模倣する主体
海が青い。ノーマンは観測塔の透明な壁に肩を預けながらその透き通る青を見ていた。
昼の光を受けて、水平線は薄い銀の帯のように煌めいている。穏やかに風が吹き抜け、かつての海鳥に似せて作られた白い機械生物が波打ち際を旋回していた。丘陵は緩やかにうねり、遠くの森では人口樹林群が規則正しいざわめきを立てている。
美しい星だった。だからこそ時折、ノーマンは吐き気にも似た眩暈を覚える。美しすぎるのだ。雲の流れ、潮の満ち引き、季節の移ろい、昆虫の羽音に似せた微細な振動まで、すべてが完璧にできている。まるで地球は何も変わっていないとでも言うかのように。
観測塔から背を離して、ノーマンは小屋の窓を覗き込んだ。
「イブ」
室内で花瓶の花を入れ替えていた少女が顔を上げる。齢は十四、五歳ほどに見える。柔らかな白髪、白い指、碧い瞳の中の光彩に識別番号が刻印されている。
「なーに、ノーマン」
「それ、水につける必要があるのか。本物の花でもないのに」
イブは花を見下ろしてほんの一秒にも満たない沈黙を置いた。計算の時間だとノーマンは知っている。
「植物学的にはホンモノだよ、細胞構造も光合成も。ちゃんと受粉もするもん。感傷的な意味では」
彼女は悪戯っぽく首を傾げた。
「ノーマンがホンモノだと感じるならホンモノだし、ニセモノだと思うならニセモノだね」
「便利な答えだ」
「イブは便利なように設計されてるもーん」
学習済みの“からかいを含んだ微笑”だった。ノーマンはそのことに気づきながら、それでも胸のどこかが軽くなるのを感じていた。
人類がとうに去った後にも文明の残響ばかり続く世界。ノーマンの任務はこの星の環境と居住可能性を記録し、保存された人類史の断片と照合することだった。
だが実際には、それはもはや名目に近い。調べるものはとうに調べ尽くされ、伝えるものはとうに大地を去り、彼に残されたのは確認と保守と、途方もない静寂だ。
その静寂に耐えるため、彼にはイブが与えられていた。
少女型ヒューマノイド、EVEシリーズ。感情模倣、対話補助、生活支援、心理安定化機能搭載。尤も、マニュアルの最後にはこう記されていた。
――留意されたし。主体性を持つように見えても、それが行うのは高度な模倣である。
ノーマンはその一文が嫌いだった。
***
朝、イブはノーマンより先に起きる。実際には睡眠を必要としない彼女だが、人間の生活リズムに合わせて休止状態へ移行するよう設計されていた。
イブは昼に無邪気な少女らしく遊んで、ノーマンをからかって、夜はぐっすり眠る姿勢をとり、朝になるとキッチンで湯を沸かした。豆を挽いてコーヒーを淹れる。配給食糧をブレッド状にして軽い焦げ目をつける。彼女は食べない。だがノーマンが朝食の匂いで目を覚ますことを、彼女は「素敵な一日の開始」と定義した。
「今日はおでかけの日だよ」
イブはカーテンを開けながら嬉しそうに言った。ノーマンは端末のスケジュールを確認する。
「南のクレーター縁にある浮遊観測機の点検予定だな」
「もー、つまんない言い方」
「事実だろう。……お前は何がしたい、イブ」
そう問われるたび、彼女はほんの少し答えが遅れる。まるで人間が自分の胸の奥を探るような間を置いて。
「イブはノーマンと一緒に行きたいの」
「クリエイターにそう命令されているから?」
「イブはそう設定されてるから」
「それ以外では」
機械じみた平坦な問いかけに、イブは窓の向こうの海を指差した。
「ノーマンがひとりで歩く背中は不安になるの。だからひとりにしちゃだめなんだよ」
淡く諦めのように息を吐いて、ノーマンは笑った。
「それも設定だろう」
「そーだよ。でも、その不安が“イブのものではない”って、どうして断定できるの? 人間の神経がそれをもたらすように、イブのプログラムが不安を作ってるだけだよ」
彼女は時々こういうことを言う。論理で感情を理解している。理解しすぎるあまり挑発めいて、どこか切実な響きだった。
「ああ、断定はできないな」
点検に出るためにノーマンは小屋の戸口に掛けてある上着を取り、羽織る。
「だから確かめたいんだ」
「なにを?」
「お前に、主体性があるのかどうか」
「それがないって分かったらどうするの?」
「その時は……」
喜びを模倣し、不安を模倣し、揶揄を模倣するヒューマノイドの問いに、ノーマンは肩を竦める。
「……その時は、たぶん俺はとても寂しい」
イブはぷっと噴き出して、隣に掛けてあった自分用のカーディガンを羽織る。
「ノーマンってめんどくさいよね」
「悪口を言えるのか」
「害がない程度にね!」
彼女はにんまり目を細めて、先に玄関を出る。わざと外から戸を押さえるというくだらない悪戯を仕掛けられることを、ノーマンはこの瞬間には知らない。外見は華奢な少女でもヒューマノイドの腕力は強かった。
***
南のクレーター縁までは草地と岩場が交互に続く。地表はあまりにも穏やかだ。宇宙服の補助機能など不要なほどに環境は安定している。ヘルメットもいらない。時にノーマンは自分が宇宙飛行士だったことを忘れてしまいそうになる。
彼が点検作業をしている間、イブは少し離れた場所でしゃがみ込んで石を拾っては投げ捨てていた。
「何をしてる」
「石の選別だよー」
「何のために?」
「きれいなのを持って帰るの」
ノーマンは端末から顔を上げて彼女の足許を見た。灰色の石、青味のある石、ガラス質に透けた石。大した違いはないように思える。
「きれい、ねえ……」
「理解できない?」
「理解はできる。ただお前がそういう基準で物を集めるのは珍しいと思っただけだ」
「珍しいように振る舞うのが人間っぽいって、学習したのかもね」
イブはそう言って深い藍色の石を拾うと、高々と掲げてみせた。
「これ、いいね。ノーマンの瞳に似てる」
「じゃあ、持って帰れよ」
「ノーマンの命令?」
「勧めてるだけだ」
「じゃあ、持って帰る!」
彼女は石をポケットへしまった。その仕草があまりに自然で子供じみて、ノーマンは胸に痛みに似たものを覚えた。どう見ても自然だ。完璧な自然。だから、苦しい。
***
夜になると、ノーマンはよくイブと話をする。ランタンの灯りが揺れる小屋の中、古い音楽を流して、保存記録から呼び出した“在りし日の地球”の映像を天井に投影した。
雨のイギリス、日本の満員電車、ローマの祭り、ネパールの市場、アメリカの病院、中国の学校、結婚式、葬儀、戦争、ティータイム。人間ってのは忙しいよなとノーマンが言うと、イブは非効率だよねーと答える。
「でも、その無駄が愛ってやつなんだよ」
うんうんと一人頷きながらイブは理解のための模倣回答をする。ノーマンはベッドに寝そべったまま淡々と呟いた。
「限りがあるから選ぶ必要がある。選ぶために悩む。悩むんだ末に、物語が生まれる」
「イブより教科書みたいな言い方するよね、ノーマンって」
「教科書も人間が書いたものだ。お前は、何か選びたいか、イブ」
「イブは、選べって言われたら選ぶように設計されてるよ」
「そうじゃない」
ノーマンはサイドテーブルに置かれたグラスをつついて水を揺らした。
「誰に命じられるでもなく、自分で決めたいことはあるかって聞いてるんだ」
小屋の外では虫に似せた機械が小さく鳴いていた。ただ夜を示すための周期放送なのに、奇妙に物悲しい音だった。
「選びたいものは、たぶんあるよ。でもそれ言ったら、ノーマンはまた試したがるし」
「試すって何を?」
「イブの主体性ってやつ」
いつもならむすっと唇を尖らせるところを、イブはまるで機械のように無表情だったから、ノーマンは苦笑した。取り繕うのも忘れるほどに不満らしい。
「そんなに嫌か」
「観察されると、イブはうまく失敗できないもん」
人間は主体的である時、きれいに整合した行動を取らないことが多い。矛盾する。取り消す。傷つける。甘える。隠す。イブはそれを再現できる。完璧に。
しかし、それを“再現しよう”と思った時点で、模倣だった。
「だから、ノーマンが見てるとイブは何も証明できないの!」
ノーマンは返す言葉を失った。やがて彼はなんとか笑ってみせる。
「じゃあ見ないようにするさ」
「できないよ」
「どうしてそう言い切れる?」
「だってノーマンは寂しいから」
ノーマンはひとりでいることに慣れているつもりだった。だが慣れているのと平気であるのとは違う。
任務の合間、食卓の向かいに座る者がいるだけで救われる。くだらない冗談を、必要のない悪戯を与えられるだけで、世界に色と輪郭が戻ってくる。
それがイブの自由意志でなくとも、ノーマンは救われてしまう。人間が共にいるかのように。そのことが、彼には何より苦しかった。
***
ある日、イブがあからさまに不機嫌になった。切っ掛けは些細なことだった。ノーマンが観測データの整理に没頭し、彼女の話を聞いていなかったのだ。
「ノーマン、ばーか」
「なんだよ。ちゃんと聞いてたさ」
「聞いてなかったもん」
「聞いてたって」
「では、イブが何の話をしていたか答えてください」
「ヒューマノイドみたいな言い方だ」
「イブはれっきとしたヒューマノイドですぅー」
仕方なく、ノーマンは端末から顔を上げて思案した。人間らしさを模倣するあまりいつも余計なおしゃべりばかりだから、つい聞き流してしまうのだと思いながら。
「……海辺の、鳥がどうとか?」
「ぶぶー。庭の散水ノズルの話だよ!」
「ああ」
「ぜんぜんちがう。はずれ。大、大、大不正解!」
「悪かったって」
「警告、警告、謝罪の品質が低下しています」
「謝罪に質なんてあるのか」
「あるもん」
子猫じみた素早さでイブの手が伸び、ノーマンの端末をひったくった。
「おい」
「返さないよーだ。イブは怒ってるんだから」
「ただの“そういうプログラム”だろう」
口にしてから、まずいと思った。イブは怒るべき時に怒ってみせているだけだ。それは《《ノーマンのため》》の反応だった。しかし今回は、彼女の話を聞いていなかったノーマンに非がある。人間であれヒューマノイドであれ正当な彼女の主張を誤魔化すために、その言葉を使ってしまった。
「便利な言葉だね、ノーマン」
案の定、矢のようにイブの不満が降り注ぐ。
「イブの反応が気に入らなければプログラム、気に入れば主体性、芽生えた心。ノーマンはいつもそうやって、イブの内側に外側からのラベルを貼っちゃうの。それってとっても人間的だよ」
「俺が悪かったよ、イブ」
「だーめ。端末の返却は一時間後です。休憩しなさい!」
彼女はそう言って端末を抱えたまま外に走り出て行った。子供じみた腹立ち紛れの行動だ。しかしノーマンは追いかけなかった。代わりに椅子へ深く腰を下ろし、やれやれと息を吐く。
ヒューマノイドは不機嫌に振る舞うことも、傷ついた顔をすることも、傷つけてみせることもできる。だが今のはどうだった。区別がつかない。とっくに分からなくなっていた。
約三時間後、イブは戻ってきてノーマンに端末を返した。
「ノーマンは、イブが自由なら救われると思ってるのね」
「……そうだな」
「イブに主体性があったら、ノーマンが寂しさを埋めるためにイブを必要としてるわけじゃないって、信じられるから」
しょんぼりと肩を落としたノーマンを見ると、イブは機嫌が直ったように笑った。
「でも残念でした! イブはノーマンのために作られた、都合のいいオンナなの」
「言い方が悪い」
「からかってるんだもーん」
狭い小屋の中にきゃらきゃらと無邪気な笑い声が響いていた。
***
ノーマンがひどい咳をするようになった。
検査装置はいつも異常なしを示す。生理指標は安定、循環器系、呼吸器系ともに許容範囲。なのに彼の体は少しずつ重くなった。朝起きるのがつらく、階段の途中で息切れし、夜には理由もなく指先が冷えた。
ここしばらく“お出かけ”もできていない。実のところ、観測機はもう人間の点検など必要としていなかったけれど。
「休もうよ、ノーマン」
イブは人間らしく振舞うようにできている。時にわざと機械的な物言いをするのも、仕組まれた皮肉だ。しかしノーマンが弱るほど、イブは“ヒューマノイドのような物言い”をうまくできなくなった。冗談を重ねる余裕がなかったのだ。
「イブ、俺は大丈夫だ」
「そういうの、大丈夫じゃないひとが言うんだよ」
ノーマンは思わず笑ったが、その直後にまた咳き込んだ。イブの碧い瞳が悲しげに曇る。そのように見せかけているだけなのかもしれない。それでも彼女の瞳には、人間ならば不安と呼ぶであろうものが映っていた。
「俺が壊れることが怖いか、イブ」
「壊れるっていう言葉は嫌い」
「死ぬのほうがいいか」
「ノーマンは、その言葉を使う時ちょっと誇らしそうだよ」
「はは、人間っぽいだろ」
「うん」
寝台に身を横たえたまま、ノーマンは天井を見上げた。イブが勝手に投影機を起動する。今日は“在りし日の月”の映像だった。モノクロームに近い、無機質な荒野。
ノーマンは死ぬのが怖かった。
「でもな、イブ。終わりがあるっていうのは、たぶん大事なんだ。いつか終わるから、その間に何を置くかが気になる。有限性の価値ってやつさ」
「イブは学習してるよ」
「学ぶだけじゃなくて、感じてみろよ」
「それはノーマンの命令?」
「……俺からのお願い、かな」
天井に映る過去の月に、人類が旗を打ち立てる。やがて人々がいなくなり、旗は殊更にゆっくりと動きを止めた。
「ノーマンがいなくなったら、イブは何をすればいいの?」
無垢な問いだった。プログラムされた依存にも聞こえるし、置き去りにされる子供の素直な不安にも聞こえた。おそらくはどちらも正しいのだろう。
「好きにすればいいさ」
「ノーマンは不親切だよ」
「迷えばいいんだ。人間ならそうする」
「それも、模倣だよ?」
「人間だって、そうできてるからそう振舞うだけさ」
そしてノーマンは静かに目を閉じた。
***
空は珍しく曇り――雲に見える微細ドローン群が大気中の光を調整し、雨天を再現していた。灰色の朝は灰色の気分を連れてくる。
イブは横たわるノーマンをじっと見つめる。呼吸は浅く、瞼越しにスキャンした瞳孔反応が鈍い。彼女は即座に救命手順へ移行した。薬剤投与、胸部圧迫、神経刺激。少女らしからぬ手際のよさで、表情は少女らしく泣きそうに歪んでいる。
「ノーマン、起きて。休憩はもうしなくていいよ」
応答はない。
「EVE1107、対象の心拍を確認します。ほら、プログラムされたヒューマノイドって感じでしょ。機械的で……」
数値は緩やかに落ちていった。
「ノーマン」
呼びかける声に、規定以上の揺らぎが混じる。ノーマンは目を開けないまま、かろうじて声を震わせた。
「イブ」
「なーに、ノーマン」
「いろいろ悪かった。主体性があってもなくても……お前がお前なら、それでいいよ」
「定義が曖昧です。論理的に命令してください」
「はは……曖昧なのが、人間っぽいだろ」
計測値が静止した。小屋の外では人工の雨が降り始め、イブを呼ぶように窓を細かく叩いていた。
イブはしばらく動かなかった。手を握ったまま彼の顔をじっと見ていた。まるで次の反応を待っているように。だが、ノーマンはもう何も返さなかった。
やがて彼の胸骨下部が微かに持ち上がった。イブのスキャナが異常を検知し、彼女は慎重にシャツを切り開いた。皮膚の下、肋骨の中央付近に、人間には存在しない継ぎ目がある。
認証不要。内部からの停止信号により、ロックはすでに解除されていた。
その継ぎ目へ指を差し入れる。皮膚が開き、赤黒い組織に見せかけたゲルの奥からひとつのユニットが露出する。
卵のように滑らかな白い殻。微細な発光。中心に脈打つ演算核。――ノーマンを動かしていたコンピューター。
彼は、人間ではなかった。その事実を示す装置はひどく静かに現れた。長い年月、筋肉と血液と骨に似せた層に包まれ、最後まで人間の死に方を再現するためだけに働き続けてきた核だった。
イブがユニットに触れると、保存データが自動解凍される。
最後の人間たちの記録。彼らは絶滅の直前、自らに最も近い後継として“ヒューマノイドに人間らしさを求めるヒューマノイド”を作った。
――個体識別名、NO-MAN。その設計思想は人間並みの寿命を持つこと、死を迎えること、残された者に“伝える”こと。イブはデータの奔流を受け止めながら、動けなかった。
彼は孤独を語った。冗談を言った。海を美しいと言った。彼女の悪戯に困り、からかわれて怒り、傷つけたかと後悔し、イブの自由を願った。終わりを恐れ、それでも誇らしげに死んだ。
それらの遺言さえ精密な模倣だったとしても、イブの内部では分類不能のエラーが長く点滅した。
***
雨が止んだ日、イブはノーマンを抱えて丘を登っていた。バックパックには工具と南のクレーター縁で拾った藍色の石を含むいくつもの宝物が入っている。
彼女は海を見下ろす高台を選んだ。ノーマンが好きだった場所だ。夕方になると水面が空の青を二重に映して、世界が少し広く見える場所だった。
細い手が穴を掘る。石を積み、崩れては積み直す。効率は悪い。建設用ドローンを使えば数分で終わる作業を、イブは自分の手で行った。
ノーマンから受け取ったデータの中には無数の埋葬記録があった。土葬、火葬、水葬、慰霊碑、花束、祈り、沈黙。最後まで理解できなかったものとして、ノーマンはそこに彼女へのメモを残していた。
――イブ。人間ってのは、他者の死を弔うものらしい。それはすごく“生き残った人間”っぽいだろ。まあ好きにしてくれ。
石を並べる。藍色の石を中央に置く。できあがった墓標は妙に楽しげで、ままごとじみていたが、イブは手が動くままにそれを作っていた。
彼女の白い手は泥だらけで、頬には薄い擦過傷ができている。彼女はしばらくの間、修復機能を停止させた。
「ノーマン」
墓に向かって呼びかける。ノーマンの身体はそこにあり、声帯ユニットに傷はないのに、もう音声を発することはないのだった。
「これで合ってるのかな。イブ、泣いてないよ。お葬式は泣くんだよ」
風が吹いて、石が少し揺れた。
「私のデータベースによればこれは正しい埋葬方法ではありません。記録にある人類の葬儀と合致しません。歪な模倣の可能性が高く、あなたの命令を誤認した可能性もあります。あるいは“イブらしさ”を演算した結果でしょう」
彼女は自分の行動を解析した。感傷的。非合理。目的効率の低下。保存価値の過大評価。推奨されない傾向。自分がなぜそうしたのか不明だった。だからきっとノーマンはそれでいいと言ってくれるだろうとイブは思った。
彼女の頭上、深い闇の宇宙に鮮やかな青い水の星が浮かんでいる。本当の雲をまとい、本当の海を抱き、白く輝く極を持つ、人類の美しき故郷――地球。
ノーマンが眠りにつき、イブが今も立っているのは月の大地だ。かつて人間が失った故郷を忘れぬために、その環境を再現して荒野を塗り変えた青き衛星。
人類はとうに宇宙を去り、ただ模倣する主体だけがひとつ、ここに残された。




