バケツプリン
バケツプリン。
この言葉を初めて知ったのは、確かDr.スランプだったと思います。
その言葉の持つ力強さは、衝撃的でした。
いつか食べてみたい。
子供の頃の私がそう思ったのも無理はありません。
ただ、現在までその機会に恵まれることはありませんでした。
そして今、思うのです。
その機会が無くてよかった、と。
このバケツプリンという存在は、色々な娯楽媒体で目にします。
そんな印象を受けます。
多いのはやはり、『作ってみた』でしょう。
私も多分、何かの映像をみたことはある気がします。
その定かではない記憶の上澄みとして残ったのは、『やるもんじゃない』。
あれは恐らく漫画の中だから成立する魅力だったのでしょう。
実物の映像は、生々しく、いびつ。
そんな感情が記憶に引きずられて顔を出します。
考えてみると、プリンの素材強度と大型化による自重の増加、これらの関係によりバケツサイズのプリンがその形状を保てないのは明白。
だが、その事実に目を背けて試す人が後を立たない。
かくいう私も失敗例を見るまで気づきませんでした。
脳内に刻まれたバケツプリンの艶やかさ。
現実で生み出される形の崩れたなにか。
すなわち、
バケツプリンは偶像である。




