第12話 主人公の揺らぎ
家に帰ってから、しばらく何もできなかった。
着替えもせず、バッグを床に置いたまま、ソファに腰を下ろす。部屋は静かで、時計の針の音だけがやけに大きく聞こえた。
踏み込めなかった一線。
その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。彼の表情、沈黙、言葉を選ぶ仕草。どれも、前にも見たものだった。
――また、同じ場所に立っている。
それに気づいてしまった今、何もなかったふりはできない。
スマートフォンを手に取る。連絡が来ているわけではない。ただ、無意識に画面を見てしまう自分がいる。昔と同じだ。待つ側の癖は、簡単には抜けない。
ため息をついて、画面を伏せた。
翌日、久しぶりに友人と会った。仕事帰りに立ち寄った小さな店で、軽く食事をするだけの約束だった。
「で、どうなの?」
料理が運ばれてくるなり、単刀直入に聞かれる。
「何が?」
「再会した元恋人」
隠していたつもりはなかったが、話した覚えもない。それでも、分かる人には分かるらしい。
「……どうも、こうも」
言葉を濁すと、友人は箸を止めて、こちらをじっと見た。
「前と同じ顔してる」
胸に、少し刺さる。
「期待して、諦めようとして、まだ手放せてない顔」
図星だった。
「結婚の話?」
私は、ゆっくりと頷いた。
「やっぱりね」
友人は、短くそう言った。
「彼、変わった?」
その質問に、すぐ答えられなかった。
「……少しは」
「でも、決めてないでしょ」
あまりにも即答で、苦笑してしまう。
「うん」
「じゃあさ」
友人は、少しだけ声を落とした。
「それ、やり直しじゃなくて“続き”じゃない?」
その言葉が、胸の奥に静かに沈んでいく。
続き。
過去の延長線上で、また同じ選択をしようとしているだけではないか。彼が決めるまで待つ。理解して、我慢して、自分の希望を後回しにする。
「待つのは、悪いことじゃないよ」
友人は続ける。
「でもね、“待つ”を選ぶなら、それは自分で選ばないとだめ」
自分で。
「相手が決めないから待つ、は違う」
「それは、選ばされてるだけ」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
私は、今まで何度も“選ばされる側”に立ってきた。彼だけじゃない。仕事でも、人間関係でも。波風を立てないように、相手の都合を優先して。
「あなた、もうそれがしんどいって顔してる」
図星だった。
帰り道、一人になってからも、友人の言葉が頭から離れなかった。
待つ覚悟はあるのか。
それとも、もう待たないと決めるのか。
どちらも、簡単じゃない。
家に着いて、窓の外を見る。街の灯りが、変わらずそこにある。世界は何も変わっていないのに、自分の中だけが揺れている。
彼のことは、今も好きだ。
それは、否定できない。
でも、好きでいることと、一緒に生きることは違う。
その違いを、私はもう知ってしまった。
夜遅く、ベッドに入っても、なかなか眠れなかった。過去の自分と、今の自分が、頭の中で向き合っている。
――また待つの?
――それとも、今回は自分を選ぶ?
答えは、まだ出ない。
ただ、一つだけはっきりしている。
このまま曖昧な関係を続ければ、どちらかが壊れる。
そして、その“どちらか”は、きっと自分だ。
それだけは、もう避けたいと思った。
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