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前編

http://ncode.syosetu.com/n5631dc/


前作「京都のお野菜~明治瓦斯焜炉仕込み~」はこちらとなります。読まなくても本作は楽しめますが、読めばより楽しいかもしれません。


 千年の都とはよく言ったもんだ。一応俺も京都を知らない訳じゃねえ、けれどもこの都を訪れる度に痛感する。歴史の重みってやつが、古都の街角一つ一つに染み付いているんだってことを。



「何をキョロキョロしてんだい、お上りさんじゃあるまいし」



「別にキョロキョロなんかしてねーよ、周囲を警戒するのは癖みてーなもんだ」



「へえ、随分慎重だね......いや、三輪っちは昔からそうだったなあ」



 止まない減らず口は、俺の左隣から聞こえてくる。身長は俺より七寸は低い癖に、態度はひどくでかい。日除けなのか、藤の編み上げ傘を被った頭がちょいと動いた。傘の影から、猫のような吊り目が俺を見上げる。



「何だよ、結城」



「いやあ、昔はさあ、少しからかっただけで食ってかかってきたのにねえ。人は我慢という物を覚えるんだなあと」



「ああ、俺も同じようなこと考えたわ。歳月は口八丁に磨きをかけるってな」



「......言うじゃないか」



「文明開化の恩恵って奴よ、腕っぷしだけじゃ生きていけねえっての」



 俺の台詞を、結城紫音(ゆうきしおん)は小さく笑ってかわす。その笑いにどんな意味があるのか、それは俺には分からない。そんなことより、今はただ。



「それにしてもあっついねえ」



「ああ、マジでそれには同感する。あと四半刻も日向(ひなた)にいたら、溶けちまいそうだよな」



「妖怪人間ならぬ溶解人間ってやつだね」



「おう、上手い事言うねえ――って、誰が妖怪だ、こらあ?」



 暑さで湯だりかけた頭をぐるりと回しながら、俺は低く毒づいた。パタパタと扇子をはためかせつつ、結城はそれには答えない。パチンと小さく音を立て、白い扇子が畳まれる。



「そんなことよりだ。目指す場所はまだ先なのかい。いい加減、僕もくたびれたのだけど」



「堀川御池の近くの宿だ、あと少し頑張れよ」



「そうか、それなら我慢するとしようかね」



 ふう、と小さく息をつき、結城はその口を閉じた。蝉時雨が降り注ぐ夏の午後、これ以上喋るのも億劫なのか。俺もそれに倣うことにする。着いた後は、どうせ嫌でも喋ることになるんだからな。




******




「よく来たね、と言いたいのは山々なんだけどさ。厄介事の使者にでも転職したのかい、君は?」



「どっこい残念、まだまだ政府のお役人の端くれよ。というか、けんもほろろの対応だな、おい」



 結城と俺、三輪十条の間でこんな会話があったのは、十日前のことだ。季節は夏の盛り、大阪や京都は連日の猛暑に喘いでいる。けれど、ここ賀茂はそうでもない。賀茂川の恩恵を被ってか、市街地に比べれば気温は低い。



 だけど、結城紫音(こいつ)の対応まで冷たくなる必要はねえんだよなあ。気持ちは分からなくもねえけどよ。



「そりゃあ首を横に振りたくもなるさね。明治政府お抱えの御用商人が来るからって、何故僕が駆り出されなきゃならないんだい。そんなことは君ら役人達で対応すべきだろ」



「しゃあねえだろ、向こうがお前を名指しでご指名してきたんだからよ。お前だって覚えてんだろ、御一新の時に長州藩(おれら)に武器を卸してくれたんだし」



「ああ、覚えてるさ。ダニエル・カークランドだろ。忘れるわけない、僕に砲術を手解きしてくれたのは彼なんだからな」



 麦茶を一息に飲み干しながら、結城は視線を俺から外した。過去を蔑んでいる訳じゃない、けれども懐かしんでる訳でも無さそうだ。"黒弾の鬼姫"なんて勇名も、今のこいつには煩わしいだけなんだろうな。



 間を外す為に、俺も麦茶を一口飲む。束の間、沈黙が舞い降りた。無理に押し掛けたのはこちらだ。俺と結城が昔馴染みの仲とはいえ、強く出られる立場じゃない。そのくらいの分別はあるつもりだ。



「ダニエルが僕に会いたい理由は?」



「知らね。事前に届いた封書には、せっかく京都を訪れるなら、是非旧交を暖めたしとだけあった。無視しても良かったんだが、あいつの英吉利(イギリス)海軍への影響力を考えるとな――」



「全く、君もすっかりお役人の考えに染まってしまい――」



「なんてのは、上層部(うえ)の言い分さ。お前が嫌なら、無理に来る必要なんかねーよ。俺がダニエルに頭下げりゃ済む話だ」



「けど、それじゃ君の面子も評価も台無しじゃないのか」



 微かに眉をひそめる結城に向かって、俺は笑ってやった。



「馴染みの友達(だち)に嫌な思いまでさせてまで、守る程のもんじゃねえよ。だから嫌なら、別に断ってくれりゃいいぜ。ダニエルも別にお前の為だけに、京都に足運ぶ訳じゃねえんだろうしよ」



「ふぅ、全くそう言われたらさ」



 茶碗を卓に置き、結城は立ち上がった。俺をひたと見据え、はっきりと言い放つ。



「行くしかないだろ、京都まで」



「了解。わりいな、足運ばせて」



「気にすることはないよ、ただし長くは滞在出来ない。畑を見なくちゃならないからね」



 おっと、そうだった。そもそも結城が賀茂に引っ込んだ理由は、ここで京野菜の栽培に励む為だ。水や肥料を与えたり、虫を追い払ったり、小まめに見てやる必要があるらしい。



「そこは構わねえ。お前の都合に任せるぜ」



 その辺りの調整は、俺が仕切ればいいだけの話さ。




******




 その男には見覚えがあった。麻の長袖シャツと揃いのズボンに身を包み、大人しく座布団の上に座っている。暗い茶色の髪は清潔に短く整えられ、均整の取れた体躯によく似合う。

 鼻は高く、顔の彫りが深い。やや赤みがかった白い肌は、明らかに俺達日本人とは違う。けれど、この異国の人間も、笑うと結構親しみを感じさせる顔になる。



「おひさしぶりデスネ。ユウキさん、ミワさん」



「久しぶりだね、覚えていてくれて光栄だよ」



「結城だけじゃなく、俺まで覚えていてくれるたあ嬉しいね。ハロオ、だっけか」



「人の顔と名前を覚える、これはビジネスの基本デス。ましてあの時期、長州藩は私の良き取引先デシタ。それだけ印象も強いというモノネ」



 若干片言ではあるが、ダニエルの日本語は驚く程流暢だ。語学に関しては、一種の天才と言っていいんじゃないか。理知的な光を湛えた深い青色の眼が、結城と俺を交互に見る。

 おっと、そう言えばわざわざ結城を呼んだ理由を聞いていなかったぜ。ここは俺から口火を切るか。



「ところで、ダニエルさん。明治政府との交渉は先日無事に済んだんだよな」



 一拍、間を置く。武器商人は頷きで、俺の言葉を肯定した。そうかい、じゃあ遠慮なく。



「交渉は神戸で行っていたはずだが、この暑い中、京都(ここ)まで足を運んだ理由を聞いてもいいかい」



「オー、そうだね。三輪君が不審に思うのも無理はナイナ。そうだな、簡潔に言えば京都は完全にプライベエト......私的な理由ダヨ。日本の土産を頼まれてイテネ、それを探しに来たンダ」



「わざわざかい?」



「物だけじゃなく、話のネタにもなるからネ。千年古都(ミレニアムシティ)と言えば、遠き島国日本の心の拠り所ダヨ。やはり我が目で見ておきたい」



 大袈裟な身ぶりを加えながら、ダニエルは語る。嘘は言ってねえと思う。けれど、本当の事を全部話しているかは別だな。こいつは武器商人だ。維新志士と幕府方が血を流した戦場としての京都を、直に見たかった――そういう部分もあるだろうよ。



 けれど、わざわざ波風を立てる必要もねえ。重要なのはここからだ。問うた俺の横、結城紫音がふっと息を漏らす。



「さて、京都を誉めていただけるとは光栄至極。僕もこの都を駆け抜けた身だ、重要な神社仏閣を壊さずに済んでほっとしてるよ」



「おお、聞きましたよ、結城さん。貴女、私が教えた砲術で大活躍されたトカ。大したものデス」



「はてさて、どこで聞いたのやらね。でだ、ダニエルさん」



 パチン。結城が畳んだ扇子が軽快な音を立てた。



「ふむ、本題に入ろうということダネ」



「そうさ、あなたは商人だ。実利でしか動かない。わざわざ僕との面会を望んだのも、単に旧交を暖めようって訳じゃないだろう」



「聡明デスネ、結城さんは。それでこそ、わざわざ足を運んだ甲斐があるというモノダ」



 満足げに口では笑みをこぼしつつ、ダニエルの眼は笑っていなかった。結城が黙ったその空白を埋めるように、ダニエルはスッと言葉を滑り込ませる。



「結城さんをね、スカウトしにきたノサ」



「すかうと?」



「ああ、ソーリー。勧誘って言えば分かるカナ。つまりね、うちが卸している大砲(カノン)の砲術士として働く気は無いかって事ダヨ」



「な......んだって?」



 結城の顔が、怪訝そうに歪む。それは俺も同じだ。



「ちょい待った。そりゃあ結城を英吉利(イギリス)まで連れてくってことかよ、ダニエルさん」



「ノーノー、そうじゃあナイ。とりあえず話を聞いてくれないカナ?」



 何とも言えない雰囲気の中、ダニエル・カークランドはすらすらと話し始めた。流石に百戦錬磨の商人というべきか、人との間合いの掴み方が上手い。



「私が武器商人なのはご承知の通りだロウ。極東まで足を運んだ甲斐あって、この日本にも足掛かりを得る事がデキタ。ここまではイイネ?」



「何を今更という感じだね」



「そう、そこデダ。ワタシは気がついたノサ。亜細亜(アジア)英吉利(イギリス)にとって重要な市場(マーケット)になるということニネ」



 ダニエルの話をしばらく聞いて、合点がいった。どうやら、結城を彼の亜細亜(アジア)への商機拡大の宣伝役に使いたいらしい。実際に商談をするのはダニエルだが、扱う品が武器という特性上、実演をする必要がある。その実演を、結城にやってほしいということなのだ。



「大砲や銃の商売は、長期に渡っての交渉になりますカラネ。普段は結城さんには、日本にいてもらって問題ナイ。ただ、私が亜細亜(アジア)の他国――例えば中国や朝鮮に売り込みをかける時だけ、同行してもらえばイイ」



「ふぅん。体のいい看板娘ってとこかな。おっと、僕も娘と言うにはちょいと歳は食ってるか」



「まだ二十台前半ならいけるんじゃね? というか、問題はそこじゃねーだろ」



 結城に声をかけながら、俺は二人の様子を伺う。ダニエルは微動だにしない。結城は少し顎を引き、考え込むような顔をしている。けれども、その目は冷ややかだった。



「年若い女がどっかんどっかん大砲撃ってれば、絵になるって寸法なのかな。あなたの目論みに叶うのは、僕くらいしか人材がいなかったと」



「イエス。付け加えるなら、外見も麗しい方がベターですネ。大砲の技術と見た目を兼ね添えている結城さんは、ぴったりの人材デス」



「お世辞までお上手だ、けれども断るよ。僕もそんなに暇じゃない」



「ほう......給料は弾むつもりデスガ? それでも?」



「お金の問題じゃあないんだ。僕は二度と、軍事的な事には係わりたくない。そう決めたんだよ」



 その返事を受けて、ダニエルは僅かに怯んだようだ。予想よりも結城の反応が芳しくなかったってところか。



「つれないデスネ。あれほど熱心に砲術を習い、明治維新を成し遂げたのに、戦争忌避デスカ?」



「うん。自分がやったことを後悔してはいないけど、もう人を死に追いやる事には手を貸したくないのさ」



「ふふ、良心の呵責デスカ。まあ、それも珍しくナイ。戦場帰りにはよくある症状デス。なるほど、無理には誘えませんカ」



 前髪を払いながら、ダニエルは薄く笑った。結城への嘲笑じゃあない。自嘲でもねえ。目論みが外れたことに対して諦観を決め込んだ、そんな笑みだった。



 蝉時雨が降り注ぐ。わしゃわしゃと煩いその音の暴力に抗うように、俺は口を開いた。



「そうするとさあ、結城の拒絶を飲んだってこたあ、ダニエルさんはもう京都には用は無いってことだよな。このままじゃあんまりだし、俺が観光でも」



「ノー、三輪さん。それには及ばナイ。私はまだ結城さんに話がアル。断られたままじゃ、癪だからネ」



「僕に話? 意思は伝えたよ、ダニエル」



「ええ、貴女の意思はネ。けれども覚悟は見せてもらってイナイ。私は大砲と砲術を貴女に教えた。貴女はそれを使って明治維新に一役買っタ」



「違いないよ。その節はお世話になった」



 結城の態度も口調も真摯だ。邪険にはしていない。けれど、ダニエルはそれを汲み取りつつも、彼の意見をぶつける。



「だが、せっかく新しい日本に変わったというのに、貴女はそれを成し遂げた技術を忌み嫌うという。かっての商売相手が腐っているのを見るのは、中々に忍びナイ。これでは心置きなく帰国するのは無理というモノ」



「そう、ならばあなたは何を望むんだい」



「難しいことではありまセン。かっての黒弾の鬼姫が――今、何を目指しているのかを、私に見せてクダサイ。国を変えた程の技術の代わりに、今のあなたは何で自分の器を満たしているノカ」



 厄介な事になった、と俺は心中で舌打ちする。長州藩から離れて以降、結城が取り組んでいるのは京野菜作りだ。武器商人に野菜でもって何をどう納得させるのか。分が悪すぎる。



 咄嗟に良い考えが浮かぶはずもねえ。ここは俺が頭を下げるか、とちらと考えた時だった。



「承知した、ダニエル・カークランド」



「ほう、受けるのデスネ」



「あなたが僕の砲術の師匠であったことは変わりがない。せっかくの技術を捨てた僕に多少怒りを抱いても、それは理解の範疇だ。ならば、せめて見せようじゃないか」



 夏の風が一陣、宿の窓から吹き込んだ。風になぶられ、後頭部で結んだ結城の黒髪が大きく揺れる。



「今の僕の誠心誠意をね。明日まで時間をいただきたい」



「ノープロブレム。楽しみにしていマス」



 その承諾を以て、結城の挑戦が始まったんだ。

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