5:廃棄エリア
それから間もなく、最初こそ恐る恐るに、三人とも密やかに走っていた。いつ来るかわからないヤシログモに十分に注意を払い、廃棄エリアを目指す。
じめじめとした空気が肺に重い。あちこち伸びた通路はうんざりするほど長く、宇宙船自体がまるで巨大な迷路のようだった。さぞ立派な研究エリアだったのだろう。しかし大きな研究ポッドのガラスは全て割れ、奥の機械や研究物は恨みつぶしかのように徹底的に破壊されていた。
いつ現れるかわからないヤシログモに注意をはらううち、ふとした違和感に眉をひそめた。
ところどころに張られた薄い蜘蛛の巣にへばりつく、大きな繭状のもの。それがヤシログモによる仕業でろうことはすぐにわかった。まるで薄いフェルトのカーテンだ。そのカーテンに、毛玉のようにくっついている人間サイズの繭がある。
クリスいわく、これが孵化したらヤシログモに寄生された人間が出てくるらしい。
(マジかよ、まるでゾンビ映画だ……)
会話はほとんどなかった。少なくともサムは言葉がでなかった。
幸いにもヤシログモに遭遇することはなかった。部屋から廃棄エリアまでさほど遠くはなかったが、あまりの光景にまるで何時間も走った気分だった。
クリスが先を指す。
「廃棄エリアはここだ。気をつけろ、死角が多い」
あちこちぶら下がる繭を横目、エアロックをくぐる。くぐって、大きく見渡した。
まず最初に目に飛び込んできたのは、家がまるまる入りそうなほどの巨大バッカンとスクラップだった。
次に目に飛び込んできたのも、やはり巨大バッカンとスクラップだった。
(ここが廃棄エリアか……まるで城だな)
廃棄エリアは天井も高いが、スクラップもでかかった。照明は大きく眩しいものの、だだっ広さの前ではさやかな光でしかない。そして暗い廃棄エリアのどんつきには、豆粒サイズの何かがあった。目を凝らせば、さぞ大きいであろう重機がいくつか眠っていた。
「高電圧バッテリーは、制御板のハッチあたりにあるはずだ」
クリスはそう言って、先を進んだ。あたりを確認し、手振りで来るよう促す。サムもそれに続いた。
クリスは小綺麗な性悪眼鏡だが、妙な頼もしさがあった。身長もサムより低いが、その背はうんと広く見える。これが守るべきものを背負う男の後ろ姿なんだろうか、とサムはつぶさに思った。
クリスの背についた瞬間のことだった。先の巨大バッカンの陰から誰かが飛び出したのだ。それにサムが反射的に銃口を上げるも、クリスがそれを制止する。
「……リカード」
クリスはそう言って、夢でも見ているかのように棒立ちにその男を見た。
感動の再会のように思えた。だがクリスは再会を祝う風もなく、ただ突っ立ている。まるで魔法にでもかかったようだった。
一方その男リカードは、ひどく困憊しているように見えた。顔面蒼白で白衣はズタボロだし、髪も乱れている。さっきの声でこちらに気付いたリカードが、クリスの姿を見るや安堵の笑みがこぼれた。
「クリス、よかった。生きてたか……」
人柄の見えるその安堵の笑みは、一瞬で苦痛に歪んだ。苦しげに身を丸めたさいに足をもつらせ、巨大バッカンに手をつく。嘔吐と共に痛いほどの赤い鮮血が床に落ちた。
それに目覚めたかのように駆け寄ろうとしたクリスをさえぎったのは、リカードの手だった。来るな、のそれに時間が止まる。
「あの人、ヤシログモに寄生されてるわ……!」
エイミーが逃げるように呟いた。サムは驚きままに視線をクリスにやった。クリスの背が小さく震えている。かたく握られた拳がふと諦めたようにほどけ、静かに銃を握った。
「……おい」
まさかに、サムが愕然に続けた。「おい、友達なんだろ」
クリスの背に呟く。クリスは返さない。
「クリス、助けてくれ……」
リカードが喘ぐように言った。
「お願いだ、ヤシログモになんかなりたくない……」
口から細い糸が煙のように取り巻きはじめていた。それにクリスがかたく奥歯を噛む。
「すまない、リカード」
クリスは言って、銃口をあげた。引き金が引かれ、リカードは糸が切れたように膝をつき、倒れ伏す。
静かな間があった。
リカードの背中には、まるまる太ったヤシログモがくらいついていた。銃痕からは白濁色の体液が流れ、苦しみまぎれの痙攣にあわせ、水鉄砲のように噴き出している。サムが思わず顔をそらした。
「……くそっ、マジかよ」
映画とはまったく違うリアルに、脳味噌がおっつかない。さっきまでその男は生きていたのに!
「……どうして」
エイミーが両手で顔を覆い、さめざめと首を振った。
「どうしてこんな仕打ちを受けなきゃいけないの、私達が一体なにしたっていうの……」
「……早く高電圧バッテリーを手に入れよう」
クリスは銃口をおろし、続けた。
「今の銃声でヤシログモが集まるかもしれない。僕はここで見張っているから、早く」
サムはそれに応えるように立ちあがった。臆病になった膝を叩いて二、三歩よたつき、制御板に走り出す。それにエイミーも鼻をすすりながら続いた。
サムは肩越しにチラと振り返る。クリスはリカードの遺体に跪き、静かに十字を切っていた。
くそったれ、その一言に尽きた。この心臓が冷たく焼けるような感覚には覚えがある。サムも戦争で親友を亡くしたことがあるのだ。サムは奥歯をかんだ。
(必ず武器を作り上げないと……。こんな無念はこりごりだ)
制御板についたサムとエイミーは、鉄板でできた机ほどの上げ蓋(床下収納)に屈んだ。
指入れの隙間には、長年の歳月と汚れで粘土となった埃が硬く詰まっていたが、サムは腰袋のドライバーでなんなくこじ開ける。中は予備配線やら工具があって、その隙間から洗濯洗剤ほどの大きさの高電圧バッテリーがのぞいていた。その結構な重さにサムが目を丸くする。
「えらく旧式だな。今時こんなの使ってるなんて」
「そうなの?」
エイミーが言いって、しげしげと中を見る。「よくわからないけど、埃具合からみて仕方ないかも」
「それでも古いぜ」
サムが言って、いくつか高電圧バッテリーを抱える。
「無いよりマシか。動くといいが」
銃声が響いたのはそのすぐ後だった。入口にクリスが二、三歩あとずさり、奥でちらちら光る赤い瞳にもう一度発砲する。
クリスが舌打ち一つに声をあげた。
「一気に来たぞ、突っ切るのは危険だ!」
同時、暗い高い天井から例の繭が一つ、餅のようにボタリと落ちた。エイミーが声にならない悲鳴を上げ、サムの背にしがみつく。
その視線の先をサムは見上げ、絶句した。入口付近の死角の天井に、繭が山ほどぶらさがっていたのだ。今にも孵化しそうな落ちた繭に一発撃ち込み、あたりを見渡す。
「ふ、袋のねずみだわ……」
エイミーが首を振り、壁に背をあずけた「みんな、もうおしまいよ!」
エイミーの恐怖からのひき笑いにつられぬよう、サムは一心に目を走らせる。ゴミ、ゴミ、どこもゴミばかりだ。
もしもの脱出経路と計画していた非常口のいくつかも、割れた窓から夢遊病者のように手が飛び出し、ドアノブを手繰っている。響く銃声、落ちる繭。完全に詰みだった。
「マジかよ」
心臓がつぶれそうだった。「お、俺のせいだ……」
自分が調子こいて武器を作ろうとしたせいで、皆ここでリカードみたいに死ぬのだ。血、死、絶望に目の前が真っ暗になった。
「しっかりしろバカ髭ッ!」
割れるような声をあげたのはヤシログモと闘うクリスだった。
「最初から諦めるつもりだったのか! 違うなら動け! まだ生きてるんだろうがッこのくそったれ!」
その声にサムは冷水をぶっかけられたかのように我にかえった。
そうだまだ生きてる、ここで死ぬわけにはいかない。あいつが待ってる、……ミミ!
サムは歯を食いしばり、目覚めたかのように顔を上げた。