使っちゃった
埃っぽい土煙が目の前を舞っている。
男の子をたった今、吹き飛ばしたセリカの手のひらに、魔法の白い粒子の残光が漂っていた。
やっちゃった……
今の、見てた人がいるかな?
セリカはおずおずと周りを見回してみた。
まずいことに10人ほどの通行人が足を止めて、セリカと、道の向こうに倒れている男の子を、呆然と見ていた。
男の子をひきそうになった馬車の御者も、少し行った所で、馬の手綱を引き絞って馬車を止めている。
今は御者台から身を乗り出すようにして、こちらを振り返っているようだ。
「おい、大丈夫か?! 子どもをひいてしまったのかと思ったんだが……」
「あ……大丈夫です。私が突き飛ばしたのが良かったみたい」
セリカは、慌てて手をこすって魔法の痕跡を隠した。
「突き飛ばしただって?」
「なんか、男の子が空を飛んできたようだった、よな?」
「おい坊主、大丈夫か?」
見ていた人たちが声をかけながら男の子を抱き起したので、わけが分からずに転がっていた男の子も我に返ったようだ。
「うん、大丈夫。なんか、フワッと飛ばされたから」
「ケガは?」
「えっと、手をすりむいただけ」
通行人の人たちと男の子の会話を聞いて、セリカはホッとした。
その時、馬車の扉が開いて、背が高い青年が踏み台も出さずに飛び降りてきた。
その青年は、高級な貴族が着るような服を着ている。
綺麗に短く整えられた髪が、春の陽光に金色に輝いていた。
「何があった?」
御者を問いただす低い声が、シンとした街角に響く。
御者は主人に、冷静に今の状況を説明していた。
「すみません、閣下。それが、そこの横合いから急に子どもが飛び出してきたんです。慌てて手綱を引いたんですが……いや、てっきり間に合わなかったと思ってました。でも、そこに立っている娘さんがその子を突き飛ばしてくれたので、どうやら大事にはならなかったようです。ただ……」
「ん?」
「飛び出してきた子は無事だと聞きましたが、いまだに何が起きたのか信じられない気持ちです」
そう言って御者は首を捻っていた。
「魔法か……」
男の声に、セリカはビクリとすると、後ろも見ずに駆けだした。
ヤバイよ~
今日まで隠し通して来たのに、こんなことでバレちゃうなんてっ。
セリカは、自然に見えるように力を絞った加速の魔法を使い、ダレーナの入り組んだ街並みを縦横無尽に走り抜けた。
街の外れまで来ると、セリカはくるりと回れ右をして、おもむろにスカートの裾を整えた。
そして裏道を選びながら、ことさらゆっくりと歩いて自宅に向かった。
あの場所に、セリカを知っている人が誰もいなかったことを祈るしかない。
魔法が使えるなんてことがバレたら、もう今の家にはいられない。
ファジャンシル王国では、魔法は貴族だけの特権だ。
平民の、それも飯屋の娘が魔法を使えるなんていうことがバレたら、貴族の家に養子に出されてしまう。
セリカは今の家が大好きだったし、両親や弟とも離れたくなかった。
セリカが3歳の時だった。川でおぼれかけた時に「前世の記憶人格」がよみがえった。
セリカの前世は、日本人の天野奏子という名前の女性だったようだ。
奏子は両親が共働きの一人っ子だった。
近所に祖父母がいなかったため、小学校に入ると、学童保育室の常連になっていた。両親は子どもがいても仕事中心の生活をしていて、毎晩遅く帰って来る。奏子は、親とろくに話をしたこともなかった。たぶん奏子の親は、もともと子どもをつくるつもりがなかったのかもしれない。奏子にとって、そこは家庭というよりも、ただの共同生活の場だった。
そんな環境で育ったので、奏子は人づきあいが苦手だった。
大学を出て独り立ちをしても、寂しいアパート暮らしをしていた。友達が少ない奏子は、会社が休みの時なども、一日中、独りで本を読んだり手芸をしたりするような、とても内向的な生活をしていた。
いわゆるボッチというやつだ。
そんな奏子が、勤めていた会社の健康診断で胃潰瘍を疑われた。
近所の病院にかかって、もらった薬を飲み続けても、なかなか胃の調子がよくならない。
ある日セカンドオピニオンをもらおうと大学病院で検査をしてもらったら、レントゲンに映らない胃の裏側にがんができていることがわかった。
がんが見つかった時にはもう末期で、何か月かの入院の後、高熱にうなされながら肺炎を併発して、奏子は帰らぬ人になったのである。
そんな前世の記憶人格がよみがえったことが、セリカの中のどこかに「災い」をもたらしたのかもしれない。
セリカは突然、魔法が使えるようになってしまったのだ。
川でおぼれたその日の夜のことだ。
部屋で寝ている時に、セリカはものすごく喉が渇いて、水を飲みたくなった。
水が欲しいと強く願った時、不思議なことに窓の外から水玉がふわふわと漂って来て、カラカラに渇いていたセリカの喉を潤してくれた。
その時、奏子はセリカの中で目覚めたばかりだったので、自分が物語の中の魔法使いになったようで興奮した。
いつか本で読んだ勇者のように、新しい人生では「俺、強ぇえーーーっ!」と無双が出来るのかと思ったのだ。
しかしセリカの周りの人たちを見ていると、魔法を使っているものはどこにもいない。
奏子は用心して、人前で魔法を使わないようにしていた。
一度、母親に魔法のことで質問したら、ファジャンシル王国の貴族について教えられた。
魔法は特権階級の貴族が使うもの。
貴族は魔法を使って国を守る代わりに、平民から税金を取っている。
つまり平民の中では魔法は異質なもの、触れてはならないものとして認識されている。
「魔法なんて言葉を軽々しく口に出してはいけない。魔法が使える人間がいたら、貴族が捕まえに来るんだよ」
母親に心配そうに言われた一言が、今でもセリカの耳に残っている。
もしかしたら母親は、セリカの中に目覚めた魔法の力に薄々気づいていたのかもしれない。
この時からセリカは「魔法」という平民にとっては忌むべき能力をひた隠しにする生活を送ることになる。
セリカの家である『トレントの店』の看板が見えてきた。
無口で気難しい父親のダダは、庶民向けの飯屋をやっている。
ふくよかな母親のマムも、気前のいい飯屋のおかみさんとして、皆に慕われている。
セリカも10歳の時から仕事を手伝い始めたので、16歳になる今は、7年の経験を持つベテランの店員だ。店にとってセリカは、今やなくてはならない看板娘になっていた。
いずれは、セリカの2つ下の弟のカールが、お嫁さんをもらって店の後を継ぐことになっているが、セリカとしては近所に嫁いででも、店の手伝いを続けたいと思っている。
私が日本での記憶を駆使して、店をここまで大きくしたんだもんね。
セリカは誇らしげな顔で店の様子を眺めると、「ただいま~」と言いながら、扉を開けて店の中へ入っていった。
「遅かったな」
そこでセリカを待ち受けていたのは、先程見た馬車に乗っていた、金髪の青年だった。