店を閉めたら、そっちの用事を済ませて帰るから」
「予定を変えてしまって申し訳ございません。そうしていただけると助かります。二、三着は注文服になりますので、早めの採寸が必要なんですの」
マリアンヌはお付きの人を振り返って、何か指示をした。
するとお付きの人がアン叔母さんに、袋から取り出したお金を渡そうとした。
「奥様、気を使って頂くのはありがたいですが、私はセリカの身内ですのでこんな手伝いも結婚祝いの一つです。どうか、お納めください」
「まぁ、叔母さまのお心も知らず、失礼をいたしました」
マリアンヌは色白の頬を赤らめて、アン叔母さんに謝っていた。
可愛らしい人だな。
それに貴族なのにちっとも偉そうじゃない。
こんな人もいるんだなぁ。
◇◇◇
セリカが、ダレニアン伯爵家の馬車に乗せられて連れてこられたのは、大通りの庁舎前にある高級服飾店だった。
店の構えも格式があるが、ドアを開けて中に入ると普段、嗅ぎなれていない香水の匂いが店内に漂っていた。
「いらっしゃいませ、ダレニアン卿夫人。どうぞ、こちらにお座りくださいませ。ただいま店主とデザイナーを呼んでまいります」
流れるような動作の店員さんが、セリカたちをふかふかの応接セットに案内してくれた。そしてセリカたちが腰を落ち着けるとすぐに、奥の方へ消えて行った。
レイチェルの服屋とのあまりの違いに驚いて、セリカは店の中をぼんやりと眺めた。
ほへぇ、ダレーナの街にこんな店があったんだなぁ。
「セリカさん、主人から聞いたのですが、ダレーナの街の春のダンスパーティーが、今年は農業特区のレーナン農場で催されるそうですね」
「はい。私たちと同じ歳のボブ・レーナンが主催するそうなんです」
「やはりそうなんですね。それで、踝丈のドレスを新調するべきだと主人が申していますの」
「え、そんなっ。『納屋』のパーティーにこんな高級服飾店のドレスなんて、とんでもない。後から着ることもないですから、使い回しもできませんし……」
セリカの即座の否定に、マリアンヌは気圧されているようだった。
「使い回しですか……ふふっ、それは……大切なことですわね。でも、王都でもガーデンパーティーというのがありますから、また着ることもあるかもしれませんよ。それにセリカさんは、ラザフォード侯爵閣下の国公認の婚約者です。これからは公式の場で滅多な格好はできません。周りからは正式な婚約者として見られることになりますからね」
……なんか、ひたすらめんどくさそうなことになりそうなんですけど。
店の奥から出てきた腰の低い女店主と、首にメジャーをかけているデザイナーの女の人に、次々と肩に布をかけられたり、身体のサイズを計られたりしているうちに、三着ものドレスを注文することになっていた。
マリアンヌ様って、マジすごい。
可愛くて大人しい人だと思っていたが、マリアンヌ様はデザイナーにビシビシと注文をつけながら、あっという間に商談をまとめてしまった。
春の納屋のパーティー用のドレスなどは、一週間で縫い上げろという無茶振りである。
「こちらのお店にできないことはないですものね」
そんな風に涼やかに笑ってさり気なく要求を通すさまは、さすがとしか言いようがない。
こんな可愛らしい人にこのような意外な面を見せられると、初めて会ったセリカは引きまくってしまった。
この後も三軒先の既製服店に出向き、ここでも何着も高そうな服を買ってもらった。
……えっと、こんなに買っても大丈夫なのかしら?
あの「女嫌いの独身主義者」侯爵が送られてきた請求書を見て、より女嫌いになる様子が目に浮かぶ。
マリアンヌ様に言わせると、これ全部が当座の春服だけだというのだから、呆れてしまう。
綺麗な服がたくさんあるのは嬉しいのだが、マリアンヌ様が言っていた公式の立場というのが引っかかる。
セリカは大量の服を二階の自分の部屋へ運びながら、これからの貴族生活に一抹の不安を覚えていた。