8:最初の夜
やがて明りがぽつぽつと消え、静かな夜が訪れた。
一部の見張り以外の皆が眠りにつく頃も、サムは小さなランプかたわら機械をいじっていた。
キリのいいところで一息つき、おもむろに懐からロケットペンダントを取り出す。
色あせた写真はすっかり風化し、もはや誰が写っているのかすら定かではないが、サムはそれを腫れものに触るようにそっと触れた。
地球を離れてから最初の夜だ。
(今頃、母さんとミミはどうしているだろう?)
まさか宇宙のかなたでこんな目にあってるとは思わないだろう。
ミミは気丈に見えて泣き虫だから、今頃きっと泣いている。それになぜか、父が死んだ時の母さんを思い出した。
母さんは心配してくれているだろうか。それとも父が死んだときのように、ボロい倉庫をぼんやり見ているのだろうか……。
ふと寝返りの物音に、サムはロケットペンダントを懐に戻し、肩越しに振りかえった。
クリスがイモムシのようにモゾつき、毛布から眩しそうに顔をだす。眩しそうというよりは確実にサムにメンチをきっていた。ランプが眩しいのだろうか、しばらく間があった。
なんだよと口を開こうとした時、クリスはいつの間にか外したメガネをさがし、頭元に手を伸ばす。メガネをつけたクリスが目覚めたようにクワッと目を見開いた。
「すまない、メガネがないと凝視癖があって」とクリス。「君は寝ないのか?」
「ああ、調子がいいんだ。明日には完成する」
サムは言いつつ、流れるようにライトを分解した。
「伍長からいただいたものをさっそくぶっ壊すのか」とクリス。
それにサムはバッテリーに繋がれた機械をご丁寧に手で案内してみせた。改造しているんだ、アレコレいうなよ。
レンズを集光体にする発想に、クリスは興味津々に座り込んだ。頷いて足を組み、肘をつく。どうも少し落ち着かないようだった。
「……妙に静かだ。会議室に籠城していた時は、もっとヤシログモの気配がした」
その言葉にサムも耳を澄ましてみた。言われてみれば、確かに気味が悪いくらい静かだ。
クリスは声を潜ませサムを見た。
「もしかしたら、その武器に頼ることになるかもしれない。何か嫌な予感がするんだ」
その視線はバリケードにあった。サムは、クリスが伍長からもらったライトを知っていたことに気付く。寝入ったように思っていたが、そうではなかったようだった。ホールに到着した時の安堵の表情はとうに失せている。
クリスはこと真面目くさった野郎だが、真面目というよりは気が張るのを抑えられない質なんだろう。自分とはまったく正反対の男だが、どこか憎めない節があった。
サムはちょっと考えた。
「……あんたの奥さんはどんな人なんだ?」
サムは機械をいじりながら訊ねてみた。正直なところまったく興味なかったが、クリスの気が少しでも落ち着くと思ってのことだった。サムの読みは的中したようで、クリスの顔に少し笑顔が戻る。
「ああ、聡明で堅実で、素敵な女性だよ」
クリスは気付くように言って、宝物を眺めるように続けた。
「ちょっとおっちょこちょいで寂しがり屋だけど、最愛のパートナーだ。息子も嫁に似て、天使のように愛くるしい。泣き虫だけど正義感があって、知的好奇心の高い子だ」
砂を吐くほどのノロケしばらく、クリスはあたたかなため息をついた。ついて、現状に静かに目を伏せる。
「……この船に乗ってからもう二年も会っていない。研究も終盤で、もう少しで地球に帰れるところだったのに」
「帰るんだよ、意地でもな」
サムは言って、機械をライトに固定した。
「へこんでいても現状は変わらねぇのは、お互い骨身にしみたろ」
身も蓋もないセリフだったが、クリスはそれに少し眉を上げ、ゆっくり頷いた。
このヒゲ男はあんぽんたんだが、芯のある男だ。迷いはあれど根性と実力がある。現にこうしてここにいられるのも、ヒゲ男のおかげに他ならない。
クリスは「ありがとう」と口の中で呟いた。
二人の様子を、コンテナの裏で静かにうかがう影がひとつ。その影、エイミーが唇を噛んだ。二人のやりとりの一部始終に耳を澄まし、地面を親の敵のごとく睨みつけていた。
周囲のざわつきに目が覚めたサムは、弾けたように飛び起きた。
あたりは困惑とパニックの入り混じった声が飛び交い、クルー達は青ざめた顔で走り回っている。
気付けばそばで寝ていたクリスの毛布はもぬけのからで、代わりに恐怖に歯をならすエイミーがサムのそばでへたり込んでいた。
「何があった?!」
サムはエイミーに振ったが、エイミーは両肩を震わせ首を振るだけだ。
「大変なことになった」
人ゴミをかきわけサムを立たせたのは、血相変えたクリスだった。
「どうりで静かなわけだ。ヤシログモの奴ら、このホール自体を巣にするつもりだ。バリケードの外は繭まみれだ」
遠くで悲鳴があがった。バリケードのわずかな隙間から糸が次々と溢れている。
「時間がない」
クリスは舌打ちひとつ、サムに向き直った。
「武器はできたか?」
サムは当然に頷き、自分の毛布を引き上げた。しかしバッテリーと電線、それ以外は何も無い。
「えっ!」
サムは言って、コンタクトを探すようにあたりを這う。
「……なっない、ないぞ、寝る前にバッテリーに繋いでいたんだ!」
言ってガッデムに頭をかかえた。
サムの様子にエイミーが二、三歩あとずさり、そそと踵をかえす。すかさずその腕を掴んだのはクリスだった。
「エイミー、君は昨夜この辺をうろついていたな。何をしていた?」
射抜くような、確信的な瞳にエイミーが震えあがる。
「ぇ……ぁ……」
言葉に詰まったエイミーが首をふり、クリスの手をほどこうとあがく。しかしクリスの手の甲は血管が浮き出るほどだ。
「い、痛ぃ……離してぇっ……!」
エイミーの蚊ほどの声はかすれ、今にも泣きだしそうだ。
「言え!」
クリスが腹の底から怒鳴り上げる。「どこに隠した!!」
サムふくめあたりのクルー達が思わず呼吸を忘れた。クリスの怒りに震える手が、エイミーの額に銃口を押し付けていたのだ。
今にも引き金をひかんばかりの激昂に、サムが慌てて銃口を掴み上げる。しかしとてつもない力みに振りはらわれた。その勢いにエイミーが悲鳴ままに泣きわめく。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!!」
しゃくりあげ、その場に力なくへたりこむ。
「昨夜の話きいちゃったの、悔しくて、それで廃材ボックスに……ッ」
エイミーが言い終わる前に、クリスは弾けたように人ゴミをかきわけゴミ置き場へ駆けて行った。
サムはクリスの背を見、エイミーを見た。エイミーは両手で顔をおおい、さめざめ泣いている。サムは一発ひっぱたきたい衝動を抑え、クリスの背を追ったのだった。




