形見の秘密
翌日の科学研究部の部室は、机の上に道具が散乱していた。
ホワイトボードには先日の議論の名残。
《保存量》
《再配分》
《収束》
《局所干渉》
《観測》
その横に、久遠が小さく書き足した文字。
《分光》
《磁性》
《応答》
机の上には、理科室から借りてきた簡易分光器と、磁石、LEDライト、そして久遠のノートパソコン。
「……学校にこんなのあったんだな」
「理科準備室の備品です。教育用ですが、傾向は見られます」
久遠はいつも通り淡々としている。けれど、制服の下でペンダントを握る指が、わずかに固い。
「触らないからな」
俺が言うと、久遠は小さく頷いた。
「はい。非接触で行います」
チェーンを外し、机の上にそっと置く。銀色の小さなペンダント。中央の透明な石が、蛍光灯を受けて静かに光っている。久遠はLEDをペンダント当て、分光器をかざす。
「まず基準値を取ります」
画面に波形が現れる。なだらかなスペクトル。特に異常はない。
「一般的なガラスか水晶に近い反射です」
「普通だな」
「はい。現時点では」
久遠は磁石を近づける。反応はない。
「強磁性体ではありません」
「まあペンダントだしな」
「周りはおそらく非磁性体、銀でしょうか?」
俺は椅子に寄りかかりながら見ていた。特に変化はない。ただのペンダントだ。
「次に」
久遠は少し迷ってから言った。
「位置を変えます」
「位置?」
「相澤くん、少し近づいてください」
「それ意味あるのか?」
「今まで、今まで、私の事故の直前には、相澤くんが必ず近くにいました。関連がないとは言い切れません。研究施設の事故も同じような現象が起こっている事から何かアクションがある可能性もゼロではありません」
「はい。触れなくていいです」
俺は机の反対側から一歩だけ近づく。その瞬間。画面の波形が、わずかに揺れた。
「……今、動いたな」
久遠は無言でログを保存する。
「もう一度、離れてください」
一歩下がる。波形は戻る。
「……もう一度」
近づく。
揺れる。
今度ははっきり分かった。ピークがわずかに持ち上がる。
「気のせいじゃないよな」
「いいえ」
久遠の声が、少しだけ低い。
「光強度は一定です。外部ノイズもありません」
もう一度試す。離れる。近づく。揺れる。
「……俺に反応してる?」
「可能性はあります」
久遠は冷静に言う。
「人体の赤外線放射かもしれません」
「でも俺だけだろ?」
久遠は一瞬考え、ドアの方を見る。
「鷹宮先輩、少しこちらに来ていただけますか」
「なに?」
鷹宮が机に近づく。波形は――動かない。
「……え」
俺が近づく。揺れる。
「……は?」
鷹宮が目を細める。
「なにそれ。私差別されてる?」
「違います」
久遠は画面を見つめたまま言う。
「条件が限定されています」
「つまり?」
「相澤くんのみ、応答があります」
部室の空気が変わる。俺はゆっくり息を吸った。
「昨日は何もなかったよな」
「はい」
「書斎では」
「反応は確認していません」
つまり。今日、初めて。久遠はペンダントをじっと見つめる。
「これは単なる物質反応では説明しきれません」
「俺が電波出してるとか?」
「電波人間になった心当たりでも?」
「可能性は低いな…」
一拍。
「干渉と考える方が自然です」
「干渉?」
「確率場の局所変動に対する応答」
難しい言い方だが、意味は分かる。
「俺が近づくと、場が揺れる?」
「その可能性があります」
「もしかすると相澤くんの能力は事故を予知できるだけでなく…いえこの先はまだ確証が持てないですね…」
鷹宮が口を挟む。
「それってつまり、相澤がトリガーってこと?」
久遠は即答しなかった。
「断定はできません」
でも否定もしない。俺はペンダントを見つめた。銀の縁取りに、中央に透明な石。昨日まではただ久遠の母親の形見だった。
「……開くのか?」
ふと口に出る。
「え?」
「いや、なんか構造的に二重っぽくないか」
よく見ると、わずかな継ぎ目がある。
「……母は常に身につけていました。何度か試して見ましたが、開く気配はありませんでした。」
久遠は小さく言う。でもと、鷹宮が言う。
「今、相澤くんに反応してるんでしょ?もしかすると空く可能性も…」
沈黙。俺は無意識に、ほんの少しだけ手を伸ばした。触れるつもりはない。ただ近づけるだけ。
その瞬間。
カチ、と小さな音がした。三人同時に止まる。ペンダントの縁が、わずかに浮いている。
「……今の音」
久遠の声が震えた。
「俺、触ってないぞ」
「距離は?」
「三センチ程度です」
久遠は息を整え、慎重に両手でペンダントを持ち上げる。
「開きます。でもなんで…母と、相澤くんは会ったことも無いのに何の関連が…」
ゆっくりと、縁を押す。小さな金属音。ぱち、と。開いた。中には、折りたたまれた小さな写真。久遠が固まる。俺も言葉を失う。幼い久遠。四歳くらいだろうか。隣にいるのは、母親。笑っている。書斎で見た写真とは違う顔だ。研究者の顔ではない。母親の顔。
「……」
久遠は何も言わない。指先が震えている。
「今まで色々試しても開かなかったのに」
かすれた声。俺は何も言えなかった。ただ一つ、はっきりしている。昨日は開かなかった。
今日、俺が近づいたときだけ、反応した。
つまり、俺がなにかの力で久遠の母親のペンダントに干渉し、開けたという事だ。もしかして俺の力は久遠の事故を予想するだけではないのか?
久遠は写真を見つめたまま、静かに言う。
「……母は、何を想定していたのでしょう」
俺は答えられなかった。部室の蛍光灯が、わずかに瞬く。誰も、冗談を言わなかった。ただ、静かに。世界のどこかで、何かがわずかにずれた音がした気がした。




