第13話 選ばれない覚悟
連絡を取らないまま、数日が過ぎた。
忙しかったわけではない。ただ、こちらから連絡する理由を失っていた。仕事の用件はすでに片付いていて、私的な話をするには、もう以前のような曖昧さに甘えられなくなっていた。
彼からも、何も来なかった。
それが答えだと、頭では分かっている。それでも、胸の奥では、まだ何かを期待してしまう自分がいる。その期待を、少しずつ手放す作業が、思っていた以上に重かった。
金曜日の夜、仕事を終えて外に出ると、空気がひんやりとしていた。秋が近づいている。季節が変わるときは、いつも少しだけ心細くなる。
スマートフォンが震えた。
〈少し、会えますか〉
彼からだった。
その短い一文を見て、胸が静かに波打つ。拒む理由も、すぐに頷く理由もあった。
それでも、私は返事をした。
〈分かりました〉
会うなら、きちんと終わらせようと思った。逃げるためでも、期待するためでもなく、自分の選択として。
場所は、駅から少し離れた静かな公園だった。夜でも人通りがありすぎず、少なすぎもしない。どこか中途半端で、今の私たちに似ている。
ベンチに座って待っていると、彼が現れた。少し急いできたのか、息がわずかに乱れている。
「待たせてすみません」
「いえ」
向かい合って立つ。以前なら、自然に隣に並んでいた距離。今は、あえて一歩分、間を空けている。
「連絡、くれなかったですね」
彼が言った。
「はい」
責める響きはなかった。ただ、事実を確認するような声だった。
「考えてました」
彼は続ける。
「前に話したこと」
私は頷いた。
「私もです」
沈黙が落ちる。風が木々を揺らし、葉の擦れる音が耳に入る。
「……正直に言います」
彼が言った。
「まだ、決めきれません」
その言葉を聞いた瞬間、不思議と心は静かだった。予想していた答えだったからかもしれない。
「あなたと一緒にいる未来を、考えないわけじゃない」
「でも、覚悟として引き受けきれるかと聞かれると……自信がない」
丁寧な言葉だった。誠実さもあった。だからこそ、逃げ道がなかった。
私は、少しだけ息を吸ってから、口を開いた。
「ありがとう」
自分でも驚くほど、落ち着いた声だった。
「ちゃんと、正直に言ってくれて」
彼は、何か言おうとして、言葉を探しているようだった。
「でも」
私は続ける。
「それなら、ここまでにしましょう」
空気が、はっきりと変わった。
「……え?」
彼の声が、わずかに揺れる。
「好きです」
それは、逃げずに言うと決めていた言葉だった。
「今も」
視線を逸らさずに、続ける。
「だからこそ、このままは無理です」
彼は、何も言えなかった。
「待つことも、できなくはない」
「でも、それを選ぶには、私の人生が必要になる」
言葉を選びながら、でも曖昧にはしなかった。
「あなたが決められない間、私は止まったままになる」
「それを、もう一度は選べません」
過去の自分を、否定するわけではない。あのときは、それが精一杯だった。
でも、今は違う。
「あなたが悪いわけじゃない」
「逃げているとも思っていません」
彼は、唇を噛みしめるようにして聞いていた。
「ただ、今の私たちは、同じ場所に立てていない」
それだけのことだ。
しばらく沈黙が続いたあと、彼が小さく息を吐いた。
「……引き止めたら、変わりますか」
その問いに、胸が少しだけ痛んだ。
「いいえ」
即答だった。
「変わらないと思います」
「引き止められて残るのは、私じゃなくて、過去の私です」
彼は、ゆっくりと頷いた。
「……分かりました」
その声は、低くて、静かだった。
それ以上、言葉は交わさなかった。必要なことは、すべて言った。
「大切にしてくれて、ありがとう」
最後に、そう伝えた。
彼は、何かを言いかけて、結局何も言わなかった。ただ、小さく頭を下げた。
背を向けて歩き出す。
一歩進むたびに、胸の奥が少しずつ痛む。それでも、後悔はなかった。自分で選んだ結果だ。
公園を出て、夜道を歩きながら、私はようやく気づいた。
これは、選ばれなかった終わりじゃない。
自分を選んだ終わりだ。
涙は出なかった。
代わりに、胸の奥に、静かな空白が生まれていた。
それはきっと、新しい選択のための場所だ。
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