猫の家
秋谷家は引っ越す事になった。
姑の千鶴は嫁をノイローゼにさせて自殺に追い込んだと近所で噂されて引き籠りがちになり、認知症を発症した。
今では動物のように糞尿を垂れ、衣類も着れなくなってしまった。
時折、裸で出てきてしまい、人語と思えないような動物の鳴き声のような声を出し、近所からの目は更に冷たくなった。
父親は母への不満もあり、世話をする様子も面倒を見る様子もなく、人として振る舞えなくなった母親を施設に預けた。
父親は家を離れたかったのだろう。自らは千絵を連れて、県を跨いで引っ越す事にした。
引っ越し準備で慌ただしい家の中、千絵は家の影に潜んで見える猫の姿を見ていた。生前の母親との約束で、誰にも猫の事は話していない。
家の中に猫たちが潜んで蠢いている。
猫たちはこちらを伺うように見てくるが、消して近付こうとはしない。千絵が手を伸ばすと皆逃げていく。
夜、千絵と父親が並んで寝ていると、猫が父親を見下ろしていた。大人ほどある塊になって父親を覗き込んでいる。
絵本の中のお化けのように、父親を食べようとしてるんじゃないかと思ったが、そう言う訳でもない。
ただじっと見下ろしている。
それだけなのに、猫のお化けが出た次の日は、父親は体調が良くなさそうだった。
会社に行く前に千絵を保育園に送るはずだが、なかなか起きれず、トイレからなかなか出てこない。中から苦し気な声がして、出てくるとげっそりとした顔をしていた。
そんな状態だから、父親の身なりはだんだん草臥れて小汚なくなり、顔や目からも生気がなくなっていった。
「おとうさん。おとうさんは、おかあさんやおばあちゃんみたいに居なくならないよね?」
ある日の出来合いだらけの夕飯で千絵から投げ掛けた言葉に、父親は力なく笑った。
千絵は父親が横になった後、そっと家にいる猫たちに向かって祈った。
(わたしのかぞくはおとうさんしかいなくなっちゃいました。だから、どうかおとうさんはつれていかないでください。)
そうして千絵が目を伏せると、瞼越しに何かが視界を遮るように伸びてきた。千絵には輪郭も朧気な存在感だったが、それが長くて細い指の手だとわかった。
見えてはいないが、覚えがある。
母親の手だ、と何故か確信できた。
"ごめんね。"
幾つもの声が重なる中に混じって、泣いている母親の声が聞こえた気がした。
翌日。
父親の体調はそれほど悪くなさそうだった。
数日が経ち、引っ越しの日。
千絵は自分の家を振り返った。
たぶんもう二度と訪れることのない家だ。
(きっとうちは…)
2階の窓辺に猫たちが並んでる。
正確には猫たちの形に見える物。
(猫の家になっちゃったんだ……)
誰かの物になってしまったと言う事実と我が家がもう二度と元に戻らないのだと確信しながら、千絵は父親の運転する車に乗った。
遠い新居。
千絵の家の洗濯機には、猫がいる。
猫の家 ー完ー
大変に気分の悪い話ですが、世の中には報われない事が確かに在ります。
また、1度命を殺めてしまった"穢れ"や怨み続ける"呪い"は残ると言う残穢を描ければと思った作品です。




