第2話 変わったところ、変わらないところ
再会してから一週間、彼とは仕事上で顔を合わせる機会が増えた。
偶然ではなく、予定として。カレンダーに表示される名前を見て、もう驚かなくなった自分に、少しだけ安堵する。人は慣れる生き物だ。どんな感情も、日常に組み込まれてしまえば、扱えるものになる。
――本当に?
会議室に入ると、すでに彼は席についていた。ノートパソコンを開き、資料に目を通している横顔は、以前よりも落ち着いて見える。仕事に集中しているときの空気感は、昔と変わらないのに。
「お疲れさまです」
そう声をかけると、彼は顔を上げて軽く会釈した。
「お疲れさまです」
その返事が、少しだけ距離を含んでいる気がした。敬語。付き合っていた頃は、使うことのなかった言葉遣い。仕事相手としては正しいのに、心が追いつかない。
打ち合わせが始まると、彼は的確に話を進めた。要点を外さず、相手の意見もきちんと拾う。以前より、周囲を見る余裕があるように感じる。経験を積んだのだろう。私の知らない時間の中で。
変わったところは、すぐに目につく。
服装もそうだ。昔はもう少し無頓着だったはずなのに、今はサイズ感の合ったジャケットを着ている。派手ではないが、きちんと「選ばれた」印象がある。生活が整っている人の装いだ。
変わってほしくなかった、と思うのは傲慢だろうか。
一方で、変わらないところもある。
説明の途中で、言い淀んだ相手の言葉を、自然に補う癖。議論が煮詰まったときに、無意識にペンを回す仕草。コーヒーを飲む前に、必ず一度だけカップを持ち直すところ。
気づいてしまう自分が、怖かった。
私はもう、彼のことを知らない人間であるべきなのに、体が先に反応してしまう。覚えている必要のない情報が、記憶の奥にそのまま残っている。
打ち合わせの後、同席していた同僚が何気なく言った。
「二人、息合ってますよね。前から一緒に仕事してたんですか?」
一瞬、言葉に詰まる。
嘘をつくほどのことでもない。でも、正直に言う理由もない。過去を説明する義務なんて、どこにもないはずだ。
「いえ、今回が初めてです」
そう答えるより先に、彼が口を開いた。
「分野が近いので、考え方が似てるだけだと思います」
さらりとしたフォロー。助けられた、と感じたのと同時に、胸の奥が少しだけ冷えた。
――そういう距離の取り方を、覚えたんだ。
仕事が終わり、帰り支度をしていると、彼が声をかけてきた。
「今日の件、少しだけ確認したいことがあるんですが」
業務の話。分かっている。それなのに、心拍数が上がる。
廊下の隅で、資料を広げながら話す。距離は、腕一本分。近すぎず、遠すぎない。意識的に保たれている距離だ。
「ここ、念のためもう一度詰めたほうがいいと思って」
「そうですね。私も気になっていました」
言葉を交わしながら、ふと、彼が昔と同じタイミングで頷くことに気づく。自分が話し終える、ほんの少し前。続きを予測している証拠だ。
まだ、私の話し方を覚えている。
確認が終わり、話題が途切れる。沈黙が落ちた。
その沈黙は、以前なら気まずくなかった。今は、何を話していいのか分からない。
「じゃあ、また」
彼がそう言って立ち去るのを見送りながら、私はその背中を目で追ってしまった。
知らない人になってほしかった。そうすれば、楽だったのに。
帰り道、今日のやり取りを何度も反芻する。変わったところと、変わらないところ。その両方が、同じくらい私を揺らしていた。
彼はもう、私の恋人ではない。
それでも、完全な他人とも言い切れない。
その中途半端な位置に、自分の感情がまだ留まっていることを、否応なく認めさせられた一日だった。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




