前編
「ふざけないでよね、お父様!!」
机を割る勢いで、手のひらで力強く叩く。
私の怒りは最高潮だった。
事の起こりは、父様が勝手に婚約者を決めてきたこと。
私の家は裕福な商人の家。
父様は金の亡者だった。
「ゴルダス3世のどこが不満だ? 彼とお前が結婚すれば、毛生え薬が手に入る約束になっている。金にすると3億デルの価値はあるぞ」
父様の基準は金だ。
びっくりするほど、金。
あと自分の頭頂に生えてない、髪の毛。
実の娘だろうと、損得の道具にしか思っていない。
ゴルダス3世は、頭は禿げていて、お腹が出ている。
女好きで、何度も若い子と結婚を繰り返し。
愛人もいっぱいいるという噂の、とんでもないスケベジジイだ。
「彼は70だからすぐに死ぬ。お前は女にしておくのには惜しいからな。家庭におとなしく収まる女でもないし、未亡人となれば好き勝手に動きやすいだろう」
それでいて、父は私のことをよく見ている。
女に求められるのは、男に付いていく従順さと、主張しないこと。
それが美徳とされているこの国は、私にとっては生きにくいものだった。
しかし、私にだって選ぶ権利はあるのだ。
人並みに恋がしたいし、ロマンスだって夢見ている。
先の短い老人と結婚して、未亡人としてバリバリと家のために働け。
そう父様は言いたいんだろうし、それもちょっと楽しそうだなとは思うけど。
さすがに将来のパートナーくらい……自分で見つけたい。
「父様、私は自分の好きになった人と結婚したいです!!」
「アンジェリカ、理想とは儚いものだ。相手に理想を求めさせる分にはいいが、商売人は現実を見たほうがいい。恋愛より、利を取るべきだ」
こいつ何もわかってねーな。
そんな感じで、父様は鼻で笑う。
夢見がちなこと言って、バカじゃねーのと思っているのは丸わかりだ。
「旦那様、言い分は分かりますが、少し唐突かと思われます」
助け船を出してくれたのは、私の執事であるエヴァンスだ。
当主である父様に対しても物怖じしない、言い方を変えれば出すぎた行為だった。
「アンジェリカが成人して3年は経っているぞ。そろそろ結婚をと思うのも、親なら当然だろう?」
不躾なエヴァンスの態度に、父様は気分を害した様子はない。
むしろその反応を楽しむように、ニヤニヤとしている。
本当に我が親ながら、性格が悪い。
「まぁ、エヴァンスの言うことも一理ある。お前にも現実を見る時間は必要だ」
父様は私に向き直る。
「ゴルダス3世がうちにくれるのは、毛生え薬。金に換算すると、3億デルの価値があると言っていい。それに匹敵する益を私にもたらすことができたなら、お前が好きな男との結婚を認めよう」
「本当に!? 約束だからね父様!」
「あぁ、商の女神に誓って」
商人にとって大事なのは信頼。
この誓いを立てたときの父様が、嘘をつくことはない。
「期限は半年だ。せいぜい頑張れ。お前もエヴァンスもな」
面白い見世物だというように、父様は笑った。
◆◇◆
3億デルというと、どれくらいの値段か。
王都の一等地に、ゴージャスな屋敷が建てられる。
まぁ、とんでもない値段というわけだ。
そんなお金を持っている男となると、当然貴族。
私には幸いなことに、美貌という武器があった。
父様は線が細く、優しそうな顔立ちの好青年だ。
頭髪は薄いが、自他共に認めるイケメン。
カツラでその見た目を補い、多くの商談を成立させてきた。
まぁ、優しそうなのは顔だけなんだけどね。
中身はドが3つ付いても足りない、鬼畜の腹黒だし!
それでいて、私の母様は美人。
少しのほほんとしたところのある、下級貴族のお嬢様。
父様の外面に、完璧騙されている。
そんな2人から生まれた私は、顔だけは恵まれていた。
至極当然な成り行きとして。
この美貌を使って、狙うは玉の輿だ。
作戦は簡単。
片っ端からパーティに出る。
胸元も大胆に見せて、隙だらけで誘惑して。
時には「これって運命かもしれない」と相手に思わせるようなイベントも仕組んだ。
なのに、どうにも上手くいかない。
「ねぇ、エヴァンス。私って美人よね?」
「お嬢のそういうナルシストすぎるとこ、俺好きだなぁ!」
ははっと笑ったのは、私の執事であるエヴァンスだ。
光の加減で赤の混じる金髪は、緩やかにうねっていて、いつもヘラヘラと笑っている。
年頃は20代前半で、とてつもなく軽い。
あと、主人である私に対して、かなり無礼な奴だった。
「そんなことを聞いてないのよ。客観的にみて美人かどうか、女として襲いたくなるかどうかを聞いてるの」
「くくっ、お嬢って本当ダイレクトだよね。うん、美人で襲いたくなるよ」
今日のパーティも、収穫無し。
すでに会場には、人もまばら。
いるのは盛り上がりすぎて、周りが見えてないカップルどもばかりだ。
暗がりでいちゃいちゃしているのを横目に、グラスを煽る。
バルコニーは風が心地よい。
ぱっくりと開いた胸元を、冷たい風が撫でていく。
「じゃあ、なんでアプローチの1つもかけてこないの!? バカなの!? 男は皆見る目がないのかしら!!」
「いや、逆に見る目があるんだと思うよ。お嬢の性格悪さが見抜かれちゃってるだけだよ。わかっててつきあえるの、俺くらいじゃないかな」
手すりを叩けば、エヴァンスがケラケラと笑う。
本当この男は、主人に対する尊敬とか礼儀の念が全く足りていない。
「そもそも、お嬢の目がハンターなんだもん。皆怖がって逃げちゃうよ」
「男ならそんなことで怯まずに、もっとガツガツきなさいよ! そして3億デルよこせ!!」
むちゃくちゃなことを言いながら、隣にいるエヴァンスをバシバシと叩く。
お酒がいい感じにまわっていた。
「大体さ、お嬢。お嬢はそういう金とか、見た目しか見てくれない奴が嫌で、自分で結婚相手探してるんでしょ? なのにお嬢も金と見た目しか見てないよね?」
エヴァンスときたら、正論だ。
正論すぎて腹が立つ。
「じゃあどうしろっていうのよ! 私だって、普通に恋したいのよ!」
「簡単だよ。俺に恋すればいい」
エヴァンスが私の手をとって、キスをしてきた。
「俺を選んでよ、お嬢。そしたら、幸せにしてあげる」
思わず制止する。
たっぷり時間をかけて、今何が起こったかを考える。
「……あんた、私の執事よね。3億デル払えるの?」
「そんなお金はないよ。この国から逃げて、俺の故郷で暮らそう?」
「無責任」
「お嬢の頭が固すぎるんだって。自由に恋愛したいんでしょ? だったら思い切らなきゃダメだよ。逃げるからには捕まらない自信はあるし、ちゃんと守るよお嬢のこと」
何を言ってるんだ、このゆるふわ男は。
頭の毛を全部むしりとってやろうか。
そんなことを思うくらいに、私は混乱していた。
「本当、あんたって軽いわよね」
「そうかなぁ、かなり一途だと思うんだけど?」
スッとエヴァンスの目が細まる。
それから、距離を詰めてきた。
「というかさ、俺はお嬢が好きだって、拾われたときから言ってるよね?」
「えっ? いつそんなこと言ったのよ?」
本気でそう返したら、エヴァンスの顔から表情が消えた。
ぞくっと肌が粟立つのを感じる。
「へぇ、伝わってなかったんだ。俺、わりと好意示してると思うんだけど」
「いや、そう言われれば、好きとかわりと言われてた気がするなって……」
近い。エヴァンスの顔が近い。
バルコニーの手すりを背にするようにして、追い詰められてしまっている。
「でも、あれは社交辞令でしょ!? あんたチャラいし!! 執事だしっ!!」
優位性が失われて焦る。
いつもなら、エヴァンスはからかってくるものよ、引きが早い。
なのに今日に限って、引いてはくれなかった。
「ねぇ、そのチャラいっていうのどこから来てるの? 凄く不本意なんだけど」
「どこからもなにも、いつもあんた私を褒めちぎるじゃない。まぁ、毒も一緒についてくるけど、エスコートも手慣れてるし。見るからにモテそうだし」
その緩やかな巻髪と、すっと整った鼻梁。
気さくで話しやすい雰囲気といい、私の見立ては間違っていないはずだ。
「俺、お嬢以外は口説いてないよ。お嬢以外には優しくしてない」
真剣な瞳で、エヴァンスが見つめてくる。
どうして、私はこんなに動揺してるんだろう。
エヴァンスなんかにドキドキしてるなんて……嘘だ。
「お嬢はさ、俺じゃダメなの? お金がないと嫌? 俺自身には興味ない?」
「ふ、普通は身分ってものがあるでしょ。執事が主人に恋なんて、あり得ないことなのよ!?」
エヴァンスとの出会いは、3年前。
竜が出たと聞いて、父様の商談についていった先の国・オーベリー。
カジノが盛んなその国で、エヴァンスは身ぐるみをはがされそうになっていた。
エヴァンスの代わりに、イカサマだらけの相手とカードゲームをし、私は勝利して。
戦利品だから、私の執事にすると父様に宣言してしたのだ。
エヴァンスはカジノでカモにされていたわりには、何でもそつなくこなすし頭の回転だって早い。
身分の違いだって、理解しているはずなのだ。
からかわれている。
そう思ったから、動揺しながらもエヴァンスの胸板を押し返そうとした。
けれど、私の手はエヴァンスに絡め取られてしまう。
「お嬢は俺が嫌い?」
落ち込んで、しゅんとした声。
いつもは自信満々で、つかみどころがないくせに、捨てられた仔犬のような顔をエヴァンスはしている。
「そ、そんなことはないけど!」
「そう、よかった。俺はね、お嬢が好きだよ。その空回りするとこも、突っ走る性格も。ダメなとこも何もかも愛おしい」
エヴァンスがからかうのを止めてくれない。
熱のこもった瞳には、私が映っていた。
「身分とか、お金とか。そういうのよりも、俺を選んでよ。お嬢」
目の前のエヴァンスが、執事じゃなくて知らない男の人みたいだ。
突然すぎて、頭がついていけない。
「……酔ってるんだよね?」
「酔いのせいにしたいんだ? ……まぁ、酒に弱いから酔ってるけどね」
エヴァンスが、私を解放する。
一歩二歩と下がって、顔を上げた。
そこにあるのは、いつものつかめない笑顔だ。
「そろそろ帰りましょうか、お嬢」
「うん……」
差し出された手に、自分の手を重ねる。
エスコートされるまま、会場を後にする。
頬が熱いのはきっと、飲み過ぎたせいだ。
そんなことを思いながら。