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インケルトゥス・コーザリティ――未確定因果の恋  作者: ののそら
1.まだ普通のはずの日常

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収束点

朝の空は曇っていた。

薄い雲が空を覆い、日差しは拡散している。影がぼやけ、建物の輪郭が少しだけ溶けて見える。こういう日は、なぜか胸の奥が落ち着かない。家を出た瞬間、その感覚が来た。

……来る。

何が、とは分からない。ただ、今日も何かが起きる。そんな確信めいた予感だけが、身体の奥に沈んでいる。靴紐を結び直す。ほどけていないのに、もう一度。ポケットのスマホで時刻を確認する。余裕はある。それでも歩幅は自然と小さくなった。通学路を歩く。アスファルトのひび割れ、電柱の影、曲がり角の自販機。昨日までなら意識もしなかった景色を、今日はひとつずつ確認するように目で追っている。

久遠は半歩前を歩いていた。背中のライン。揺れる髪。何も変わらない登校風景。


……なのに。


交差点の手前で、足が止まった。理由は分からない。胸の奥がざわついた。ただそれだけ。

その直後、自転車が急停止する音がした。ブレーキが甲高く鳴り、後輪が横滑りする。運転していた学生が舌打ちをしながら足をついた。

……まただ。


少し進んだ先では、工事現場の鉄パイプがトラックの振動でずれる。作業員が慌てて抑え込む。全部未遂。全部、俺が立ち止まった直後。偶然。そう思おうとすると、回数が多すぎる。

教室に着くと、久遠はすでにタブレットを開いていた。画面に細かな文字が並んでいる。


「今日は反応が早いですね」

「言うな」

「記録です」


短いやり取り。

でも、目は冗談を言っていなかった。


昼休み。

久遠は弁当を広げながら、別の端末を操作していた。医療統計の公開データベース。事故発生年ごとのグラフ。


「……まだ調べてるのか」

「ええ」


視線を上げずに答える。


「私が入院した年、市内で起きた事故の一覧です」


喉が詰まった。


「……出てきたのか」

「一部だけです」


指で画面をなぞる。


「事故の詳細は伏せられています。でも、搬送先と時刻は一致します」

「……」

「複数人が同時に運ばれています」


少しだけ間が空いた。


「……研究施設関連が多い」


ぽつりと呟く。


「私、あの時……母の研究所にいました」


胸の奥が沈んだ。


「……そんな話、聞いたことなかったぞ」

「詳しくは覚えていません。四歳でしたから。ただ――白い床と、焦げた匂いと、サイレンの音だけは残っています」


指先が僅かに止まる。


「……気付いたら病院でした」


それ以上は語らなかった。午後の授業はほとんど頭に入らなかった。黒板の文字を追っているつもりなのに、視線は勝手に窓の外へ向かう。雲の流れが速い。風が強まっている。

放課後、科学研究部。

久遠は机いっぱいに紙を広げ、施設名と病院名を線で結んでいた。付箋が貼られ、赤ペンで疑問符が並ぶ。


「……まだ調べてるのか」

「ええ」

「何を」

「私が幼い頃に入院した年の事故記録です」


喉が詰まった。


「……そんなの、急にどうして」

「最近の事象と分布が似ているので」


淡々としているが、目は笑っていない。


「研究施設絡みの事故が、同時期に集中しています」

「……」

「詳細は伏せられているものが多いです」


久遠の言葉が、何度も反芻される。


――集中。


ホワイトボードには地図と時系列の線が引かれていた。

赤い丸が三つ。全部、最近の事故地点。その中央に、青い丸。


「……これ」


俺が指す。久遠は頷いた。


「私の通学経路です」


背中が冷えた。


「まだ仮説段階ですが」


そう前置きしてから続ける。


「発生頻度が、こちら側へ寄っています」

「……俺じゃなくて」

「はい」

間があった。

「私です」


夕方。

校舎裏の通路。斜面沿いのフェンス。下は三メートル以上の落差。風が強い。雲がちぎれるように流れている。俺は少し後ろを歩いていた。スマホで時刻を確認した、その瞬間だった。

胸の奥が、ぞわ、と波打つ。

フェンスの根元。赤茶けた金属部分が、嫌に目についた。

――錆。

久遠のスカートの裾が大きく煽られる。


「……っ」


踏み出した足元で、金属が鳴った。ぎ、と嫌な音。支柱が、わずかに揺れる。


「久遠!!」


叫んだ時には、突風が吹いた。身体を横殴りにする風。久遠の体がフェンス側へ傾く。錆びた金属が、きしむ。


「……!」


走った。腕を掴む。引き寄せる。二人で転がる。直後、支柱の根元から砂利が崩れ落ちた。フェンスが、ほんの数センチ沈む。

……落ちていたら。

久遠は俺の腕を掴んだまま、しばらく動かなかった。


「……構造劣化」


震えを抑えるように、低く言う。


「腐食が進んでいます。風荷重と体重が同時にかかれば……」


言葉が切れる。


「……偶然では処理できません」


視線はフェンスに固定されたままだ。


「踏み出し位置、風速、腐食度合い」


間。


「全部が一致しすぎています」


俺は何も言えなかった。久遠がぽつりと続ける。


「中心……」


そして。


「間違いないなく私です」

寒気がした。


布団に入っても眠れなかった。

湯気。風。久遠の背中。スマホを見る。


【今日はありがとう】


短い。


【一人で帰らないようにします】


胸が詰まる。


【明日、話します】


画面を伏せる。街は平然としている。


……でも。


確率は、確実に――久遠へ向かっている。

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