6:排気ダクト
「……そうだ、排気ダクトだ!」
サムは言ってあたりをひっくり返し始める。ひっくり返して、パニックにけらけら笑っているエイミーをみた。
「おい」
サムが言って、エイミーの肩をつかむ。
「もうだめよ、サム。みんな死ぬわ」
サムは返さずにそのままエイミーを押しのけた。壁の隙間に手を突っ込み、足をかけ全力でひっぺがす。あった!
そばの鉄パイプでファンをこじあけたサムは、大きく声を上げた。
「排気ダクトがあった! ここから脱出するぞ!」
クリスがサムの一声に頷き、踵をかえし駆けつける。サムの言う排気ダクトにクリスはぎょっとした。巨大な排気ダクトはまるで井戸のようにぽっかりとした暗闇だ。おまけに滑り台も目をむくほどの下り構造で、マジかよといった目でサムを見る。
「こういうでかい室内工場には換気用の有圧換気扇があるんだよ」
サムは言うなり高電圧バッテリーの一つを後方に投げ、銃弾を一発撃ちこんだ。バッテリーは花火のように火を噴き出し、ヤシログモが大仰天に大きく退く。
「とにかく行くぞ! ここよりマシな事を祈ろうぜ!」
サムは言うなり排気ダクトに飛び込んだ。ガコンガコンとぶつかる音が遠ざかる。クリスは一瞬ためらったが、すぐさまエイミーを抱え、排気ダクトに足をかける。
ええいままよ。クリスは胸で十字をきり、排気ダクトに飛び込んだ。飛び込んで、予想以上の傾斜に男が縮こまる。
降りるというより落ちる!
エイミーがクリスにフジツボのようにしがみつき、クリスはエイミーが壁にぶつからぬようしっかり抱きかかえた。落下のスピードに叫び声も消え、風が耳をきり内臓が仰天する。両足でスピードを殺そうとしたものの無駄に終わった。
かかった足に体勢が崩れ、一回転が三回転になり、クリスは自分の意識が飛ぶのを感じた。
「ま~だ寝てんのかよ」
低い声がした。
「おい、生きてるか?」
ちょっと気まずそうな声音だ。このヘラヘラしたかんじはバカヒゲ男だ。クリスはうっすら目を開けた。ライトが痛いほど眩しかったが、バカヒゲ男ことサムの大きな体がそれをさえぎる。
「おい、大丈夫かよ?」
今度はちょっと心配そうな声だ。「何とか言えって」
クリスはまわる頭をもたげ、まわりを見わたし仰天した。大広間ホールに、愕然と呟く。
「……これは……どういうことだ?」
高い天井のライト眩しく、足元のカーペットは水を弾きそうなほど清潔だ。あちこちは避難所のようになっていて、およそ体育館ほどの大きさがある。空調のきいた爽やかな空気が心地いい。
そして驚くことに、百人以上ものクルー達が、何事かとサム達の様子をうかがっていた。
「まだこんなに生き残りがいたなんて」
エイミーが呆然と様子に続けた。二人ともまるで生まれたばかりの雛のようにぼんやりしている。
サムは両手を広げてご紹介した。
「排気ダクトは避難所に繋がってたんだ。ま、俺が工具で通路をこじ開けまくったんだがな。今しがたダクトからヤシログモが流れてこないようファンを繋いで、皆でガッチリ蓋をしてきたところだ」
「本当に……奇跡としかいいようがない。幻じゃないよな?」
クリスは言いながら身を起こし、同じく呆然とするエイミーに手を貸した。
その時、たくさんのクルー達の中から何人かが声をあげ、人だかりをかきわけクリスにかけよった。
「クリス! 無事だったか!」
クリスは目覚めたように声をあげた。
「ヘンリー! みんな……!」
同僚たちと抱擁をかわすクリスはやっと、こわばった表情が安堵にほころぶ。それではじめてサムは大きく息をついた。
さてと一息、大広間ホールをみわたす。ホールは食料コンテナや簡易の寝具やトイレなどがあちこちにあった。
みたところ、バリケードも常に監視されていて、備蓄も武器も十分のようだ。残り五日間は十分安全に過ごせるだろう。
(一時はどうなる事かと思ったが、運がよかったぜ……)
「おいっ誰だ貴様は」
突然声をかけられ、サムははたと振り返った。振りかえって見おろすと、軍服を気詰めた薄頭の醜男がサムを見上げている。への字口がイモムシみたいだな、とサムは思った。
「なんだよ、おっさん」
おっさんは顔を真っ赤にしわくちゃにしてサムを見上げる。
「おっさんではない。ポーマンだ! ポーマン伍長様と呼べ!」
サムは思わず眉根を寄せた。勤めていた工場の親会社と同じ名前だったせいもあるが、偉そうにふんぞりかえって吠える野郎ほど気に食わないものもない。
伍長は憤慨にサムに指をつきたて、やれ生意気だの敬語を話せだのまくしたてている。
鬱陶しい奴だとサムは視線をクリスにやったが、どうやら慣れっこらしく再会の喜びを優先していた。
「おい! きいているのか!」
伍長がサムの膝を蹴るも、その安全靴の鉄板にヒャアと素っ頓狂な悲鳴を上げ足先をかかえる。
「おいおいおっさん、作業員の足を蹴るなよ。安全靴に決まってんだろ」
サムは呆れかえって見おろしていたが、後ろからクリスに頭をはたかれ口先をとがらせた。クリスはサムの文句ありげな視線にかまわず、伍長に敬礼ひとつ。
「ご無事で何よりです、ポーマン伍長」
伍長は大きく息を吸って腹を膨らませ、砲台のように吠えた。
「貴様ら研究員の仕事は! ヤシログモを暴走させる事か?! ええ!?」
伍長がヒステリックに両手を広げ続けた。
「貴様らの物品食料はないからな! 命がけでワシを守り抜いたら、軍法会議で色くらいはつけてやるわい!」
サムは内心舌打ちひとつ、腕を組んだ。
(なんだこいつ? 伍長だかダチョウだが知らねえが、老害ここに極まれりってやつだな)
弱い犬ほどよく吠えるというだけある。一発どついたらどんな顔をするか容易に想像できた。
伍長のマシンガントークは止まらない。一方的に責められるクリスは、ただただ頭を下げるだけだ。
まるでクリスがヤシログモを放流したかのような言い草に、サムは鼻息ひとつズイと一歩前に出る。
「キイキイうるせぇな、生理かよ?」
その呟きにさらに顔を真っ赤にした伍長は、怒りに震える指でサムを指した。
「きッ貴様! 階級をのべろォ! 何様のつもりだァ!」
「人間様に決まってんだろ」
売り言葉に買い言葉を阻止したのはクリスだった。サムの頭にキツいゲンコツを落としたのだ。続けてすぐさま襟首を掴み、抱え込むように耳打ちをする。
「(気持ちはわかるが目上は敬え、このバカヒゲっ!)」
伍長の憤慨を断ったのはエイミーだった。エイミーが間に入り、上手にゴマをすりつつ現状の指導を願いたてたのだ。
可愛いその仕草に気をよくした伍長が、エイミーの胸を見ながら得意げに踵をかえす。エイミーの目配せたウインクにクリスは感謝し、襟を正してサムを見た。
「……ああいう上司には適当にゴマをすっていればいい。火に油をそそいでも無意味だ」
それにサムはフンと鼻を鳴らしたが、その視線は伍長にあった。
「俺ぁごめんだぜ、ヘコヘコするのが仕事なら別だがな」
「敵は作るなと言ってるんだ。心中相手を嫌うは勝手だが、必要もなしに嫌悪を表に出すな。不徳な人間を敵にすると足かせにしかならないぞ」
クリスはサムをまっすぐ見て続けた。
「君は色々と経験不足だ、もっと社会を勉強したほうがいい。ああいう上の立場にある人間は、立場相応の理由があるんだ」
サムはお手上げに手の平を見せおどけてみせた。
「何だ、お説教かよ?」
「君を評価した上で、君のためを思って言ってる。面接落ちも納得だ。理不尽や屈辱はごまんとあるんだ、なら頭を下げてでも効率よく出世して、部下を育てる方がいい。君には一朝一夕では得ることのできない技術と、知識と経験で培った価値があるじゃないか、わざわざ無下にするな」
クリスは真っすぐな瞳でサムを見ていた。見下すわけでもなく同情するわけでもない瞳、諭すようなそれになぜか腹は立たなかった。
ことクリスの印象は性悪メガネだが、もしかしたらイイ奴なのかもしれないと思った。思って、思い返した。思い返してなぜ性悪と思っていたかを思い出す。
「……そういうあんたは、俺のこと汚いヒゲ呼ばわりしたよな?」
クリスが呆れに溜息一つ。
「当たり前だ。帰還したら剃れよ、みっともない」
当然のごとく言って、クリスはさっさと作業の手伝いに戻っていく
「……帰還したら、か」
サムは呟き、その背に軽く手を振ったのだった。