3:宇宙船
そして、宇宙。
「なんてこった! くそったれ!」
サムは飛行盤の中心でゆっくり回りつつ、頭を抱え奥歯を噛んだ。彼の視線は今、窓の向こうの宇宙で豆粒サイズになった地球にある。
「落ち着け、落ち着け俺……。ええと、とにかく現状を把握をしないと」
念仏のようにささやきつつ、サムは飛行盤内を舐めるように見渡した。足元の操縦席にかがんで、なんとか掴んだ端っこを引き寄せる。次に壁をうんと蹴ってコントロールパネルへ飛んで、勢いままパネルにぶつかり、さらにその反動で反対側の壁に激突する。サムは舌打ち一つ、今度はそっと壁を蹴り、そっとパネルに手をついた。
あれこれ光るスイッチやカーソルは、まるで飛行機の操縦席のそれだ。サムは目を端から端に走らせる。
わかったことは二つ。飛行盤は自動操縦モードであること、そしてそのプログラムを遂行する気だということだ。
「冗談じゃねえ、俺は地球に帰るんだよ!」
サムは悪態をつき、パネルをあれこれ触ってみた。パネルはうんともすんとも応えない。何か対策はないかと探るに比例して、困惑と不安は大きくなっていった。
飛行盤は何を押しても無効にコースを突き進んでいる。よく見れば、飛行盤はある目標を標準に、少しずつ軌道補正しているようだった。パネルに赤く表示された目的地はそう遠くない。サムは腫れものに振れるように、その赤い光をなぜた。
「なんだこりゃ……?」
サムがささやくと同時、飛行盤の照明が眩しげにちらついた。とたん砲撃をくらったかのような衝撃が、飛行盤を大きく振動させる。サムは泡をくらう間もなくそのおぞましい轟音に目と耳をふさぐほかなかった。
「だあああックソッ!」
何がなにやらわけがわからない。とりあえず劇的にヤバい事になっているのは嫌でも理解できる。まるで洗濯機のようにぐるぐる旋回し、ふわりと浮いたと同時、壁か天井だかに尻が激突した。
「くそったれ!」
自分の気分に同調したその声に、サムは目覚めるように顔を上げた。
暗い。自分の手すらも闇の中だ。それとも自分が死んだのか? その答えはすぐに出た。
鼻をくすぶる硝煙、耳が痛くなるほどの銃声。いつかの戦場のそれだ。雨のような銃声はやがて失せ、出し抜けに何発か響いたあと、静寂が闇を包んだ。
そして、先程の声が反響する。
「おい、誰かいるのか? いたら返事をしてくれ!」
その声にサムは声を張り上げた。
「いるぞ! 助けてくれ!」
同時、五m程先に光の筋が入った。入って、大きく開け放たれる。サムは眩しさに目を細め、目に手のひらをかかげた。光の中心に誰かいる。
「大丈夫か?」
誰かはそう言って、部屋の照明をつけた。部屋? サムは光でくらむ目をこすり、あたりを見回した。
高々としたステンレスラックに収められた工具、あちこちに伸びた太いパイプ達。油の染みた床に、旋回する無数の換気扇たち。
「……えっ、ここはどこだ?」
およそ飛行盤ではないそこに、サムは愕然と呟いた。
「どこって、頭でも打ったのか? 自分の名前は言える?」
その男は怪訝に言って、サムの手をとり立たせた。
「僕の名はクリス。遺伝子工学開発部の研究員だ」
サムはクリスを見た。見たところ年下か同い年ほどか、色白で小綺麗な顔立ちのインテリ青年だ。シャープな緑ぶち眼鏡はレンズにヒビが入っていた。
よくよく見れば、クリスは体のあちこちをケガしている。そしてその手には物騒にも銃があった。
「きったない髭だな……手入れくらいしろよ」
クリスは眉をひそめ、サムに怪訝に吐き捨てる。前言撤回、ただの性悪メガネだ。
サムは性悪メガネことクリスの銃をみやり、先程の銃声がクリスによるものと理解した。
「おい、あんた。飛行盤はどうなったんだ? ここは一体どこなんだ?」
言い終える前に、クリスが銃をサムに向けた。刹那、銃声とともに背後で金切り声が響く。
弾をくらった一匹の巨大蜘蛛が、天井からぼとりと床に落ち、派手に反吐を吐き散らし絶命した。
「おいおいウソだろ、何だこりゃ!」
突如のバケモノに仰天したサムが、大慌てでクリスの背後にまわりこむ。その巨大な蜘蛛は犬ほどのサイズもあった。
「なっ何だ、一体何なんだよ、くそったれ!」
「頭を打っているな」
クリスはやれやれと首の後ろをかき、背負っていたもう一丁の銃をサムに手渡した。
「見ての通り、ここはまだ危険だ。死にたくなければ僕について来るんだな」
SF映画に出てきそうな内装は、まさに宇宙船のそれだった。窓ひとつなく、壁は立派な金属製。そして無惨にも、戦闘の名残があちこちにあった。
(一体何が起こったんだ? ここは一体どこなんだ!)
サムは気が気でなかった。確かにさっきまで倉庫にいたのだ。もしかして頭を打って、悪い夢でもみているのかもしれないと思った。もしくは死に間際の幻覚か……
自分の頬をつねっても、これが現実であるということがわかっただけだった。
やがて辿り着いた先は、バリケードが張られた会議室だった。
教室ほどの籠城には、寒さをしのぐには心もとないブランケットと、段ボールで作られた簡易のベッドや座布団が敷かれている。隅にはわずかばかりの弾丸と、もうじき空になるであろう食料コンテナがあるだけだ。
クリスは食料を探していたようで、小さな缶詰二つと飴玉五粒を床に置く。そしてサムに段ボール座布団に座らせると、淡々と説明を開始した。
クリスの話は突拍子もないものだった。サムはこめかみに指をあて、ちょっと待ってくれと説明の数々を手でさえぎる。
「ええと、つまりこの宇宙船はエイリアンに襲われて大ピンチってわけか?」
サムの解釈にクリスはため息まじりに首を横に振った。
「エイリアンじゃない。蜘蛛の突然変異体だ」
きっぱりと言い切って、ゆっくりとした口調で続けた。
「さっきやっつけたのは、ヤシログモという蜘蛛を兵器として遺伝子組み換えした生物兵器だ。
僕たちはこの宇宙船で、ヤシログモの培養・繁殖を手掛けていた。しかし二日前に突如増殖、暴走・巨大化し、人間に襲いかかったんだ。襲われた人間は体を乗っ取られ、次々と人を襲っている」
クリスは一呼吸おき、しっかりとした口調で続けた。
「散り散りになったクルー達に生き残りがいるかは不明だが……現時点では僕と君と、エイミーといったところか」
言って、隅っこの食料コンテナを見やった。
ふと気づけば、コンテナの陰から気弱そうな女性がサムを見ている。肩までの髪はふんわりとして、まるで天使のような雰囲気が幼顔に花を添えていた。
「……エイミーです」
エイミーは言って、小花のような小さい唇をキュっとつむいだ。まるで野良犬におびえるウサギだ。
「ブリッジまで行けば本部に救難信号が出せるんだ」
クリスが銃の手入れをしながら続けた。
「本部との定期通信は一週間毎。途絶えれば緊急事態として救助隊が出動する。でも見ての通り、食料はほとんど無い。……弾丸も残りわずかな中、あと五日もつとはとうてい思えない」
クリスは言って、うなだれるように首をもたげた。
静かな間があった。バリケードのむこうでは蜘蛛のバケモノ、ヤシログモの気配がうろついている。
現実味のない空気に、サムは奥歯をかんだ。
「ブリッジまで行けば本部に救難信号が出せる。でも外はバケモノがうろついていて、弾丸も食料も少ない……か」
クリスは応えない。サムはクリスの絶望的な様子に、気まずそうに首の後ろをかいた。クリスはよほどまいっているのだろう、死んだように動かぬままだ。
「ねえ、クリス」
沈黙を破ったのはエイミーだった。うなだれるクリスに駆け寄り、肩にそっと手を添える。
「少し休みましょう? もう二日も寝てないじゃない。見張りなら私もできるから、少しは休んで」
切なる訴えに、クリスはいわずもがなに頷いた。
「女性にまかせるわけにはいかない。ブリッジに行く策を考えないと……」
「でも、クリス……お願いよ。あなたが心配なの」
二人の様子にサムが口をへの字に腕を組んだ。
「俺が見張ってやっから横になってろよ。あんたがくたばったらそれこそやばいじゃねえか」
その言葉にクリスは少し考え、素直に小さく頷く。よほど気が張っていたのか、疲労困憊の面持ちがようやくみてとれた。
「くれぐれも気をつけてくれよ、ヒゲ男。なにかおかしいと思ったらすぐに、すぐに起こしてくれ……」
言葉尻が消え、クリスはコンテナにもたれるように眠りにつく。本当に疲れていたのだろう、もうすっかり寝入っているようだ。
クリスが寝入ったことを確認したエイミーが、怪訝にサムを見た。
「あなた一体、何者なの……?」
震える声は鈴のようだ。確かにこれでは見張りすら任せられないだろうとサムは思った。エイミーは生まれたての小鹿のように立ち上がり、持ち上げるのもやっとの銃口をサムに向ける。
「おいおいよせよ、俺だってわけわかんねーんだよ」
サムはお手上げなものの微動だにせず先をうながした。銃口を向けることも向けられることにも慣れているし、まず発砲しないとふんでの余裕だ。
静かな間があった。ややあってエイミーが刺すように呟く。
「ヤシログモは人間に寄生するの。あなたがそうじゃない証拠はある?」
「寄生?」とサム。
「ええ」とエイミー。
「好きなように調べりゃいいじゃねーか!」
サムはうんざりに付け加えた。
「無職になるわ大嵐にやられるわ飛行盤は勝手に飛ぶわ、ヤシログモとかいうバケモノのグロテスクショーを見せられるわでいっぱいいっぱいなんだよ、わかるか? おまけに銃を向けられて『あ、そういやさっきのバケモノに寄生されてない?』って言われる気持ちが」
言うなり手を振り、比較的さっきより冷静な声で付け加えた。
「ああもう、いいから詳しい話を教えてくれ。ここは一体どこなんだ?」
それにエイミーが一瞬困惑に揺れた。視線が泳ぎ、手の銃が下がり、棒切れを持っているかのような風情に立ちすくむ。少し間があって、エイミーは銃をそっとコンテナに立てかけた。
「……ここは宇宙開発調査船。地球上空の静止軌道上にあるわ。状態はクリスの言った通り……」
か細い声が涙にうわずる。
「……突然だった。仲間がたくさん死んだわ、次々と目の前で……本当に怖かった。怖いのはもういや……!」
極限状態で限界だったのだろう。エイミーは力なく膝をつき、さめざめと泣き伏せた。こんなときでも守りたくなるような可憐さが華をそえている。
男ならそっと肩を抱くべきなのだろうが、サムはそうはしなかった。そうするのはクリスの役割だと思ったし、なぜかミミの顔が頭に浮かんでできなかったのだ。そうとも、さっきまでうみねこカフェでミミの作ったいつものサンドを食っていたのに。
「……くそったれ、夢ならとっとと覚めやがれ」
サムは頭痛になやむように重いため息を静かに吐いたのだった。
「すまなかったな」
一時間ほどで目覚めたクリスが、エイミーを交代に休ませ、くるりとサムに向き直った。
「勤務史上もっともキツい徹夜だった。ありがとう、君のおかげで多少、頭がすっきりした」
クリスは言って、サムの向かいに腰をおろした。ヒビの入った眼鏡を指でツイと上げる。
「すっきりしてわかったんだが、君のそのボロい作業着は見たことがない。君は頭を打った気の毒な誰かじゃなく、空間を移動したんだと思う。飛行盤で飛んでる最中に、たまたま近くの宇宙船に引き寄せられたんだ」
「空間を移動?」と怪訝にサム。
クリスはしっかり頷いた。
「ああ。お互い〔宇宙の歪み〕に巻き込まれたんだよ。あれは宇宙嵐みたいなもので、今回のヤシログモの暴走も〔宇宙の歪み〕が影響したものと僕はふんでいる。君も聞いたことくらいはあるだろ、宇宙での無重力実験でサルモネラ菌が突然変異を起こし、毒性が三倍に跳ね上がった事例を。そうさせるエネルギーが空間に点在し、作用しても何ら不思議じゃない」
サムはフゥンと頷いた。サルモネラだか何だか知らないが、要は現状の原因は〔宇宙の歪み〕とかいう宇宙嵐のせいらしい。
「例えるなら、大波をくらった難破船に、たまたま近くを漂流してた小船が巻き添えをくらったかんじか?」
それにクリスは頷き、まるでチップでもわたすかのように小さな冊子をサムに突き出した。サムはパンフレットのようなそれを受け取り、まじまじとみた。どうみてもパンフレットだ。
「そのパンフレットの三ページ目に、この船の案内図がある」
クリスは言って、開くよううながした。「ブリッジまでの道のりを君も頭に叩きこんでくれ」
「ブリッジ?」
「ああ、そうだ」
「行く気か?」
「いいから開けよ」
クリスはちょっと苛つきまじりに顎でふった。サムは三ページ目を開き、この宇宙船の巨大さに「うげっ」と感想を述べた。これを頭に叩きこめなんてサドもいいとこだ。
見たところ、青い丸に囲われた現在位置と、赤い丸で囲われたブリッジはまるで正反対の位置にある。限られた弾丸で、さっきみたいなヤシログモが何匹いるかわからない中、遠いブリッジまでいくだなんてアクションヒーローも裸足で逃げだすだろう。
「おいおい、ブリッジまで行く気か? 自殺行為だ」
サムの一言にクリスは言わずもがなに頷く。
「そうする他ない」
「あんた、まだ寝ぼけてんのか?」
「ここで確実に野垂れ死にするよりマシだろ」
クリスはぴしゃりと続けた。
「ヤシログモは今も僕たちを喰おうと外をうろついている、ここに気付いた他の個体が集まるのも時間の問題だ。そうなったら机や椅子のバリケードなんかひとなぎだろうな。それとも君に何か名案があるっていうのか?」
返す言葉がなかった。考えて、ひとつ唸った。言い返せるようないい策をううんと考える。
たとえば。たとえば銃ではなく、もっと効率のいい武器があればいい。廃品置き場で部品をかき集め、武器を作っていた日を思い出す。武器さえあれば、でかいだけの蜘蛛程度ひとひねりだろう。
サムは背元のコンテナに後頭部をあずけた。何か作れないか、何か。
「随分な案内図の覚え方だな」
クリスが冷ややかにたしなめる。
「今考えてんだよ」
サムはいささかきまりが悪そうに唸った。「あー……廃材とか、電子杓子の一本でもありゃあなあ」
それにクリスがふとした。
「隣室が物品保管倉庫だが」
「なんだって? それを早く言えよ!」
サムが仰天に勢い込んで言った。
「ええと、どっちだ?」
わたわたと足をもたつかせ、あちこちに指をさす。それにクリスがやれやれとサムの手のパンフレットを指した。
「だから案内図をみろよ、バカヒゲ男。言っとくがジャンクばかりだぞ、工具でヤシログモと闘おうったって、そうはいかないからな」