第1話「アカリ・クリスティ」
「西暦3000年初期頃に人類は地球から宇宙へ歩みを進め、コロニーの建設を取り組み始めた。前回の授業で学んだように、人間はこの頃には日常生活の中で光合成によって栄養摂取できるようにもなり、月や火星のテラフォーミングをはじめとした人工宇宙開発が活発となった。まさに科学が急伸していた時代と言える。ではこの時代に建設が始まったコロニーは何か答えられるかな? ハヤト」
「はい! “Father”と“Mother”です!」
「そのとおり。キチンと2つ答えるとは偉いな。ではどっちがどの圏域に建設をされたか、エレナに答えて貰おうかな?」
「はい、えーと“Father”が金星圏で“Mother”が火星圏だったと思います」
「そのとおり。2人ともちゃんと勉強しているようで先生は嬉しいぞ。さてテキストに戻ろう。この頃までは軌道エレベーターで地球と月は繋がっていたのだが、ここにきて軌道エレベーターを取り外すこととなった。その理由は分かるな?」
「先生、それ先週やったところですよー」
「わかっているよ。だからこそ答えられるようになんないといけないだろ? さぁ、答えてみなさい。アカリ」
「……………………」
「どうなの? アカリ」
「……………………」
「起きなさい! ミズ・クリスティ!」
「ふぇ? 痛ぁっ!」
教師は持っているテキストを閉じ、それで呆然としている生徒の頭を叩いた。
「今は社会の時間だぞ。なんで生物の教科書なんか出しているの!?」
「え、いや、来週が試験だから授業始まる前にちょっと復習しようと思って……でも見ていたらこの熊さんがスゴ~ク可愛くて」
「それで見惚れていたの?」
「はい! えへへ~」
「はっはっは! 面白いコだな! アカリちゃんは!」
教室にいる約30名の生徒も爆笑した。しかしその直後に教師の罵声が教室に響き、生徒たちは沈黙した。それからアカリは放課後に歴史科教師のハーフナーに呼び出されることとなった。
「それで? 実際勉強の方はちゃんとしてきたの?」
「はいっ。もうばっちりですよ!」
「本当かよ? 他の先生からも悪い話ばかり聞くぞ」
「悪い話ってなんですか? 私ちゃんとしていますよ!」
「いや、ちゃんとと言うかな……じゃあいま社会歴史科でやっているのは西暦何年?」
「3000年代ぐらい?」
「お、おう。そうだ。それでその時に人類がとりかかったことは何だ?」
「えっと、“Cocoro”の建設!」
「おい、いきなり凄まじくタイムスリップしているな」
「え? 何で? その時にマザーとファザーっていうココロを創ったって……」
「あのな。お前そもそも『コロニー』って何なのかわかっているのか?」
「はい! 今私たちが住んでいる場所のことですよね!」
「そう! そしてオレたちが住んでいるコロニーの名前は!」
「コロニー!」
「はぁ……」
「先生どうしたのです? まるでこの世の終わりみたいな顔して……」
「なるよ! ここ普通のコじゃ入れない学校だぞ! それがどうしてこんなピントの外れた答えを出す生徒がいて、しかもそれが親友だった奴の娘ときたら……」
「え!? 先生、パパとお友達だったのですか!?」
「ああ。お前さんがオレの科目を履修してくれた時は凄く嬉しかったのによぉ」
「うぅ……だから先生、私のこと怒ってくれたの……ぐすっ……」
「お、おいおい泣くなよ! オレまで泣きたくなるだろぉ……」
アカリ・クリスティ。ここ木星圏唯一の宇宙コロニーにして連邦合衆国であるCocoro連邦の国会議員、ダイノ・クリスティの娘だ。幼い時から裕福な暮らしをしてきた彼女だが、その性格は良くも悪くも天然で、時に周囲を困らせる程のものだった。その学習能力も周囲が目を見張るほど悪く、ダイノと親友関係にあったハーフナーの協力もあり、留年することなく連邦公立高を卒業できた。試験の度にギリギリ赤点越えを成し遂げ続けたという、まさに奇跡の軌跡だ。
卒業式の日、アカリは親友のエマーニと共に感涙をしながらその日を迎えた。ハーフナーの目にも何故か涙が溢れていた。
「ほら、アカリ、もう終わったのだから泣くのは止めなよ」
「うぇ……ひっぐ……だってあんなに歓声があがるなんてぇ……」
「そりゃ、卒業式だもの。みんな温かいよ。ハーフナー先生も泣いているよ」
「あ、本当だ。そんなに嬉しかったの!? うっうっ……ぐすっ」
「もう……そういえばアカリは就職するのだって?」
「うん。エマーニは大学進学だった? ぐしゅっ」
「うん。みんなと同じ003だけどね。でも就職するのってアカリだけだよね? 何だっけ。役所だっけ?」
「役所じゃないよ。駅員」
「駅員!?」
「うん。面接で一生懸命国家斉唱したら受かっちゃった。『キミ、元気がいいね。気に入ったよ』って。うぐっ……ハンカチがぐしょぐしょになっちゃったよ。持ってない? ぶぇへっ!」
「国歌斉唱!? そんなこと面接でさせられるの!? 一体どこの駅よ?」
「いやさ『何か特技は?』って聞かれたから『国歌斉唱すること』って答えて。それで。ねぇ、ハンカチ持っていないの? ぶふっ」
「そりゃあんたが変わっているよ。アカリはホント“持っている女”よね~。よく採用してくれたものよ」
「ねぇねぇ、ハンカチ持ってないの?」
「今、アカリが持っているのが私のハンカチなのだけど」
「あ」
アカリの出身地は都心部にあたる701番州から遠く離れている707番州という地にある。自然豊かな地であり、多くの森林と707川という大きな川の川沿いに色鮮やかな家々が綺麗に並んでいるのが特徴だ。その地域に住む多くの人々が農業を営み暮らしている。特にワインの生成などが盛んだ。また自然保護区域もその州の中に設置され、多くの動物が生息している巨大動物園や巨大水族館が運営されている。
アカリは幼少期の時に未確認の宇宙病によって母を亡くした。それからは祖父母に707番州の田舎町で育てられて過ごしている。しかし父の方針で連邦公立高を受験し、それから数年間を701番州の学生寮で過ごしている。この期間に彼女の祖父母は他界しており、今となっては身寄りがいない帰省となっていた。
一人で地元へ帰省。それは寂しがりやの彼女にとってはとても耐えられるものではなかった。その為もあり、彼女は2人暮らし用アパートの入居を決めていた。そして彼女は地元に到着してすぐ、役所近くの宣伝用掲示板スペースを訪れた。
「あった! 同じ19歳だ! しかも公立高卒! 島? ま、いっか!」
彼女が目を輝かせてみたのは『ルームシェア希望』の一覧であった。彼女は掲示板の画面をスライドさせ、自身と同じ年齢と同性である『アイシャ・ハーン』の希望に承諾のボタンを押した。
「♪」
彼女は予てから入居手続きを済ませた新居のアパートに到着した。そして彼女が住む303号室に到着すると、その玄関前に全身黒ずくめの人間が立っていた。
「だ、誰ですか!? 警察呼びますよ!?」
「あ、あのーアカリ・クリスティさんですか?」
「そうだけど……って何で私の名前知っているのよ!?」
「あ、申し遅れました。私、683番州出身のアイシャ・ハーンと言います」
「え? いや、そんな馬鹿な……。こんな直ぐに来られるなんて……」
「うふふっ。今の時代、半径1km範囲なら『ワープ』が使えるのよ? ちょっとお金がかかるけどね。ニュースとか観てないのかしら?」
「芸能ニュースとかなら……って何いきなり親しげになっているの!? まずはその被り物外しなさいよ!」
「まぁまぁ、こんな所ではなんだし、お家に入って話しましょう♪」
「………………」
アカリはしぶしぶアイシャと名乗る女性と共に新居の家の中に入ることにした。黒ずくめの女性は家に入るとすぐに被り物を外し、素顔を露わにした。その顔は驚くほどの美貌で、アカリが掲示板スペースにて確認したアイシャ・ハーンそのものだった。ここでも驚くアカリだったが、彼女はアイシャの信仰するイスラム教を知らなく、懇切丁寧にアイシャが教えてく手筈となった。
「そうか~そんな信仰もあるのね。私知らなかったよ。プロフに書いていた?」
「ちゃんと書いたわよ」
「うーむ。公立校卒なのと島の関係者なのはわかっていたけどさ……」
「島ってあなた……コロニーにそんな所はないわよ? 『Islam』と『Island』を間違えたのかしら? 綴りはこうよ……」
「おお~なるほど。アイシャ頭いいね~」
「いや、島なんて言葉を知っている貴方もなかなか博識そうだけど……」
「うん。ハーフナーって先生から地球のお話をよく聴いていたから。ねぇ、貴女ってこの町じゃあんま見かけない格好しているけど、なんでこの町にきたのさ?」
「両親が半年だけ気ままに1人暮らしさせてくれるって言ってくれたの。もちろん『戒律を護るなら』って約束でね。それでどこがいいか考えてみたのだけど、この州には巨大な動物園や水族館があるから自由気ままに過ごしてみたい街だと思って。ここ数年で多くのイスラムの同志が訪れている街だとも聞くし」
「おお~嬉しい! そんなにまで707を愛して貰えているなんて! 任せてよ! 私、ここの育ちだからどこでも案内するよ!」
「本当? うふふ。楽しみね。半年間よろしく、アカリ」
アカリとアイシャはあっさりと1日で打ち解けることができた。ただ、熱心なイスラム教徒であるアイシャだが、アカリもまた熱心なキリスト教徒であった。入居の翌日、アイシャの荷物が届くということで彼女は自宅にいないといけなかったが、アカリはこのタイミングで「用事があるの」と言って外出した。行先は幼少期に通っていた教会だった。
アカリが幼い時に通ったアビー38番通りの先に大きな教会がある。何年ぶりになるのだろう? ここ十年近く通い詰めた701番州の大きな教会と比べれば実に小規模だが、訪れている人は以前よりも増えている印象を受けた。
教会に着き唖然としていると、後ろから声をかけられた。アカリが幼き頃から家族に声をかけてくれていたロムニー神父だった。彼は盲目であるが、第六感を増強する手術を受けて、限りなく見えるに等しい感覚を得られるようになった。しかしその副作用による苦しみはきついもので、その葛藤の中で信仰に目覚めたのだという。祖父からそんな話を聴いた事を思い出した。また同時に何とも言えない懐かしさがこみあげ、感動が溢れるようだった。
「うぅ……ロムニー神父なのですね!」
「おお! やっぱりアカリちゃんか! なんとなくそんな感覚を感じていたよ! 随分と大きくなったな!」
「むぅ! 太ってないもん!」
「あ、いや、そういう意味じゃないのだけど……なんかごめんなさい」
「神父さんは元気にしていたの?」
「ああ。私が君に聞きたいぐらいだよ。もう学校は卒業したのかい?」
「うん! 来春からこの街の駅で働くの!」
「お~そうか! それは頼もしいな。今日は礼拝しに来られたのかい?」
「あーそうじゃなくって、実は相談ごとがあって……」
「ほう。聴こうか」
それからアカリは相談部屋に入ってロムニー神父に相談をした。内容はこの度ルームシェアをしたアイシャがイスラム教徒であり、仲良くやっていきたいが信仰上問題がないか、また正直不安であるというものだった。もっとも、その相談の告白に至るまで紆余曲折を何度も経てだが。
「ふむ。わかった。ようやくわかった。島とイスラムの綴りの話は置いといて、異教徒の彼女と共に生活ができるかどうかということだな」
「うん! まさか同じ綴りだなんて思わなかったの!」
「だからそれはそもそも違うというか……もういい。その話は置いておこう。簡潔に、その相談に関しては『何も案ずることはない』だよ」
「何も案ずることはない?」
「そう。人類が宇宙に進出する以前から我ら2大宗教は世界規模で共和を果たしている。歴史がそれを証明しているのだ。勿論価値観などの違いから争いが生じたことは度々あった。もしかしたら君たち2人もぶつかることがあるかもしれん。しかし信仰する対象が違っても同じ人間で同じ女性じゃないか。何も難しく考えなくていい。宗教のことは置いといて善き友になればいい。そうすることで主もきっと喜ばれることだろう。良き友達となるのだぞ?」
「うん! ありがとう! じゃあ何も気にせずにアイシャとお友達になるね!」
「ああ。そうだ。それで良い。せっかくだから2人の友情が良きものとなるよう、祈りを捧げてみたら如何かね?」
「うん! そうするよ! 神父様!」
アカリは幼少期より教会に通い続けている熱心なキリスト教徒だ。その熱心さは親譲りでもあり、彼女自身の元来持つものなのかもしれない。
彼女は教会での礼拝を済ませるとロムニー神父に深々と御礼を言った。
「色々ありがとう! またここに来るね!」
「うむ。待っているとも。あ、そうだ。ここの隣町に『光合成センター』がある。アイシャと共に行ってみたらどうだ? 裸一貫の付き合いも良いキッカケだぞ」
「ありがとう。へぇ~この辺にもできたのね~。もうっ! 神父様のエッチ!」
「あ、いや、そういう意味じゃないのだけど……なんかごめんなさい」
アカリは「用事」を済ませると、自宅のアパートにまっすぐ帰った。自宅ではアイシャが豪勢な御馳走を作って待ってくれていた。
「うわぁ~すごく美味しそう! アイシャが作ったの!?」
「うん。今日は私が色々お邪魔していたようだからね。その御礼よ」
「そんなことないよ~私も色々用事があったから出ていただけだよ」
「何の用事をしていたの?」
「え? いや~あんまり言いたくない用事かな?」
「正直に言いなさいよ。半年は一緒に暮らす仲でしょ?」
「その……教会」
「そう。やっぱりあなたクリスチャンだったのね」
「うん。もしかしてアイシャたちにとって忌まわしい存在かな?」
「そんなことないわよ。信仰に生きるのならそれは例え違っていても、お互いに尊ぶべきものだと思うわ。少し残念だったけども、異教徒のお友達ができて私は嬉しいわよ」
「あはは……」
アイシャに抱き付かれたアカリは照れ笑いをした。ロムニー神父の言葉を思い出し、良き友人と巡り会えたことに感謝した。それからよくよく話を聴いてみると、アイシャはかなりの良家の娘であり、半年後には嫁ぐフィアンセがいることもわかった。また半年の一人暮らしとは名ばかりで、週4日は地元の683番州に帰るのだと言う。実は光合成に関しても戒律があり、それも地元の683番州に戻る4日間で済ませるという。つまり彼女は707番州の定期観光、あるいはもっと簡潔に言うと、気軽なお嬢様の短期留学のようなものでやってきたのだ。しかしアカリはだからこそこの半年間を「彼女に満足してもらおう」と思った。
それから半年間、アイシャが滞在する3日間は707番州の動物園や水族館、あるいは707川流域の町々を巡るなどして楽しい日々を過ごした。案内をすると張り切っていたアカリだったが、観光ガイドなどを綿密に調べていたアイシャの方がはるかに詳しく、気がつけばアイシャの案内で観光を楽しむ流れとなっていた。時にアカリが迷子になってしまったこともあり、アイシャに迎えに来てもらうこともあった。当初はあまりにも頼りないアカリに困惑していたアイシャであったが、次第にそのキャラクターにも慣れ、姉のような存在として彼女と寄り添っていた。勿論宗教の違いがあり、生活観の食い違いもあることにはあったが、2人暮らし用住居なので部屋が別々なのと、アイシャの懇切丁寧な説明と要望を快く受け入れたアカリの性格の良さが2人の友情を育む基盤となった。現代では全くない話ではないが、結構稀有なケースだと捉えてもいいだろう。
そんな楽しい半年間もあっという間に残り1カ月となった。そしてアカリが707番州駅に初出勤する日がやってきた。
「もう着替えているの?」
「うん。この制服すごく気に入っちゃって!」
「それにそのスカートそんなに短かったかしら?」
「カットしたのよ。こうした方が可愛いと思わない?」
「どうだろう? ひとまず私たちの信仰でその短さは考えられないかな……。あの、職場からそういうことしてもいいと許可はとったの?」
「ううん。でも『自分らしさを大事に』って言われたから大丈夫だよ!」
「それとこれとは違うことじゃない?」
「もうっ、アイシャったら嫌味ったらしいのだから! こういう時ぐらいは気持ち良く見送ってよ!」
「いや、心配しているのだけど……わかったわ。ごめんなさい。今日はここであなたの帰りを待っているわ。初仕事のお話を楽しみにしているわ。いってらっしゃい」
「むふふ~。ありがとう。いってきます♪」
アイシャの杞憂はそのまま現実となった。
707番州駅職員事務室。そこにブロンドヘアがよく映える女子職員がアカリを待っていた。派手な髪色が目立つ彼女であったが、その身なりは清潔で極めてキチンとした制服の着用をしていた。彼女は元気よく入室してきたアカリを見るなり、その顔色を真っ青なものに変えた。
「あ、えーと、アカリ・クリスティと言います! 今日より元気いっぱい働きます! よろしくお願いします!」
「…………」
「あ、あの、どうしましょうか?」
「座って」
「はい!」
「アンタ、先月研修は受けたの?」
「はい! ミナト駅長から色々教えて貰いました!」
「色々ねぇ……色々ありすぎて私もどこから突っ込んでいいかわからないわよ」
「え?」
「はぁ? わからないの?」
「はい。わかりませんが……」
「はぁ? 何なのよ? こんな馬鹿初めて見た」
「え? それってどういうことで――」
アカリが問いかけようとした瞬間に上司の女性職員はアカリの右頬をぶった。突然の衝撃にアカリはショックを受け、言葉を失った。そんな落ち込むアカリに構わず、上司の女性職員はアカリの胸座を掴み、その鋭く尖った視線を彼女の間近に引き寄せた。アカリはもう落ち込んでいるどころではなかった。怯えきったその瞳は上司の怒りにただ飲み込まれていった。
「誰が制服をイメチェンして良いって言ったの! このボタンは何! スカートの丈は誰が切ったの! 名札も持ってきてないようだし、スカーフも変な巻き方して! 誰に教わったのよ! こんな変な格好の仕方! こんなことは貧困街育ちのパープーでもようしないわ! そもそも誰が制服着てここに来いと教・え・た・の・よっ!!!」
アカリはそのまま後ろへ椅子と一緒に突き出された。
無言の空間が続く。ブロンドの上司は力いっぱい怒鳴ったせいか、息を切らしており、アカリは俯いたままポロポロと溢れる涙を止められずにいた。
「もういい。帰りなさい」
「ふぇ?」
「ふぇ? じゃないわよ。人を馬鹿にするのも程々にしなさいよ! そんなふざけた格好でお客さんを相手にできるわけがないでしょ! さぁ! 帰った! 帰った! 今日のことは私が駅長にみっちり伝えておきますから、とっとと帰って下さい」
「………………」
「何よ? 帰らないの? 悪いけど、新しい制服を調達しない限りここでは働けないわよ? 駅長の良心で明日明後日に新品が送られるかもだけど期待はしないことね。あ、そうそう、この制服はこれでも高価な物だから賠償請求も合わせて送られると思いなさい。まぁ、せいぜい解雇処分が下りないことを願うことね」
「ぶってください」
「?」
「お家に帰りますから、左の頬をぶってください」
「はぁ? 何よ? 気味が悪いわね! 『帰れ』と言っているでしょ!」
「そうしてくれないと私は反省できません。お願いです。ぶってください」
「もうっ! わけわかんない奴!」
女上司はアカリの言われるまま、アカリの左頬をぶった。しかし最初の一発と比べて明らかな遠慮があって、ぶつと言うよりも軽く叩くと言った方が良いものだった。
「良かった」
「は?」
「先輩が優しい人で良かったです。よくわかりました。お家に帰って反省します」
「何よ? 私を試す為にさせたっての!?」
「ううん。私自身の為です。ありがとうございました。失礼します」
「ふんっ……」
アカリはバッグを背負うとそそくさと707番州駅を出ていった。一度は泣くのを堪えていたが、自宅が近づくにつれて再び涙が溢れて止まらなくなっていた。彼女にとっては凄まじすぎるほどの社会の洗礼であった。
自宅に帰るとアカリはアイシャに縋りつき、そのまま泣き崩れた。最初は余りにも早い帰宅に驚いたアイシャであったが、アカリの泣き縋る体を受け止めるうちにその理由がわかってきた。それはアカリが何も言わずとも伝わることだった。アカリは人間として社会常識に欠けているところがあったのだ。それはこれまで彼女と共に過ごしてきた時間の中で幾度も感じてきたことだった。しかし今ここで彼女を戒めたところで、結局は彼女をどん底に突き落とすことにしかならないのだろう。そう思ったアイシャはこうアカリに囁いた。
「大丈夫だよ。アカリ。今日も明日も私は傍にいるからね」
それがアイシャからアカリに唯一してあげられることだった。
翌日、アイシャの提案で水族館の観光をすることにした。最初は乗り気でなかったアカリだったが、アイシャの優しさに喜んで応じてしまうのも彼女だ。アイシャがルームメイトでいられるのも残りあと僅か。この状況のアカリに対して何をしてあげられるのか……アイシャは心を砕いて思考を巡らせていた。
そして思わぬ出来事はその水族館で起こった。それは精一杯観光を楽しんで、これから帰ろうかという時だった。彼女たちは水族館のゲートにてアカリを激昂した女性職員とバッタリ出くわしたのである。その距離は明らかな至近距離で、人見知りをしようにもできない状況だった。アカリも女上司も驚愕をした。まさに言葉にならない瞬間。しかし俯くアカリに対して女上司はあっさりと声をかけてきた。アイシャは一体何が起きているのかわからず、ただ状況を見守った。
「こんなところでお会いするなんて驚きね?」
「…………」
「何よ? ここは職場じゃないわよ? そんなに怖がらなくてもいいじゃない?」
「すいません。でも色々気になっちゃって」
「何が?」
「先輩はこういう所に一人で来たりする人なのかって……」
「なっ、何よ! いいじゃないの! 一人でも結構楽しいわよ!」
「あの」
「ん?」
「やっぱり私クビになっちゃったのですか?」
女上司はアカリの問いに少し驚いた顔をしたが、直後に微笑んで、彼女より低身長のアカリの頭をポンッと押さえてハッキリ答えた。
「ん。ウチは大丈夫だよ。他の駅じゃ間違いなく切られていたでしょうけどね。今日か明日には新しい制服が届くと思うわ。でも今度同じことしたら、ただじゃおかないのだからね!」
「ほっ……本当ですかっ!?」
「当たり前でしょ? 解雇って書類手続きをとらせてからするものでしょ?」
「う、うぇぇぇぇぇん!」
アカリは女上司に泣きついた。女上司はやれやれと言った顔をしつつも、アカリの頭を撫でながらアイシャの方にアイコンタクトを送った。アイシャは会話の途中からこの女性がアカリを糾弾した駅職員の上司であることを理解した。だが思っていたイメージと違うようだ。緊張感に張りつめていた空気がいつの間にか一変していた。女上司はアカリの両肩を持ち、少し離すと、彼女の左手をアカリの前に差し出した。
「ガーディ・ブライアントよ。宜しくクリスティさん」
「うっ……うっ……宜しくお願いしますぅ」
アカリとガーディはここでしっかりと握手を交わした。アイシャはこの瞬間にこの光景を見ることで、ここ最近ずっとモヤモヤしていたものがスッキリとなくなったようだった。彼女の顔はニカブによって隠されていたが、その中では彼女の微笑みが溢れていた。
翌日、707番州駅受付。元気で明るいアカリ・クリスティの働く姿がそこにあった。横には厳しくてうるさい上司。ドジでおっちょこちょいで怒られるばかりのアカリ。でも人何倍も人に尽くす心がある彼女に敵などいない。
今日もCocoro707番州は営まれる。名もなき庶民の熱と力によって。
∀・)何となくこういう宇宙都市的な話を書きたくなって書きました。色んな価値観ぶっこんでいきますが、最後までお付き合いいただければ幸いです(ひとまず3話連載形式にして3日連続投稿していく予定です)。