とある森にて
遙か昔、ここはとある森のとても大きなギャップ。古い木々が倒れ、新たな芽吹きを待つこの場所に、一人の女性が立っていた。
雲一つない満天の星空の下、この景色とは裏腹に、月明かりに照らされた彼女の表情は暗く、曇っている。
北のとある1つの星。その星の周りをまわる、地平線の下に沈まない2つの星座を見つめながら、彼女は呟く。
「あの時…何で私は……ごめんなさい」
彼女の瞳から、涙が零れた。
時は遡り、同じ森で月の処女神アルテミスの侍女、カリストは狩りをしていた。
野山で狩りをするのが大好きで、化粧をしなかった彼女だが、その姿は鹿のように美しかった。
「カリスト」
突然、彼女を呼び止める女性の声がし、立ち止まるカリスト。その声には聞き覚えがあった。
「アルテミス様!」
姿を現したその女性を見るなりカリストはそう言った。
「どうなさったのですか?アルテミス様。こんな所にいらして」
…返事はない。
アルテミスと呼ばれた女性はゆっくりとカリストの方へと歩を進める。まるで、標的に狙いを定め近寄る肉食獣のように。
「まさか…アルテミス様じゃ…ない?」
恐怖心からか、咄嗟に手にしていた弓矢を構えようとする。が、自らの疑念が晴れず、中途半端に構えることしかできなかった。
アルテミスと思わしき女性は、カリストとあと十数メートルの場所まで近づき、一気に加速した。
「ひっ」
カリストは反射的に矢を放つ。しかし、半端な構えから放たれた矢は女性を捉えることはできず、女性の後方にある木の幹に深々と突き刺さった。
カリスト自身はその矢の行く末を見ることができなかった。瞬間的に近づいてきた女性の手から小さな稲妻が現れたかと思った瞬間、カリストの体に強い電気が走るような感覚に襲われ、意識を失ってしまったのである。
「…あなた、また浮気したわね」
「浮気とは失礼な。より多くの私の子孫を残すための行為だよ」
「それを浮気って言ってるのよ…」
ゼウスの正妻、ヘラが怒りと呆れが混ざった様子で言う。
一方、ゼウスはこのやり取りに慣れたのか、何ともない様子である。
「とにかく、あなた、あの子に子を孕ませたのならちゃんと責任持つのよ」
「それは大丈夫。ちゃんと空から見るよ。今まで何人の子を産ませたと思ってるのさ」
「今回は特別なの。あなたが子を孕ませた子は…処女神の侍女よ」
「…わかってる。彼女が怒って、あの子の身に何かしなければいいんだけど…」
しばらくして、気を失っていたカリストが意識を取り戻した。
「…あれ、何で私…」
まだカリストの意識は朦朧としている。しばらくして意識がはっきりとしてきたカリストは、自分の記憶を遡る。
「あっ!アルテミス様の無事を確認しなくちゃっ!」
そして、自分の主人であるアルテミスの場所へと歩を進めた。自らの体にゼウスの子を宿していることを知らずに。
「このままだとばれちゃうかな」
このことを天上界から見ていたゼウスはそう呟き、子を孕んでいることをアルテミスに知られないためにカリストに魔法をかけた。
「遅かったわね。結果はどう?」
「…よかったぁ。無事じゃなければどうしようかと…」
「え?どういうこと?」
「いえ、実はですね……」
カリストがアルテミスとその侍女たちに説明する。森の中で何が起こったか、アルテミスに何者かが扮していたことを。
「…まさか、ね」
「まさか心当たりでもあるんですか?」
「いえ、あの人に限ってそんなことはしないわ。…気のせいよ」
アルテミスは、自らに言い聞かせるように言った。
その横でカリストが不安そうにアルテミスを見つめていた。
しばらくし、カリストの身ごもった子が成長するにつれて、カリストは自らを襲った何者かに孕まされたことに気付いた。
彼女は悩んだあげく、その子を産むことに決めた。そしてしばらく自室にこもり、出産する。カリストはその子をアルカスと名付けた。
ゼウスは後に、カリスト本人に魔法をかけたことをひどく後悔することになる。
「カリスト」
その声はいつものアルテミスとは違ってとても重々しく、そして、殺気立っているようにも感じられた。
「…っはい。何…でしょうか?」
カリストが気圧されつつも返す。
「あなた…まさかとは思うけど、処女でないことは無いわよね?」
「……なぜそんなことを聞くのですか?私は、私は確かにアルテミス様に処女を誓いました」
「…へぇ。…なら、なぜあなたには子供がいるのかしらねぇ」
その口調には明らかに怒りが含まれていた。
「……その話は何処で聞いたのですか?」
「知るも何も、あなた自身に魔法がかかっていたとしても、あなたの子供にかけなければ生んだ後は感知できるわよ。これでも神なのを忘れているんじゃないかしら?」
「ちょっと待って下さい!私は自分に魔法などかけてませんし、それに…」
その続きはアルテミスによって遮られた。アルテミスはカリストに呪いをかけ、1頭の熊に変えてしまったのである。
「もう結構。あなたには失望したわ。もう二度と、私の前にその醜い姿を現さないでちょうだい」
そう言って、アルテミスはきびすを返してカリストから離れていった。その潤んだ瞳をカリストに見せないように。
「とんでもないことをしてくれましたね」
「……」
天上界。黙り込むゼウスの前に、アルテミスが立っている。
「悪かったとは思っている。でも、あの時いきなり正体を明かすのはまずいと思ったから仕方なく気絶させたのであって…」
「なら、なぜその後子を孕ませたのですか?」
「…返す言葉がない」
「…これほどまで浮気癖がひどいとは思いませんでした。すこしあなたを良く見過ぎていましたわ」
「…話を変えるけど、なぜ彼女を熊に?話の経緯を聞いているなら、そこまでしなくても…」
「……どういう経緯があろうとも、処女を守らなかった侍女にはそうすると決めたの。……その美しさを奪うことになったとしても…」
アルテミスは涙ぐみながら、自分に言い聞かせるように言った。
偶然近くを通りかかり、この一連の会話を聞いていたヘラは、怒りの目を二人に向けていた。特にゼウスに。
一方熊の姿へとなってしまったカリストは、アルテミスと分かれた場所からしばらく動けずにいた。そして、誰にも会わずに森の奥へ姿を消した。息子のアルカスにさえ会わずに。
ここは、元カリストの自室。残されたアルカスと、アルテミスとその侍女達がいた。
「この子は私が育てるわ。ただし…母親のことは一切教えない。あなた達もそれは守って」
アルテミスはアルカスをじっと見つめながら言った。
月日は流れ、アルカスが少年へと成長する頃には、彼は立派な狩人へと成長していた。
そして、彼が、カリストと同じように森で狩りをしていたときのこと。
「生き物が…いないな」
確かにその時は、アルカスがいつも狩り場としている場所に狩りの対象となる生物はいなかった。が、それはアルカスもたびたび体験していることだ。いつものアルカスであれば狩りをやめ、引き返したかもしれない。しかし、今日のアルカスは違っていた。
「…奥に行ってみるか」
そう呟き、森の奥へと歩を進めた。
森の奥。そこで餌を探していた熊…つまりカリストは、1人の人影を見つける。
この広い森の中、この出会いは偶然か、はたまた運命かは誰にもわからない。だが、この出会いが2人の未来を決めることだけは確かだった。
カリストは反射的に体を茂みに隠す。その人物が弓矢を持っていたせいだ。しかし、茂みの影から顔をよく見てみると、カリストは驚き、そして感激した。実の息子のアルカスが無事に成長し、立派な狩人となって今、ここにいるのだから。
実の息子に会えた嬉しさのあまり、カリストはつい我を忘れて茂みを飛び出してしまった。
森の奥へと足を踏み入れたアルカスは、辺りを見渡しながら奥へ進んだ。
ガサッ
不意に茂みが揺れる音がする。瞬時にアルカスは身をそちらに向け、茂みの辺りを注意深く見た。
しばしの静寂。
その静寂を破るかのように大きな音を立てて、音の原因は飛び出してきた。
巨大な熊。その正体がカリストだというのは言うまでもない。
しかし、アルカスは茂みから突然飛び出してきた熊がよもや自分の母親だとはわかりようがない。
「っ!」
アルカスは咄嗟に弓に矢をつがえ、熊の心臓に狙いを定めて弓を引き絞った。
まさに、矢がアルカスの手を離れ、カリストの心臓へめがけて飛んでいく瞬間、この一部始終を天上界から見ていたゼウスは、知らなかったとはいえ、アルカスに母殺しの罪を犯させるわけにはいかないと、突風を起こして2人を天に巻き上げた。カリストの呪いは解けなかったので、アルカスを小熊に変え、カリストともども天上の星とした。
「会いたかったわ。愛しの我が子、アルカス」
お互い熊になったからか、カリストの言葉がアルカスには理解できた。
「まさか…母さん?いや、でも…アルテミスさん達は…?」
「私はあなたの母なのよ、アルカス」
「母さんに…僕は…なんて事をしようと…」
「もういいのよ。あなたは何もわからなかったんだから…。だけどアルカス、あなたを育てたのはアルテミス様?」
「うん。そうだけど…母さん、なんでそんなにも泣いているの?」
「…いえ、何でもないわ……アルテミス様…ありがとうございます…」
こうしてカリストは大熊座に、アルカスは小熊座になったのである。
…まあ、これで物語が無事に終わればハッピーエンドで気持ちよく終わるのだが、あいにくそれで終わらせない人物が一人。
ゼウスの正妻、ヘラだ。
ゼウスのいつもの浮気癖に上乗せして、ゼウスのアルテミスへの態度が気にくわなかった彼女は、河神オケアノスと海の老神レーネウスの娘、テティス元へと赴いた。
「テティス、あなたにお願いがあるんだけど、いいかしら?」
ものすごい威圧的な物言いにテティスは明らかに怯えていた。
「は、はいぃぃ!な、何でしょう…か?」
「最近、熊の親子の星座ができたでしょう。それを他の星々のように日に一度、海の中に入らないようにして欲しいのよ」
「そ、それだと休むことなく回り続けることに…」
続きはヘラに阻まれる。
「それでいいのよ!そ・れ・で!さっさとしなさい!」
「はいいぃぃぃぃぃ!」
……このため、カリストこと大熊座と、アルカスこと小熊座は1年中、休むことなく北の空を回り続けることになってしまったのである。
小説家になろうでの初投稿です。楽しんでで読んでいただければ幸いです。
小説の内容ですが、どうなんでしょうね?(しょっぱなから放り投げるスタイル)
ハッピーとバッドの混ざった終わり方なので、どっちつかずって感じでしょうかね。
さて、小説内で語られなかった裏話をして後書きを締めようかと。
なぜアルカスはカリストが母だと信じたのか。
多分読んでいる時に疑問に思う方もいた(よね?)でしょう。
確かにアルテミスが侍女たちにアルカスに本当の母のことを黙っておくように言っていたので、アルカスは母親がアルテミス(又は侍女のだれか)と思うはずでしょう。
しかし、小説には描いていないのですがアルテミスの侍女の一人がアルカスの純粋な質問攻め(なんじゃそりゃ)の末、アルカスに本当の母親がいるということをオブラートに包んでしゃべってしまった、という流れがあったりしたのでアルカスはカリストが母親だと信じたわけなのです。
わかりずらくなってしまい申し訳ありません…。以後気をつけます