第五話 誘い(前編)
「…はぁ」
盛大な溜め息を吐く。
(…てめえの甘さに反吐が出るぜ。)
「…まんまと手中にハマったてか。」
苦々しげな竜骨の背後にはのっぺりとした壁があり、入り口が消えていた。あーあ、とダルそうに感嘆しながら、それでもスタスタと歩き出す。
(結局、こうなっちまうと現況ボコすしかねえんだよなぁ…)
するるる、と竜骨の周りを長い腕が纏わり付く。するるるる、手には紐が握られている。
「……。」
『どうして…』
『ああ、金がない…』
『どうして…』
『俺を置いていくな…』
『どうして…』
『死ぬしかない…死ぬしかない…死ぬしかない…』
『どうして…』
『な ん で お れ だ け が』
竜骨は白い枯れ枝のような腕を手で凪ぎ払う。
質量を持った物のように、払われた腕は紐を携えたまま壁に当たってぐちゃりとはぜる。
「失せろ雑魚が!」
怒鳴り付け、竜骨はツカツカと進んでいく。
「コソコソしやがって…うぜえ奴だ。」
暗い共用階段の上に黒い犬の姿を捉えた。怪しげに影に霞む犬。その目の部分には目がなかった。目が毛に埋もれている訳でもなく、僅かに窪みになっている。
「……」
こちらを見ているように見えたが、方向を変えて去って行く。
(……あれも怪異か…。奴にとって此処は巣って言ゃあ、巣なのか?)
害意を感じないが、かと言って関わるつもりはなかった。怪異になど必要以上に関わるべきではない。
「とっとと本丸を叩くか…。」
原因となっている幽霊の気配に向かって、竜骨は歩みを進めた。
マンションの中は暗い。上層になるにつれて濃く明確になる気配を捉えつつ、竜骨は階段を登る。人の生活から離れて久しい建物はどこを向いても埃っぽかった。
(しまった…、すっげーマスク欲しい…。)
竜骨が至極当然の事を考えている間も、思念は死へ誘おうと纏わり付いてくる。思考のない思念であるからこそ、いくら滅されてもその想いのままに何度も何度も紐を携えた手は腕を伸ばして竜骨に向かってくる。
埃臭い空気の中で呼吸をする事にモヤモヤしながら、竜骨はアマゾンの密林を鉈で切り開くが如くバシバシ思念を叩き落として行く。
ーバァンン!
その時、竜骨の背後の扉が勢い良く開いた。




