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インケルトゥス・コーザリティ――未確定因果の恋  作者: ののそら
1.まだ普通のはずの日常

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12/36

中心の輪郭

朝の空気は澄んでいた。雲は薄く、風も穏やか。ニュースで事故の速報も流れていない。ここ数日の緊張が嘘だったみたいに、街はきちんと機能している。そう思った自分に苦笑しながら、家を出る。通学路のマンホール、自販機の影、電柱の根元。意味もなく目に入るものを確認しているのは、完全に癖になっていた。交差点は青。止まらない。だが一拍遅らせてから踏み出す。


「……大丈夫」


自分に言い聞かせる。

久遠はいつもの位置――半歩前。制服の背中がやけに目につく。距離が少しでも詰まると、胸の奥がざわついた。途中、自転車が横を抜けた。風圧に反射的に肩を引く。後ろの生徒が怪訝そうな顔をする。……別に危険じゃない。ただ、過敏になっているだけだ。

学校に着くまで、何も起きなかった。……それが余計に不気味だった。

教室では久遠がノートを取っている。俺が座ると、ちらりと視線を投げてきた。


「今日は減速が多いですね」

「やめろ」

「事実です」


即答だった。

授業は頭に入らない。チャイムの音が無駄に大きく響く。窓の外で工事車両が通るだけで、無意識に顔を上げてしまう。

昼休み、屋上に向かう階段の前で一瞬足が止まりかけた。昨日の換気口の件が脳裏をよぎる。


「……どうしました」

「何でもない」

「止まりました」

「数えるな」

「数えます」


放課後、科学研究部。部室には誰もいない。久遠はすでにホワイトボードに向かっていた。

交差点。階段。踏切。昇降口。その横に、小さく日付。さらに赤ペンで丸が描かれている。

それだけじゃない。グラフ。折れ線。時間軸。事故未遂件数。


「……俺の位置ばっかじゃないな」

「はい」


久遠はペンを持ったまま振り返らない。


「あなたの回避点だけでは、説明がつかなくなりました」

「どういう意味だ」

「事故未遂の中心が、動いています」


ホワイトボードに新しい線を引く。円の中心が、昨日より少し右にずれていた。


「……誰に向かって」

「それを調べています」


一拍。


「統計的に、最近は――私の通学経路と重なっています」


心臓が一瞬、跳ねた。


「……久遠」

「断定はしません」


即座に言う。


「でも、無視できない偏りです」


ノートをめくる。数字と時刻の羅列。


「あなたの回避率は九割二分」

「そんな細かく……」

「誤差込みです」


淡々と。


「一方で、私は未遂が増えている」

「……偶然じゃ」

「偶然なら、二人とも同程度に巻き込まれるはずです」


言い切られた。


「違うんです」


久遠は低い声で続ける。


「あなたは中心を踏まない。私は踏みかけている」


喉が鳴る。


「……それって」

「危険です」


短く。


「私が」


空気が張り詰めた。


「久遠、変な結論出すな」

「仮説です」

「怖すぎる仮説だ」

「科学は怖いです」


俺は椅子に腰を下ろした。


「……いつからだ」

「最近です」


即答。


「去年までは、平均的でした」

「調べたのか」

「はい」


さらっと言う。


「あなたの事故が起きた時期と、ほぼ一致します」


胸が詰まる。


「あの時から……?」

「収束が目立ち始めました」


久遠は少しだけ視線を落とした。


「……偶然とは思えません」


沈黙。ペンの先が机を叩く音だけが響く。


「もう一つあります」

「まだあるのか」

「私の過去です」


一瞬、迷ったように唇を噛む。


「幼い頃、研究施設で事故に遭っています」


俺は顔を上げた。


「……初耳だぞ」

「詳細は覚えていません」


淡々としているが、声はわずかに硬い。


「ただ、入院記録だけが残っていました。装置の誤作動……爆発……薬品漏洩。記録が曖昧で」

「……怖」

「ええ」


短く答える。


「それ以来、大きな事故には遭っていません。でも」


一拍。


「私は昔から、“運が悪い”と言われることが多かった」


冗談めかした口調だったが、笑ってはいなかった。帰り道、俺は自然と久遠の半歩前を歩いていた。踏切で止まり、左右を見る。久遠は何も言わない。ただ少しだけ歩調を合わせてくる。


「……守ってるつもりですか」

「……分からん」

「合理的ではありません」

「知ってる」

「でも」


久遠は前を見たまま言った。


「嫌いじゃないです」


心臓に悪い。夜、布団に入っても眠れなかった。今日の言葉が頭から離れない。

――私が踏みかけている。

――研究施設の事故。

もし本当に、中心が久遠なら。

俺は――。

考えるのをやめた。まだ証拠はない。仮説だ。全部。

……でも。

世界の偶然が、あいつの周りに集まっている気がしてならなかった。

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