今日こそは~交際3年めのプロポーズ~
今の彼女と付き合い始めて3年になる。
いよいよ結婚を視野に考え始めたものの、彼女はいつものようにのんべんだらりと僕の隣で本を読んでいる。
同棲をしているわけではない。
仕事終わりに僕は彼女と会い、食事をし、そして頃合いまで僕のアパートで互いに本を読んだりテレビを見たりと、ダラダラと過ごすのだ。そんな毎日がここ1年も続いている。
しかし、これでいいのか、と最近思うようになってきた。
このままでは、なんとなく先に進まないような気がする。
最初の2年間は、至福の時だった。
互いに刺激を求め合い、しょっちゅう遠くへ出かけては朝帰りを繰り返す日々。
彼女は僕にとって最高の女性だった。
活発で明るく、少し抜けているところも魅力的だった。
面倒見も良く、職場の後輩の相談にも乗る優しさも兼ね備えていた。
告白したのは僕の方だ。
取引先の受付をしていた彼女に一目惚れをした。
それからは、用もないのに何度もその会社を訪れ、そこの担当者に挨拶だけして帰った。すべては彼女に会うためだった。
何度も通ううちに、彼女は僕の名前を憶えてくれるようになり、受付で名乗らずとも担当者を呼んでくれるようになった。
そんなある日、僕は勇気を振り絞り、彼女を食事に誘った。何度か断られたが、それでもしつこく誘い、ついにはOKをもらった。どうやら、付き合っていた男と別れた直後だったらしいのだが、そんなことはどうでもよかった。
彼女と食事ができる、それだけで僕は有頂天になった。
「一目見た時から好きでした。付き合ってください」
初めての食事で、そう言った。今思えば、なんて浅はかだったんだとおもってしまうが、そのときの僕にとっては告白をしないという選択肢はありえなかった。
フラれてもいいから、この想いだけはしっかりと伝えたい。そう思ったのだ。
そして、僕の告白に彼女は「よろしくお願いします」と頭を下げた。
彼女の返答は驚くことにyesだった。
これでもか、というくらい僕は舞い上がった。
ファミレスで握りこぶしを上げながら叫ぶ僕の姿に、彼女は恥ずかしそうにうつむいていたのを今でも覚えている。
それから3年。
今はもう、輝かしい想い出だ。
化粧を落とし、僕の隣で本を読む彼女の姿は、まるで僕のことを男として見ていないかのようだった。
それでも。
僕は彼女が好きだった。
一生一緒にいたいと思っている。
彼女はどうなのだろう。
僕との3年間は、無駄な3年間だったと思っているのだろうか。
怖くて聞いたことはない。
聞いて後悔するくらいなら、聞かずにこのままずるずるいくほうがいいのかもしれない。
しかし、僕は決意していた。
彼女に心の内をさらけだして、一歩先へ進もうと。
「なあ美加」
僕はソファに座りながら本を読んでいる彼女に声をかけた。
「ん? なあに?」
彼女は姿勢を変えずに返事だけする。
「大事な話があるんだ。聞いてくれないか」
なぜか正座をしている自分がいる。
改まって言おうと思うと、身体が硬直してしまう。
僕の真剣な態度に気付いたのか、彼女は本をパタンと閉じた。
「あの……、あのさ……。僕たち、付き合って3年になるよね」
「うん」
「それでさ、考えたんだけど、ずっとこのままっていうのも、あれだよね」
「うん」
「だからさ、その、えーと。け、結婚しない?」
「………」
しばしの沈黙が訪れる。
言った。
言ってしまった。
僕は急激に頭が沸騰して彼女の顔を見ずにうつむいた。
どんな反応をしているのか、怖くて見ていられなかった。
「大ちゃん」
どれくらいの沈黙があっただろう、彼女は口を開いた。
なんてことはない、いつもの口調だ。
僕はホッとして顔をあげた。
そこには、目に涙を浮かべてふくれっ面をしている彼女がいた。
「み、美加……?」
「もう!」
「え?」
「もう! もう! もう! 大ちゃんの、もう!」
「大ちゃんのもう!?」
な、何を言い出すんだ?
おかしくなっちゃったの?
「なんでそんな大事なこと、この場で言うの!? 信じられない!」
そう言って、ポカポカとげんこつで僕の頭を殴ってくる。
「わ、美加、やめろ、やめろって!」
僕は必死で抵抗した。
「プロポーズの言葉って、すっごく大事なんだよ? なんでそんな軽い感じで言うの!?」
「ごめん、ほんとごめん!!」
ていうか、めちゃくちゃ真面目だったんですけど……。
なんて言い訳は、今の彼女には通用しないだろう。
僕は本気で謝った。
ひとしきり殴り終えたあと、彼女は疲れ切った顔で僕に言った。
「ということで、今のはナシね」
「は、はあ……」
ナシ、ということはノーカウントってことか。
つまりは……、
はて、どういうことだ?
きょとん、としていると彼女は言った。
「ナシってことは、最初からってことでしょ」
「あ、ああ、そういうことか」
なるほど。
うん、よし。今度こそ。
「あのさ、僕たち別々の会社で働いて、こうして出会ってから付き合い始めてもう3年になるけど……」
彼女の顔が、ひょっとこみたいになった。
ああ、かわいいなあ、ちくしょう。
「前置きが長い」
「あ、ごめん」
僕は深呼吸すると、面と向かって彼女に言った。
「美加、僕と結婚してくだしゃい」
噛んだ……。
真面目な顔して真面目なセリフを吐いて、噛んでしまった……。
思わず固まる僕に、彼女はクスクスと笑いだした。
笑うなよ。
「大ちゃんは、やっぱり大ちゃんだね」
それは褒めてるのか?
彼女はひとしきり笑ったあと、姿勢を正して言った。
「いつもお世話になっております、柴田大輔様。本日はどのようなご用件でございましょうか」
彼女の言葉に、きょとんとする。
これは、受付の時の彼女のセリフだ。
だが、目は業務用のものではなく、優しく僕に向けられている。
ああ、なるほど。
僕はコクリとうなずいた。
「えーと、こちらに馬淵美香さんはいらっしゃいますか?」
「馬淵美香でしたら、わたくしでございますが」
「そうですか。実はお願いがあるのですが」
「なんでしょう」
「弊社のうだつのあがらない平社員が、あなたとどうしても新規契約を結びたいと申しておりまして」
「それは大変ありがたいお言葉ですね。新規契約とはどのようなものなのでしょう?」
「それが、畏れ多いことに一生側にいてほしいという契約です」
「まあ、それはとても難しい契約ですね。どなたがおっしゃられているのです?」
「僕です」
「そうですか。でしたら、お断りする理由もございません。よろしくお願いいたします」
その言葉に、僕は三文芝居を忘れて素に戻った。
「え、いいの……?」
戸惑う僕の目に、ニコリと笑う彼女が映る。
「うだつのあがらない平社員様の側にいられるだけで、私は幸せです」
そう言って美加はそっと近づくと、僕に唇を寄せた。
それは、忘れかけていた彼女の甘い口づけだった。
お読みいただきありがとうございました。