第5話「宇宙の片隅で愛を叫ぶ」
アカリが707番州駅受付職員となって1年が経った。ガーディから怒られることもほとんどなくなり、周囲を困惑させる天然ボケも全く見られなくなった。特にジャックの死後から彼女は何かに目覚めたようだった。この年の受付職員の新規採用はなく、現任の4人で勤務シフトを上手くまわしていた。かつては一緒に勤務しなかったミーアとアカリも今では2人で勤務している。この日も駅の受付にはアカリとミーアが立っていた。そして無事に仕事が終わったようだった。
「ふぅ~終わった。おっし! 5連勤を乗り越えたぞ!」
「お疲れ様。すごく嬉しそうね(笑)」
「そりゃあ、まぁ、休みですから。えへへ~」
「ねぇ、良かったらこの後に一杯だけもどう?」
「え? 今からですか?」
「うん」
「ミーアさん、私、未成年ですよ」
「う、うん……」
「まぁ、お酒じゃなければ大丈夫だけど今日はヒロが帰ってきたりもするから、また今度の機会にお願いできます? その時にはヒロのご飯も何とかします」
「そう。残念ね。じゃあ、またお願いね!」
「はい! 是非!」
職場の人間から初めての誘いだった。内心はとても嬉しかったアカリだったが、突然の誘いに緊張して構えてしまった。咄嗟にヒロの事を言ってしまい、断ってしまった事を悔いた。今度2人で仕事に入ることがあればこちらから声をかけてみよう。アカリは帰り道でそう決めた。
翌日の日曜日、アカリはヒロの尾行をした。ヒロはここのところアカリに何も教えずに外出をすることが増えていた。そして1時間も経たないうちに帰宅するところがあった。健全と言えば健全だが……にしても健全すぎる。そんな彼の実態を知るべく、アカリは彼の密偵に臨んだ。
ヒロは教会の方に向かって歩いていた。そしてそのまま教会に到着し、教会の中へと入った。なんと彼は姉の知らないところで彼の信仰を深めていたのだ。これに大きな喜びを感じたアカリだったが、それを確かめるべく彼女も教会の中へ入っていった。彼女が教会の中に入って見たもの。それは彼と同じ年齢ぐらいの少女のすぐ後ろで必死に視線を送って恋するヒロの姿だった。
「ばっ……馬鹿じゃないの!?」
アカリは思わず声をだしてしまった。教会に礼拝に来ている一部の人とヒロが彼女の言葉に反応して振り向いた。アカリは驚き、急いで教会の外へ出た。何と言うことだろうか。アカリは日々懇切丁寧にキリストの信仰をヒロへ伝えてきたつもりだったが、思わぬ形でそれが実を結んだようだ。追跡にもばれてしまった。あのまま教会で礼拝し、たまたまアカリが来た事に来たことにすれば良かったのかもしれない。しかし「馬鹿じゃないの」とは教会で吐いて良い言葉ではない。彼女はただ茫然と707川流域を歩いた。
「あら、日曜の昼間に川沿いのお散歩? 優雅でいいわね~」
突然後ろから聞き覚えのある声がした。振り向くと木製ベンチに座っているミーアがそこにいた。彼女はそこでお茶をたてて、余暇を過ごしていたようだ。こちらの方が明らかに優雅な休日の過ごし方である。
「ミーアさん!?」
「あら、職場以外で会うのは初めてじゃない。散歩でもしていたの?」
「いや、何て言うかその……」
「まぁ、横にでも座りなさいな」
「はい。いいけど……」
「?」
「ミーアさんの格好がババ臭いです」
「………………」
ミーアはお茶を啜るときつい視線をアカリに突き付けた。思わず「ひっ!」と恐れおののいたアカリだったが、ミーアが怒ったのはその一瞬だけだった。それからアカリとミーアはお互いのことを語り合った。駅員を志望した理由から出生した時のことまで。2人の語らいは気がつけば陽が沈むまで続いていた。
ミーアはヒロと同じクローン生体の宇宙孤児だった。ただしナチュラルでなくイヴォーヴであり、食生活に苦労はないようだ。幼い時より533番州の施設で生活を過ごしてきたが漂流した707番州の空気の良さを忘れることができず、連邦公立校卒業後にいくつかの駅の駅員を経験して、駅の駅員となって707に戻ってきたとのことだ。ミーアの生き方の話に感動したアカリは気がつくと今日してしまったことを自然と相談していた。
「あら、それはどちらさんも災難だったわね」
「そうですよね。私はともかくヒロを傷つけてしまったかと思うかと」
「うふふっ。大丈夫よ。そんな事は時間が経ってしまえば忘れてしまうものよ。それに貴女達の絆ってそんなやわな事で崩れるようなものではないでしょ?」
「そうですよね! ありがとうございます!」
「私も結構前に息子のラブレターを見かけてね、誤字脱字を訂正してあげたのよ。でも余計だったのかしらね、しばらく口を利かなくなったわよ。でも時が経てば忘れるものよ。今日も会って普通にお話をしてきたわよ」
「そうなのですか。ミーアさん、息子さんおられたのですね?」
「うん。この辺に住んでいるのだけどね。今高校に通っているわよ」
「へぇ~。ん? 会いに行っているって?」
「離婚していてね。元夫に見つからないようにコッソリ会いに行っているのよ」
「そうだったのですね。え、待って、ラブレターを見かけて書き直したって言うのは、息子さんの知らない間にやったのですか!?」
「ええ。裏口から入ってすぐの所にお部屋に続く階段があるのよ♪」
「ってかそれストーカーじゃないですか!?」
「何よ! ストーカーじゃないわ! 私は母親よ!」
「え、その、何かすいません、でも、あ! もうこんな時間! 早く帰らないと! ヒロがお腹空かせて待っているかも!?」
「あらあら『顔が合わせられないかも』じゃなかったっけ?」
「私達の絆ってそんなやわな事で崩れるものではない……でしょ?」
「そうだったわね。よくわかっているじゃない」
「えへへ~」
「アカリちゃん」
「?」
「今日はありがとうね。休みが重なったらまたご一緒しましょう?」
「うん! 今度はミーアさんのお茶飲ませてくださいね!」
「喜んで」
こうしてアカリはミーアと別れた。家に帰るとヒロが自分の部屋で寝ていた。いや、寝ているフリをしているのがバレバレな状態だった。
「あれ~お姉ちゃん弁当買ってきたのになぁ~?」
「………………」
「寝ちゃっているのか。仕方ない私が食べようか。勿体ないの~」
「うっ…………」
ヒロのお腹が鳴った。彼はしぶしぶ共用リビングに出てきた。
「姉ちゃん、礼拝しに来ていたのかよ?」
「え? ああ、でも突然電話が入っちゃって。昨日職場に忘れ物したのよ。思わず声がでちゃってね。ごめんね。でもさ、ヒロってば実は教会に通っていたのね。お姉ちゃん感心したよ。偉いじゃない?」
「う? うん、オレも姉ちゃんにちょっとは見習おうと思って」
「本当かぁ~このぉ~!」
「うわっ! やめろよ!」
アカリはヒロの事がわかっていた。だからこそ知らないフリをすることにした。
翌日の朝、アカリはアカリのするようにヒロが祈りを捧げているのを覗き見た。彼女は素直に喜んだ。そして何だかミーアの行動に共感できたような気がした。
この翌週からアカリはヒロも含めてミーアと交流をするようになった。休みが合う日は3人で水族館や動物園の観光をすれば、数学の資格を多種持つミーアがヒロの家庭教師をする日もあった。またアカリとミーアの2人で仕事終わり等に光合成センターへ寄ることも。ガーディもこうした背景を理解してか、いつしか2人が一緒に働く日が増えて休みが合う日も増えるようになった。友情は自然と結ばれるもの。そこに変な理屈など一切いらないのだろう。
その出来事はある日突然起きた。アカリとミーア、キャンベラの3人で仕事を終えた週末の夜のことだった。この日は水族館での大きなイベントがあり、駅も多忙を極めていた。当然駅の受付業務も大変な仕事を強いられた。仕事を終えた3人はクタクタになりながらも互いの健闘を讃え合っていた。
「いや~今日は忙しかったわね~。明日もこんな感じかしら?」
「ウン。イッパクシテカエルオキャクサマモオオイカラ、タイヘンカモ」
「明日は私とガーディ先輩の2人だったっけ? 大丈夫かなぁ~」
「ガンバリナヨ。イマハガーディサンノコト、コワクハナイノデショ?」
「いやさ、そうじゃなくて、あの数を2人だけで対応しきれるのかって思ってさ」
「ワタシガテツダオウカ?」
「キャンベラ、明日はメンテナンスの日でしょ?」
「ウン。デモイヤダ。エキチョウエッチナトコロバッカリサワッテクル」
「あらあら、それは電池の位置の問題なんじゃない? それとも……?」
「もうっ、ミーアさん、そのいやらしい目やめて!」
「冗談よ。うふふ……ぶっ!? ごほっ! ごほっ!」
「!?」
ミーアは急に激しい咳き込みを始めた。そして虚ろな目を見せると、その場で倒れてしまった。口を押えていた両手には血痕がしっかりついていた。
「ミーアさん!? た、大変!! キャンベラ! 至急救急車を呼んで!」
「ワ、ワカッタ!!」
キャンベラの通報機能発動によって救急隊はワープを使ってすぐにやってきた。ミナトは707に不在の為、病院へはアカリが同伴することとなった。
「すいません。え~おたくはこちらの御家族さん……ではないね?」
「はい、同じ職場の者です」
「こちらのランバードさんにご家族は?」
「え?……えっと……家族は……」
「いないの?」
「その……実は宇宙孤児の方で……」
「そう。じゃあお手数だけど受診結果が出るまで同行お願いできますか?」
「はい! もちろんです!」
アカリは救急隊の質疑に答える中で、何だか寂しく悲しい気持ちになった。今ミーアには身寄りと呼べる身寄りがいないのだ。離縁した元家族を除いては。
706番州にある連邦病院までミーアは搬送された。そして緊急処置を受けた。どうやら一命は取り留めたようだ。その知らせを聴いたアカリは安心した。でも、その一方で何とも言えぬ違う不安が続いていた。やがて医者から声がかかった。アカリは案内されるままに受診室に入室した。
「どうも。ランバードさんの御家族、いや、その替わりと見て良いのかね?」
「はい……」
「あい。わかった。単刀直入に言うが彼女は急性の腎不全を起こしたみたいだ。ま、問題はそこじゃなくて、ありとあらゆる器官の障害がみられるということだ。これを見たまえ」
「!」
「この写真を見てわかるように原形をとどめちゃないよ。これはクローン人間の神経衰弱による末期症状のようなものだ。ま、よくもってあと半年だ。動く事は勿論、立つこともままならないだろう。どんな手術をしても延命は叶わないね」
「そんな……」
「クローンの平均年齢は45歳だと言われているのだよ。ここまで頑張ってこられた事だけでも称えてあげるべきだと思うがね。悪いが私共の病院はいっぱいだ。紹介状書いておくから、クローン終末期の支援ができる施設で最期を迎えさせてあげたらどうだね? 707にも幾つかあるからね。あ、そうそう、この件はどうする? 私共から伝えるかね? それともオタクさんから伝えるかね?」
「私達でします」
「ん、それがいいだろうね。あい。わかった。その間にお世話できる所を探しておこう。くれぐれも本人の混乱を招かないように頼むよ。無知な人はクローンが寿命の短いことを知らなかったりもするからね。あい。行ってあげなさい」
余りにも淡々と事実を告げる医師に怒りを感じたアカリだったが、それ以上に事実を知ったことによるショックで彼女はすっかり青ざめてしまった。それからすぐにミナトとガーディに連絡をとったが、今日駆けつけることは難しいようだ。ミーアに事実を告げるのは自分しかいない。極度の緊張と恐怖が彼女を苦しめた。
共同部屋の病室。そこにミーアはいた。アカリを見ると穏やかな微笑みを浮かべた。アカリはゆっくりとミーアに近寄った。しかし体が震えて言葉が出ない。彼女はただ困惑していた。話しかけてきたのはミーアからだった。
「私、あとどのくらいなの?」
「!?」
「そうびっくりしなさんな。自分の身体の事ぐらい自分でわかるわよ」
「ミーアさん……うぅ…………」
アカリは溢れる涙を止められず、そのままミーアに縋りついた。ミーアは咳き込みながらもここまで来てくれた後輩の頭を撫でた。本当は40歳となるまでに退職をしなければならなかった。しかしリッカの殉職、ガーディの不安定な復帰、リンダの退職があって彼女には逃げ場所がなかった。そして何よりも駅員であることが彼女の誇りであり、彼女の何よりもの居場所だった。ミナトもそんな彼女を理解し、彼女の「最後まで働き続けたい」という意思を誰よりも尊重していた。ガーディもそれに共鳴していた。しかし現実とはある日突然牙を剥いてくるもの。容赦などなかった。
翌日、ミーアは707にある終末期患者支援センターに搬送された。アカリは突然の臨時対応に応じてくれたと言うことで休暇を貰えることになった。やはりメンテナンスを延期したキャンベラがアカリを気遣って出勤を希望したようだ。アカリはこの知らせを聞いた時から彼女のする事を決めていた。
707番州ナイド27番通り、中心街から随分と離れた農家の並ぶ町にその家はあった。アカリはミーアの個人資料等から彼女の息子のいる家までやって来た。チャイムを押す。出てきたのは大柄の男だった。
「はい?」
「オマリーさんのお家で間違いないでしょうか?」
「そうですが何か?」
「えっと、私、クリスティという者ですけど、この街の駅受付員をしています。実はお願いしたいことがあって来させていただきました。息子さんのアッシュ君はおられますか?」
「息子は関係ない。帰って下さい」
「ちょっと待って! お話だけでもさせて下さい!」
「うるさい! 今息子は受験勉強で忙しい! 話ならそれが終わってからにしろ!」
大男はそう言い放つと、一度閉めようとしたドアを強引に閉めた。これに怒ったアカリは近所に響きわたるぐらいの大声で喋り始めた。
「アッシュ・オマリー君いますか! 貴方のお母さんのミーアさんはもう長くありません! 聴こえるならどうか来て! どうか来て下さい! この町の『ナイツ・ホスピス』と言う病院にいます! アッシュ君を待っています! どうかお母さんを見捨てないで! 最後の最後でもいいから傍にいてあげてよ!!」
アカリが大声を言い放った直後にドアが開き、先ほどの大男がバケツを持って現れ、躊躇なくバケツに入った汚水をアカリに浴びせた。「帰れ!」とただ怒る男。その横で恐る恐るアカリの顔を覗き込む女性。ミーアに似ているような雰囲気がしたが彼女とは全くの別人だ。非道な仕打ちを受けたアカリだったが彼女は何も言わずその場を離れることにした。その際に家の2階からこちらを覗く男の子が一瞬見えた。聴こえてさえいれば……アカリはそう願って自身の身体と服を乾燥させるべくナイド通りの光合成センターを目指した。
翌日ガーディと仕事を終えてミーアのお見舞いに向かった。つい昨日に悲惨な事があったばかりだが、アカリはミーアの安穏をただ願うばかりだった。後々にキャンベラとミナトも駆けつけるらしい。キャンベラはメンテナンス期間に変わりはなく、昨日無理をした分、暫く仕事は難しいとの事だ。新入社員が入るまでガーディと2人して無休で働く。そんな勤務状況が始まった日でもあった。
ホスピスの病室。ミーアはこれまでと変わらず穏やかな表情でアカリ達を迎え入れてくれた。とても最期を迎える人間には見えなかった。アカリ達が来る事を知ってか、お茶を5人分たててくれていた。
「まぁまぁ、飲んで。お仕事で疲れたでしょうに。わざわざありがとう」
「それはこっちの台詞よ。わざわざありがとう」
「うん。何ていうか数少ない私の特技だから。美味しくないかもだけど」
「いいえ。美味しいわよ。ねぇ、アカリ?」
「はい! 私はいつも楽しみにしていますよ~」
「アンタ達、いつも仲良くしているものね~」
「えへへ~」
「そこ貴女の照れるところ? まぁ『持つべきものは友』って言うじゃない。それはそうと、貴女は今も休日は一人で寂しくピクニックとかしているのかしら?」
「う、うるさいわね! 寂しくないし! ピクニックとかじゃないし! 観光だし!」
「ミーアさんからもネタにされているのね……」
「もうっ! 怒るわよ! ア・カ・リ~」
「ひいっ!」
「あははっ! 本当に怖がっているみたい」
それから直ぐしてミナトとキャンベラが入室してきた。
「おっ、もうみんないたのか!」
「ワ~ミーア、オチャアリガト~イタダキマス!」
「キャンベラ、飲むのが早いって!」
「ついさっきエネルギー注ぎ込んだばかりだからな。精気に溢れているぞ」
「ウン! エッチナトコロバッカリイジッテキテ、ホントサイッテダッタヨ!」
「おいこらっ! ただの修理だろ! 勘違いされること言うなよ!」
「ダマレエロオヤジ!」
「あらあら、貴方もそろそろ結婚しないと誤解が誤解を生み始めるわよ?」
「ミーアさんも言うことに遠慮がないよな……」
「んん……」
「ミーア、どうしたの?」
「うん。眠たくなってきたみたい。無理をすると、眠気がきて身体の活動を制御するのだって。ごめんなさいね。せっかく来てくれたのに」
「いいえ。悪いのはこっちよ。ごめんなさいね。無理なんかさせて」
「そうだ。もしかしたら明日から目が覚めないのかもしれないから、一人一人に一言残しておこうかしらね?」
「ちょっと止しなさいよ。そんな縁起でもないこと……」
「ソウダヨ! マタアエルノダカラ、ソンナノハヤメマショウ」
「いや、聴こう。せっかくミーアさんが無茶してくれているのだしさ。それこそここで言うことを聞かないのは不誠実じゃないか?」
「駅長……」
「ありがとう。ミナト君。じゃあさっそく貴方に。早く結婚しなさい。素敵なお嫁さん見つけなさいね」
「はっはっは。こりゃあお見合いしなきゃいけないな!」
「キャンベラ」
「ハイ……」
「貴女は変わらないで。いつまでも変わらない貴女でいて。この街の宝物だから」
「ワカッタ…………アリガトウ」
「ガーディ」
「うん」
「みんな貴女を慕っている。みんな貴女を信じている。それを忘れないで。貴女と一緒に仕事ができて私は幸せだったわ」
「ええ。私も抱いている気持ちは同じよ。お疲れ様。またゆっくり話しましょう。それまでゆっくり休んで――」
「まだ寝ないわよ馬鹿。アカリ……最後に貴女なのね……アカリ」
「は、はい!」
「私は貴女が大好きよ。だから私のプライドの全てを貴女に託します。私の……」
ミーアはそのまま眠りについた。アカリはずっと彼女の手を握りしめていた。全員わかっていた。彼女の「もう目が覚めないかもしれないかも」という言葉が決して冗談ではないことを。駅職員一行は静かにミーアの病室を出た。
それからミーアはほとんど目を覚ますことなく病室で日々を過ごしていった。駅職員達は通い続けたが目を覚まさないミーアとの対面に疲れてしまったのか、次第に通わなくなった。しかしアカリは違った。彼女だけは変わらず通い続けた。ミーアの手を握り、ずっと声をかけ続けた。時にヒロを連れ出すこともあった。ただ寝続けているミーアに何ていえば良いかわからない彼だったが「ありがとう」「早く治してね。また勉強教えて欲しいし」とたまに自ら声をかける事もあった。また実は仏教徒でもあった彼女の同志と遭遇することもあった。アカリとの親交が目立つミーアだったが彼女を慕う人の数はアカリ達が想像する以上に多かった。
ある日アカリがいつものようにミーアの病室に行くと、眼鏡をかけたふくよかな女性がミーアの傍に座っていた。マクヴェルと名乗る女性は赤くしている目を隠して「ごめんなさいね」と言い、病室を出ていった。「隠さなくてもいいのにね」とアカリは呟いた。そしていつものようにミーアの手をしっかり掴んだ。
「ミーアさん、今日も仕事だったよ。さっきの人は誰だったのかなぁ? あんなに悲しんでくれる人がいるなんてさ、幸せ者だよ! もう1回ぐらい目を覚まそうね。みんな、みんなミーアさんの笑顔を待っているよ……!」
この直後に病室に誰かが入室した。振り返るとそこに眼鏡の少年が立っていた。どこかで見たことがある少年だと思ったアカリは「アッシュ君?」と尋ねてみた。すると少年は頷いた。そして母親の側にゆっくりと歩んだ。アカリはそっと傍を離れ、その場をアッシュに譲った。
「母さん……」
アッシュは涙を流しながらミーアの手を力強く握った。
「アッシュ……」
「!?」
うっすらとだがミーアの目が開いた。彼女はしんどそうでありながらも最後の力を振り絞って話を始めた。アカリもアッシュも驚くばかりだったが彼女の言葉は小さな声でも部屋中に響いていた。
「嬉しい……来てくれるなんて……お母さん思わなかった……私達の仏教では…………死んだら生まれ変われるのだって……私ね……生まれ変わったら……もっと……もっとちゃんと…………うんとあなたのお母さんしたいなぁ」
「母さん!」
「アッシュ……アカリ……ありがとう……私は……」
ミーアはアッシュの頬にそっとキスをするとそのまま再び眠りについた。気がつけばアカリも流れる涙を止められずにいた。一瞬の出来事だった。そしてそれは束の間の奇跡だった。
それから3日後にミーア・ランバードは永眠についた。その3日間、アッシュはアカリと共に生みの母に寄り添い続けた。反対する父に強く要望を訴え、家出も同然で学校から通い続けたようだ。最後の瞬間、そこにはヒロも居合わせた。呼吸が激しいミーア、懸命に声をかけ続けるアッシュとアカリ。呼吸が止まってからは静かな時がただ流れた。余りに静寂だった。ただアッシュのすすり泣く声のみが部屋中に響き渡った。
ミーアの葬儀は彼女の信仰する仏教徒によって慎ましやかに執り行われた。駅職員からはミナトとキャンベラが出席した。ミナトはその席上で「私達707の駅はいつも貴女の心と共にあります……!」と力強く言葉を残した。キリスト教徒であるアカリ達は駅が執り行った告別式に顔は出したものの、葬儀には出席しなかった。できなかった。その替わりに彼女達はナイド通りの墓地公園に建てられた彼女の墓へ後日墓参りに行った。ミーアの墓には多くの花、彼女の愛したお茶の葉と湯呑が飾られていた。アカリ達は彼女達の祈りを捧げた。
「なぁ、姉ちゃん」
「うん?」
「オレも長生きできないのかな……早く死んでしまうのかな?」
「何言っているのよ? まだまだ先の話じゃない」
「オレってナチュラルでしょ? ミーアさんはそうじゃなかったからさ……」
「あのさ、アンタさ、ミーアさんが不幸だったでも言いたいの?」
「違うよ! 断じて違う! オレは怖いだけだ……」
「だったら悔いを残すな!」
「!」
「あの人は最後まで『私は幸せだ』と言い続けた。それでも不本意な一生だったかもしれないよ。でもそれでも私はあの人が好きで、好きで仕方なかった」
「…………!」
「いつ誰が死ぬかなんてわからない! もしかしたらヒロより私の方が先なのかもしれない。だったら誰よりも最高に幸せだと言える思い出をいっぱい作ろうよ! ミーアさんが私に、私達にそうしてくれたようにさ!」
「姉ちゃん……ごめん……」
アカリとヒロは抱き合った。アカリの瞳には涙が輝いていた。この一瞬も彼女にとっては愛おしくてたまらない瞬間に他ならなかった。絆は消えない。そこに確かな愛情がある限り。
翌日707番州駅受付職員に新人が入社した。いや、再入社と言った方が良いのだろう。約7年ぶりの復活であった。
「本日付で入社いたしました。リンダ・マクヴェルです! 宜しくお願いします!」
「あ……あなたは!」
アカリはハッキリと思い出した。病室で出会ったあの女性そのものだったのだ。
「おかえり。リンダ。頼りにしているわ。ほら、アンタも挨拶しなさいよ」
「え、あ、はい、アカリ・クリスティと言います。宜しくお願いします!」
人の縁は思いもよらぬところから始まるもの。今日も人は出会いと別れを繰り返してドラマを綴っていくのだろう――
∀・)読んでいただき有難うございました♪ミーアさんの人生から何かを感じて貰えれば幸いです。家族、その形は人それぞれなんだなぁ。
∀・)次の第6話、第7話の発表をもって、本作は終わります。いよいよクライマックスに突入していきますが、アカリ、707番州駅のみんなと共に駆け抜けていきたいと思います。乞うご期待ください!