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2:大嵐

 うみねこカフェをあとにしたサムはきらめく海を横目、海沿いの赤レンガの街道を歩いていた。だだっ広い海にちらほらと漁業船が見える。

 続く海岸の遠い先に、サムの職場だった工場や町が見えた。

 

 ざわ、と芝生が波を打つ。

 戦争が終わって、サムのような作業員は次々と職を追われていた。平和になったのはいいことだと思う。少なくとも、自分達の作った兵器で命が失われることはなくなったのだから。

 しかし釈然とはしなかった。軍部で勤めていた父は殉職し、母は壊れた。戦火のさなか、武器を作る仕事しか道がなかった。この町にはそういう若者がごまんといる。正しくは、ごまんといた。皆、爪に火をともして仕事を求め、食うために犯罪に手をそめた者もいた。

 平和になればお役御免、ゴミのように捨てられる。これが平和の代償だというのなら、誰が俺たちを救ってくれるというのだろう?


「おーい、サム!」

 ふと、うみねこカフェの店長がサムの背に声を投げた。何事かと踵を返したサムが、駈け寄る店長を見上げる。

 店長は愛嬌ある笑顔で両腰に手をやった。

「おう、仕事探しの調子はどうだ?」

 薄い頭に汗が光っている。サムは相変わらずに肩をすくめた。

「全然。ポーマン重工は兵器開発で名をはせたってのに、今じゃお役御免で就職難もいいとこだ。……おっちゃん、わざわざそれを訊きに来たのか?」

 店長ことおっちゃんは、サムが子供のころからよくしてくれる恩人だ。父の古い友人で、サムにとってはもう一人の父と言っても過言ではない。

 父が死んでから、おっちゃんはサムが問題を起こした時は一番にすっとんできてくれた。おかげで道を踏み外すことはなかった分、今でも頭が上がらない。

 

 おっちゃんの分厚い手がサムの肩を叩く。

「なあサム、あてがなけりゃ俺のところへ来い。サムなら大歓迎だぞ、ミミも喜ぶ」

 サムは軽く頷いてみせた。この話はこれで十回目だ。十一回目かもしれない。

 おっちゃんが本当に気にかけてくれているのはよくわかっていた。一人娘ミミに色目をつかう水兵を窓からぶん投げたのはつい先日のことだ。

 もしサムがミミの肩に手をまわそうものなら、おっちゃんははりきって孫の部屋を作るだろう。だからこそもあって、妥協はできなかった。

「やれるとこまでやりてえんだ。今あきらめたらきっと後悔する」

 サムのその言葉におっちゃんは仕方なげに、しかしどこか懐かしそうに笑んだ。

「ああ。サムのそういうところ、亡くなったお父さんにそっくりだ」

 

 小花たちがちらちらと緑に揺れる。なだらかな下り坂の小石を蹴りながら、サムは心地よい潮風を感じていた。この風も景色も、子供のころから変わらない。

 潮風を胸一杯にサムは先の自宅を見た。

 坂のくだった先、大きな木のある家がサムの家だ。サムの蹴った小石が荒れた芝生を越え、空っぽの犬小屋にはじかれる。ツタまみれのラティス(格子)を横目、建てつけの悪い玄関を押しあけた。

「ただいま……」

 庭の大きな木のせいか真昼間というのに薄暗く、墓場のようにひんやりとしている。リビングわきのテラスの窓際では、変わらぬ母親がぼんやり庭を見つめていた。

「これ、ミミから」

 サムは母親のそばのデスクに包みを置き、アルミホイルで丁寧に包まれたそれを皿に乗せる。

「たまには二人で飯を食えって……」

 サムはそれ以上言葉が続かなかった。棺桶に独り言を呟いているような気分まま、言葉尻がため息のように消える。それは落胆というより、諦めに近いため息だった。サムは首をかき、半ば逃げるようなかたちで静かにリビングをあとにしたのだった。

 

 いつも足が向かう先は、庭の倉庫だった。

 倉庫といっても家より巨大で、小さな工場ほどもある。父の遺したその倉庫は長年の年月から足元の木は腐り、添え木が悲鳴をあげ、木造の壁の隙間から海や庭先が覗けるようなオンボロだ。

 しかしその中は、SF映画に出てきそうな飛行盤(UFO)が新品同様に眠っていた。

 二階建ての倉庫に納まりきらないほどのそれは、日本人が見たらとてつもなくでかい最新型の炊飯器と思うだろう。しかしサムはこれが炊飯器でないことくらいは知っている。

 子供の頃に見た説明書で知ったことは、この巨大な飛行盤は世間に出まわっていない機密移動装置であるということだけだ。

 なぜ父がこんな代物を所持していたのか? 趣味にしては過ぎる構造の意図を、サムは掴めないでいる。

 だがそんなこと、思い出の前では些細なことだった。

 

 サムは父が座っていたであろう椅子に腰をおとし、小汚い机に身を伏せる。そして瞳を閉じた。そうすれば父が近くにいるようで、虚しさを紛らわすことができたのだ。肌身離さぬロケットペンダントを懐から取り出し、かたく握りしめる。

 

 情けなかった。こんな時、父さんならどんな言葉をかけてくれるだろう?

 遠い日々は霞んでしまったが、消えることはない。大きく優しい手のあたたかさは、今もこの胸にあるのだ。

 

 

 遠雷のような響きは、目覚めと共に踊り狂うような雨風となった。

 屋根のトタンが大きく吹っ飛ぶ音で目が覚めたサムは、踊り舞う説明書をおさえ天井を見上げた。ごうごうと風がうねり、今にも剥がれそうなトタン屋根の隙間から暗雲がのぞく。

「……嵐か!」

 ボロ小屋のトタンは我慢できずに次々空へと吸い込まれ、この世の終わりのような嵐雲があらわになる。ビー玉のような大粒の雨がばたばたと顔を洗い、サムは弾かれたように階段に飛びつき、二階に駆け上がった。

 このままでは、倉庫が水濡れになってしまう!

「サムーッ!」

 その声にサムは足元の金網を見た。正しくは、金網の隙間からこちらに叫ぶミミを。心配でかけつけたのだろう、カッパを着てるのにすっかり濡れ鼠だ。

「サム! 何してるの!? 早く家の中へ!」

「すぐ済む! 先に避難してろ!」

 サムは叫び、飛行盤を覆うためのビニールシートを棚から出した。次々とフックをかけ、手すりに固定する。

 しかし嵐はそれを許さなかった。金属製のフックは弾かれたようにぶっ飛び、ビニールシートがサムに襲いかかる。

 殴りつけるような暴風にバランスを崩した刹那、雨に足元をすくわれた。背の手すりはあっさり折れ、ビニールシートの隙間から暗雲が見える。

 地球の栓でも抜いたかのような空に、植木鉢や自転車が塵のように飲まれていくのが見えた。

「サム!!」

 ミミの絶叫が響く。

 サムが飛行盤に叩きつけられることはなかった。どういうわけか飛行盤の搭乗口が開き、緩衝材のある内装がミットのようにサムを受け止めたのだ。これまではラッキーだった。

 

 飛行盤の中に転がり落ちたサムは、半狂乱のミミの声に頭を振った。

 まず衝撃を緩和させる内装に感謝した。まったくの無傷だ。ミミの叫びに応えようと上半身を上げた瞬間、ふとコントロールパネルに目がいく。コントロールパネルは目覚めるように光を宿し始めていた。

 同時、ブーンという振動音が響き、真上の搭乗口が空をさえぎる。大嵐は一瞬にして無音となった。壁のパネルが蛍のように光を放つ。

「……お、おいおい、うそだろ?」

 サムは肝が一瞬で冷えた。どういうわけか飛行盤が起動し、どういうわけか今まさに飛び立つ準備を始めているのだ。

 立ち上がるためにサムが手をついたのは、操縦席だった。最悪なことに、肘置きのフライトボタンに指が乗っていたことにサムは気付かない。

 フライトボタンが青く点滅し、体勢を立て直す間もなく飛行盤は上下に揺れ、左右に振れ、それはもう盛大にシャッフルした。

 次にとんでもない重力が体を押さえつけ……パニックから我に返る時にはもう、飛行盤は宇宙に浮いていた。


「サム! サムーッ!」

 ミミの悲痛な叫び声は、空の彼方へと消えたサムに届くことはなかった。

 家から一部始終を見ていた母親は、転がるように家から飛び出した。大嵐とパニックによろつきながら、空に泣き叫ぶミミを抱きおさえる。二人ともそれ以上声にならなかった。

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