敬愛なるフクへ
共感してくれる人がいると嬉しいな……
はじめまして。
わたしはコンノウルリです。紺色の紺に野原の野と書いて紺野、潤うに梨と書いて潤梨と読みます。いわゆる、きらきらネームってやつです。巷では、きらきらネームけしからん、みたいに思っている人も一定数いるようですが、世界に一人だけの娘のためだからと両親が知恵を絞って付けてくれた特別な名前なので、わたしはこの名前が気に入っています。大抵の人はジュリとかジュンリと読んで、初対面で正しく読んでくれた人はまだいないけれど、わたしだけのものだから。
わたしはあなたのことをよく知っていますが、あなたはきっと私のことを知らないと思うので簡単に自己紹介をしておきます。
誕生日は、星新一さんや氷川きよしさん、澤穂希さんと同じ九月六日。語呂合わせで、く(九)ろ(六)の日でもあるみたいです。おとめ座のO型で、性格は外向的。刺激的な楽しいことが大好きで、ありきたりなつまらないことは大嫌い。好きな食べ物は梅干しの仁。酸っぱいし、小さな梅干しの種を思い切り噛むのが気持ち良いから。嫌いな食べ物は目玉焼きで、卵アレルギーを持っているわけではないけど、あれを食べると背筋が寒くなります。生卵や卵焼きは好きだけど、目玉焼きだけは駄目。わたしが目玉焼きに抱く感情は、お寿司の雲丹が、雲丹の生殖器だと知ったときの気持ち悪さと少し似ています。皿の上から、箸を持って平らげるその時までじっとわたしのことを見張っている目玉。きみが悪いですよね。想像さえしたくありません。
友達にこのことを話すと、魚の目を見て食べられなくなるのと同じことかとよく訊き返されますが、それとは違います。何故って、わたしは卵を食べることに罪悪感を抱いているわけではありませんから。可哀そうだから魚が食べられないという、ベジタリアン的な発想とは全く違うのです。目玉という部位を口にすることに抵抗があるのです。
目玉焼きは本物の目じゃないよと笑われることもありますが、目玉のように見えるから目玉焼きと名付けられたのでしょう。本物であることより、そう見えることのほうがわたしにしてみれば恐ろしいことです。目玉を焼くなんて、非人道的なことに間違いありません。
話が逸れました。
ごめんなさい、長々と自己紹介をしてしまいましたね。
自己紹介はここらで終わりにして、次は、あなたもきっと知りたがっていることをお話しすることにします。
わたしたちの出会いについてのことです。
あなたは、わたしの十三歳の誕生日の日、両親からのプレゼントとしてわたしの元にやってきました。けれど、見ての通り、わたしは十三歳ではありません。その時はノートなんて要らなかったのです。それより本かCDが欲しかった。わたしはわがままを言って両親を困らせましたが、結局欲しかったものはもらえず、あなたは本棚の隅に差し込まれました。それから月日が経ち、今になってあなたはわたしに発見されました。そして、あなたはわたしに気に入られました。
時の流れとは不思議なものです。
……なんて。
ごめんなさい、嘘です。
真っ赤な嘘です。
十三歳の誕生日には望み通り本を買ってもらって、両親からノートをプレゼントされたことなんて一度もありません。出来心にそそのかされました。もう嘘は吐かないので、許してください。
本当の話をします。
夏休みだったので、わたしは一人で町田へ行きました。祖父母の家に三泊四日の予定で遊びに行っていた二日目に。何しろ祖父母は高齢で、わたしと一緒に何かをするには無理がありましたから。
大音量で流れ続けるテレビに飽きると、わたしは町田に行ってくると祖父母に宣言しました。調子の良い日であれば、それじゃ一緒にお昼を食べに行こうか、という話になるのですが、この日は快調でなかったらしく、これでおいしいものでも食べておいでとお小遣いを貰って、わたしは一人で町田へ行きました。
今思うと、それは何か大いなる存在の導きだったのかもしれません。祖父母が一緒に来ていれば、わたしは祖父母を気遣って、のんびりショッピングなんて出来なかったでしょうから。あなたに出会うことも、きっとなかったと思います。
町田へはいつも洋服を買いに来るので、小田急線の改札を抜けると、足は自然にマルイやルミネのほうを向きます。わたしは秋服とノートを買うつもりでいました。それで、小田急線の改札とマルイの間にいつもは素通りするモディがあるのですが、そこの看板にロフトを見つけて入ることにしました。
モディはおそらく、わたしより五歳から十歳くらい年上の女性をメインターゲットにしています。わたしは平静を装ってエレベーターに乗りましたが、まだ立ち入ることの出来ない領域を歩いたり眺めたりすることに、ずっと緊張していました。パリッとしたシャツに、高級感のあるミモレ丈スカート、レースで飾られた光沢の美しいドレス。どれもまだ、わたしの手には届かない世界のものです。ペラペラのワンピースにジージャンを羽織った格好でモディの中を歩くことが、恥ずかしくてたまりませんでした。
わたしは逃げるようにロフトへ入り、自分と同じくらいの人がいることに安心して、ノートを探し始めました。
あなたはわたしの浮気に怒るかもしれません。
それでも正直に話します。
わたしが最初に見つけたのはスヌーピーでした。
そういったキャラクター好きなわたしのことを、あなたは子供っぽいと思うかもしれません。ですが、わたしは昔からスヌーピーが好きで、見かけるとそちらへ行ってしまうのです。買ったところで日常的に使うことはないと分かっていても、つい迷ってしまうのです。許してください。反射的にスヌーピーの元へ向かい、スヌーピーの絵柄の入ったノートにするか悩みましたが、結果として、わたしはスヌーピーを選びませんでした。分かり切っていたことですが、堂々と使いにくいので。
早々にスヌーピーから離れたわたしは、本来の目的であるノートを探しました。ノートは進化しています。シルクのような手触りのノート、リングが柔らかくなっているノート、スタイリッシュな表紙のノート、それぞれのメーカーが工夫を凝らして作ったノートがずらりと並んでいて、わたしはそれらを一つ一つ、時間をかけて吟味しました。
一通り眺めた後、リングノートは場所を取って嫌だと思い候補から外しました。それから、方眼ノートは書きづらくて嫌だ、ページが切り離せるノートは紛失するから嫌だ、表紙がうるさいものは嫌だ、手のひらより大きいサイズのものは持ち運びが大変で嫌だ、という調子で私の求める理想のノート像が徐々に浮き上がってきました。
しかし、わたしの理想にぴったり合うものはありません。惜しいものなら二種類あったのですが、一つは罫線の幅が太すぎるのが気に入りませんでした。
もう一つはキャンパスノートで、どこでも売っている見慣れたものであるということが、わたしのお気に入りとして携帯することを躊躇わせました。わたしはこだわりを持ちたいのです。それによって他人と違うことをはっきり示したいのです。ですから、キャンパスノートが理想に合っていて、しかも廉価であると知りながら、わたしはキャンパスノートには触れることすらしませんでした。
何周しても理想のノートが見つからないとなると、妥協するか、諦めるか、二つに一つです。時間を犠牲にしたことを考えるなら妥協するべきでしょうが、わたしはそうしませんでした。さらに時間費用を積み上げてでも、お気に入りの一冊が欲しかったのです。
帰ろうと思い、わたしはエスカレーターに向かいました。町田はなかなかの都市ですから、洋服を探している間に、他の文房具店が見つかるだろうとも考えていました。答えを急ぐ必要はなかったのです。
わたしがあなたに出会ったのはその時でした。
エスカレーターへ向かう道中にもノートが置かれていたのです。
わたしは見つけました。
一目惚れです。
あなたと運命的な出会いをしたのです。
あなたはシンプルな真っ白で、開いた時に綴じ目までしっかり開くという個性を備えていました。ちょうど手のひらサイズで、手触りも素晴らしい。サンプルノートにペンを走らせてみると、その瞬間、自分の直感の正しさを理解し、心を奪われました。
わたしはすぐさまレジへ行きました。あなたを包むビニールにシールを貼ってもらい、会計を済ませます。値段は覚えていません。あなたにはその値段以上の価値があると思ったことだけははっきり覚えています。
あなたを鞄にしまい込むと、わたしは足早にモディを出ました。そうして、お昼時だったので適当なカフェに入り、今こうしてあなたと対面しているというわけなのです。
ああ、なんという幸運!
信じています。あなたはわたしを特別な存在にしてくれると。開くたび、今日、あなたと出会った歓喜を思い出させてくれると。これでわたしは、一歩、自分の目指す理想像に近づいたに違いありません。
アンネ・フランクは、誕生日に両親からプレゼントされた日記帳にキティーと名付け、収容所に連れて行かれる日まで大切にしていたそうです。わたしはアンネ・フランクではありませんし、彼女のような受難を経験することもないでしょう。わたしは、日記として、メモ帳として、計算用紙としてあなたを利用します。そこにはアンネ・フランクのような強い意志も、世界に影響を与えようという意思もありません。
けれど一つだけアンネの真似をして、わたしもあなたに名前を付けようと思います。日本人らしく、とびきり和風な名前を。
あなたの最後の一ページが黒く染まる日まで、わたしは、愛着と敬意をもってあなたと向き合うことを誓います。
あなたの名前は、フク。風が紅いと書いて、風紅。今、そう決めました。
読みの音は福から。風が紅いというのは、あなたの頭のてっぺんに一本だけ生えている栞のことです。風が吹くと紅い栞がなびくでしょうから、風紅という漢字はあなたにぴったりだと思います。
これからもどうぞよろしくね。
こんなわたしだけど、笑って許してもらえると、すごく嬉しいです。
特別になりたい。そう思って行動することはないけど、自分は何か特別な物、持っているだけで自分の価値を高めてくれるような物を求めていたのではないかと、後になって気付くことがままある。そういうことってないですか? 普段は人の目なんて気にしませんていうスタンスで生きているのに、心の奥ではずっと、すべての人に自分の価値を認めさせたいと叫んでいるんだ。気付いているのに、知っているのに、それをどうにもできない弱い私。