晴弓橋、一
歩く歩く歩く。日が落ち切った夜空とそこに散りばめられた人工の星空を横目に見ながら、ただ歩く。
歩く歩く歩く。橋上に響く透き通った潮風の音を耳に響かせて、ただ歩く。
歩く歩く歩く。見えるもの聞こえるものに心も思考も明け渡して、ただ歩く。
(この後、どうしようかな)
捨てたはずの思考は意図せずして湧き上がる。現実逃避の醍醐味である感傷も、対の存在である思考には敵わない。こんなにも幻想的な景色も、夜間労働の結果と知ると暗く見える。
(綺麗だな)
しかし、時々現れる感傷的な心は、ありとあらゆるものに趣を見出す。視界が広がり、いつもは目を背けている世界を純粋な心で見ることが出来る。
(あの人、可愛いな)
視界が広がり、見えすぎるが故に起きる現象。ふわふわとしたフィルターを通した眼は人の容姿を単純な感想で判断してしまう。自分でも良くないことだと分かっていながら、無意識のルッキズムが今日も暴れまわる。
そこには、作られた星空を物寂しく眺める美少女が居た。
普段は、どんな美少女が居ようと一瞬思いを馳せて一瞬で忘れるの繰り返しだった。実際、先程この橋ですれ違った美人の顔はもう忘れている。
この時の一瞬は長かった。
自分と同じ紋章が入った紺のブレザーと程よく可愛さが散らされた黒のリックサック。モデルなんですと言われても納得できる、スラリとした体型と波のようにたなびく美しい黒長髪。凛と立つ姿は教養の高さを見せつけているようだ。
何より、流れ星のような涙を流す儚げな横顔が、俺の目を奪った。
(............)
何秒か、一瞬とは呼べない長さを感覚で実感した。
「あ....、」
見惚れた横顔は、こちらを向いていた。
「あー、、、。」
少し離れた手すりから、割と真っすぐ見ていたために目がしっかりと合ってしまった。この空気は本当に不味い。何か話題を出して、この場を切り抜けないと初対面の泣き姿を見ていた同校の不審者扱いされてしまう。まずは、笑顔で何気なく自己紹介を......。
「あの、青海さんですよね?」
恐る恐る、でもハッキリとした発音で自分の苗字が呼ばれた。
橋を通る車やモノレール、人の歩く音と吹き抜ける潮風が響くこの橋上で、その声音は揺れることなく真っすぐ届いた。星を落として桃色となった目元をハンカチでゆっくりと拭いながら、こちらの様子を伺っている。
何故彼女が知っているのか。その疑問は、静かに頭を揺らし続けた。
「青海さん、生徒会選挙に出てましたよ...ね?学園祭のときも私のクラスに点検しに来ていたし....」
間違っていたら失礼に当たると思ったのか、先程より声音は少し震えていた。どうやら、一方的に彼女が知っているだけのようだ。それはそうだ。こんな美少女、一度見たら卒業するまで絶対に覚えている。その上で、何かしら理由を付けて話に行って玉砕するのが目に見える。
「あ、ご存じなんですね。初めまして、1年3組の青海優生優生と言います。お名前聞いてもいいですか?」
相手が先輩である可能性を考慮し、かつ話しやすい空気になるようにおどけた雰囲気と敬語を混ぜて伝えた。普段であったらもっと砕けた話し方になるのだが、相手が相手なので言葉が硬くなってしまう。
「ご丁寧にありがとうございます。1年11組の片瀬透雪とゆきと申します。青梅さんは何故ここに?」
同じ高校生とは思えないほどに美しく整った所作と言葉選びに心が揺れる。それと同時に、聞かれた質問の内容が心を騒がせた。軽く現実逃避してました~!なんておちゃらけた態度は取れるはずもなく、かといって深刻そうに言うのも無駄な気を遣わせるだけだと思い、軽い感じで答えた。
「自分はちょっと、散歩しようかなと」
「散歩ですか。いいですね。ここは景色が綺麗ですから。」
「そうそう、景色が綺麗なんだよね。」
そして、静寂が訪れた
落ち着きすぎたこの空気は陽気に会話を楽しむことを拒絶している。流れる風は、身震いするほどに冷えている。さっきまでの作られた光の感情も徐々に冷めていく。
「青梅さんは、初対面の私でも楽しそうに話してくれるのですね。」
片瀬さんはそう、冷えた声で言った。
「その方が相手は喜ぶからね。」
そう、冷えた声で返した。




