12:通信機
クリスは震える指で通信機のつまみを回し、それにあわせラジオのような雑音が響いた。
響いてすぐ、チャンネルが合ったようにブツリと繋がる。静かな間があった。
『あなた?』
耳慣れた声が通る。サムは言葉がでなかった。
『連絡がなかったから心配だったのよ、あの子も寂しがって』
「ああ、ナタリア」
クリスはケガを微塵とも悟られぬ声で通信機に囁いた。
「……愛しているよ、ナタリー。どうか幸せになるんだよ」
その声に、サムの心臓がどくんとはねた。そして瞬時に理解する。
自分は〔空間〕ではなく、〔時〕を超えていたのだと。
クリスが口元を覆う。咳き込むと同時、真っ赤な血がサムの腕に落ちた。通信機の向こうで小さな足音がきこえる。
『パパー! パパ! ぼくね、ピーマンたべれた! こわくないよぉーッ!』
その声にクリスは心底嬉しそうに目を細め笑んだ。
「すごいじゃないか、よくやったなあ! 偉いぞ、サム」
微笑み、唇をきゅっとつぐむ。涙が一筋流れ、クリスは静かなため息を吐いた。
「……いいか、サム。父さんと約束だ。これからは、お前が母さんを守るんだ。強く芯のある男になるんだぞ」
『うん! パパいつかえってくるの? ぼくね、今日ミミと……』
言葉尻に雑音が入り、通信機はブツリと切れた。
サムはハッとクリスを見た。クリスの目は虚ろで、もう何も映っていない。力が抜けるように、血まみれのマイクがクリスの指からすり抜ける。
今まさに、命が消えようとしている。サムは内臓が一気に引き抜かれたような感覚になった。
「うそだろ、……待て、死ぬな、まだ死ぬな!」
サムは懐からロケットペンダントを抜き、うつろなクリスに見せた。ロケットペンダントの光が、クリスの目に光を呼び起こす。
クリスは目覚めるようにサムを見た。
自分のものと同じロケットペンダントがきらりと揺れる。
「…………サム?」
クリスが雲を掴むかのように呟く。クリスも現状を理解した。サムは、目の前のサムは息子なのだと。
サムは喉に焼け石がつまったような感覚に息をのむ。のんで、自分に言い聞かせるようその名を呼んだ。
「……父、さん」
クリスのまぶたが震え、綻ぶように口元に笑顔が戻る。言葉はいらなかった。クリスは自身の目に焼き付けるように、サムを見た。そして父としての姿を見せるように、しっかりとした優しい笑顔をみせる。
「……なんて顔だ、泣き虫め……」
サムは賢明に笑顔をつくった。今にも消えそうな命の灯に涙が溢れる。熱い涙が頬を流れ、クリスの血まみれの手を濡らした。クリスの血が、サムの頬に残る。
「……本当に大きくなったなぁ、サム。ナタリーは……母さんは元気か……?」
微笑むその顔は、一人の父親としてのそれだった。
父の問いにサムは唇を噛み、こらえきれずに首を横に振る。それに父は承知に返事を待った。サムは喉の焼け石が大きくなるのを感じた。眼下が熱くなり、ようやく言葉がせきをきった。
「……父さんがいなくなってからずっと空っぽなんだ。俺、約束全然守れてない。空っぽの母さんがこわくて、全部変わって……」
サムは大きく息を吸い、続けた。
「帰ってきてほしかった、父さん。してほしいことも、したいこともたくさん、たくさんあったんだ。死んでほしくないんだ、嫌だよ、いなくならないで父さん……!」
二十年間、胸につかえていた言葉だった。吐きだすように出た言葉と溢れる涙に、父は震える手を伸ばし、いつかのように息子の頭をくしゃくしゃなでてやる。
「君は僕の息子だぞ、サム。ダメなことひとつあるもんか、泣き虫のサムがヤシログモをぶっ倒したんだ。大丈夫……なんだって、できるさ……」
その手が弱々しく落ちる。サムは目覚めたようにその手をとった。
「……父さん!」
クリスは優しく笑み、眠るようにそっと瞳を閉じた。
響くアラートの中、サムは父の遺体を抱きしめ、子供のように声をあげて泣いた。
涙で世界が洗われる。世界が淡く、どんどん白くなっていく。
泡が湧くような感覚に、サムは自分の体が透けていることに気付いた。〔戻る〕のだと理解したサムは、身が引き裂かれるかのような思いまま、涙をぬぐう。
(そうだ、戻る前に、俺に、……サムに会わないと)
サムは腕の中の父を撫で、血の痕を指でぬぐった。
「……父さん、ありがとう。父さんは俺の誇りだよ。約束、ちゃんと守るから」
父のロケットペンダントをそっと外したサムは、父の足首にまかれたハンカチをほどく。そしてそっと、本当にそっと寝かせ、静かに腕をぬいた。
景色がゆっくりと、真っ白に消えていく。
やがて霧が晴れるように、自宅の屋根が見えた。子どもの頃に死んだ愛犬が、空のサムに尻尾を振る。
地面に降りたサムは、まるで夢の中のような感覚まま玄関を見た。
まるで水中にいるような身動きで、インターホンを鳴らす。小さな足音がして、ガキの頃の自分が扉をあけた。
クリスが、父が愛した自慢の息子だ。幼いサムは大きな目で、目の前のイカツい男を見上げた。
「……おじさん、だれ?」
運命というやつは、時に人を試す。
どのような奇跡や偶然にも何らかの因果があり、先の不幸へと細い糸を紡いでいる事もある。たとえばそれが第三者による企図だったとしても、真実と事実の曖昧な境界線は越えてみないとわからないものだ。
ゆえに、時を越えてわかるものもある。確かな命のバトンが、世代を越えて受け継がれているということも。
抜けるような青空から降り立った飛行盤は、大嵐でブッ潰れた倉庫に静かに降り立った。
その様子に家から飛び出したミミが、泣きはらした目でサムに飛びつく。サムは応えるように抱きしめた。
「サム……! サム! 生きてた! うわああん!」
泣きじゃくるミミをかたく抱きしめたサムは、涙まみれの頬にキスをした。やさしい花の香りを胸いっぱいに、細い肩を抱く。
「……ただいま、ミミ」
ミミは迷子の子供のように大きな背にしがみつき、声をあげて泣いた。
「しっ心配したんだからッばか! ばかばか……!」
「もう二度と泣かさねぇ。俺の嫁さんになれ、ミミ」
はたと見合って、一瞬間があった。ミミはもっとわんわん泣きわめき、サムの頭を抱きしめる。
ふとサムの目にうつったのは、転がるように駆けよる母だった。その手のいつかのハンカチに、サムは目を伏せ母の肩を抱き寄せる。
「ただいま母さん。信じられねえだろうけど、父さんに会ったぜ。本当に立派な人だった」
唖然とする母に、いつかの父のような力強い笑みを見せる。
「話したいことが沢山あるんだ。二十年前のこと……父さんのこと」
言って、サムは空をあおいだ。その胸のロケットペンダントは、星のように煌めいていた。
- END -