第4話 第三者の視線
最初に気づいたのは、私ではなかった。
「二人って、前から知り合いなんですか?」
昼休み、同僚が何気なく投げてきたその一言に、私は箸を持つ手を止めた。声の調子は軽く、深い意味はなさそうだったけれど、胸の奥が一瞬ざわつく。
「どうして?」
「いや、打ち合わせのときの感じがさ。初対面にしては、息が合ってるなって」
曖昧に笑ってごまかす。こういう質問に、正解の答えはない。正直に話す必要もなければ、嘘を重ねるほどのことでもない。
「仕事の進め方が似てるだけだと思うよ」
そう言いながら、自分でも驚くほど自然な声が出た。嘘に慣れてしまうことが怖い。けれど、過去を説明するほうが、もっと現実的ではなかった。
それから、同じようなことが何度か続いた。
「仲良いよね」
「昔からの知り合いっぽい」
「付き合い長そう」
どれも確信ではなく、ただの印象。けれど、その“印象”が積み重なるほど、私たちの距離は可視化されていく。自分たちが思っている以上に、特別な位置にいるのだと、他人の目が教えてくる。
ある日、取引先との打ち合わせ後、エレベーターを待っているときだった。
「さっきの説明、助かりました」
彼がそう言って、少しだけこちらを見た。
「いえ」
短く返した私の声は、思ったより硬かった。
その様子を、後ろに立っていた取引先の担当者が、面白そうに眺めているのが分かった。
「お二人、長いんですか?」
唐突な質問。
一瞬、空気が止まる。
彼は、間を置かずに答えた。
「いえ、今回が初めてご一緒しています」
はっきりした声だった。迷いも、含みもない。
「そうなんですか? でも、なんだか安心感があって」
取引先は笑っていた。深追いするつもりはなさそうだったけれど、その言葉だけが、胸に残る。
――安心感。
それは、かつて恋人だったからこそ生まれていたものだ。今は、もう持ってはいけないはずの感覚。
エレベーターに乗り込み、ドアが閉まる。狭い空間に、二人きりになる。
沈黙が落ちた。
「……すみません」
彼が先に口を開いた。
「さっき、はっきり言い切ってしまって」
「いえ」
謝られる理由が分からず、首を振る。
「助かりました」
それは本心だった。あの場で曖昧な態度を取られたら、もっとややこしくなっていたはずだ。
彼は小さく息を吐いた。
「誤解されると、仕事に影響しますから」
正しい。とても、正しい判断。
それなのに、胸のどこかが冷えたのは、なぜだろう。
私たちは、もう誤解される立場ですらないのだと、改めて突きつけられた気がした。
エレベーターを降り、廊下を歩きながら、ふと視線を感じる。彼が、何か言いたそうにしている。
「何かありましたか?」
そう尋ねると、彼は少しだけ困ったように笑った。
「いや……周りからどう見えるか、気にしてるんだなと思って」
「それは……」
言葉を探す。
「お互い、立場がありますから」
それ以上は言わなかった。
家に帰ってからも、そのやり取りが頭から離れなかった。第三者の視線は、残酷なほど正直だ。自分たちがどんな距離に立っているのかを、無言で示してくる。
私たちは、過去を共有している。
それを否定しても、消すことはできない。
他人から見れば、ただの仕事仲間。
少し距離の近い、感じのいい二人。
その曖昧な位置が、今は一番危うい。
第三者の目に映った“安心感”は、私がまだ手放せていない感情そのものだった。
気づかれてはいけない。
でも、もう隠しきれていない。
そんな矛盾を抱えたまま、私は次の打ち合わせの予定をカレンダーに入力した。
彼の名前が、そこにあるのを見て、視線を逸らすことができなかった。
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