11:デッキ
啖呵を切ったクリスは、巨大ヤシログモの背後にふとして、ぎょっとした。
巨大ヤシログモの背後の巣をよじ登る〔それ〕は、蜘蛛の糸をターザンにし、まだ孵化していない繭を踏み台にして、巨大ヤシログモの背に飛び降りたのだ。
我が目を疑ったクリスは、愕然と顎が外れる思いで〔それ〕に叫んだ。
「……ヒゲ男!?」
ヒゲ男こと、サム。
サムは巨大ヤシログモの背で体勢を立て直し、遠くのクリスを見た。予告するように、人さし指をさす。
「ハイそーですか、って置いてくわけねえだろバーカ!」
サムの光セイバーの出力が最大になる。
巨大ヤシログモが背のサムに気付いた時すでに遅し、サムは光セイバーを大きく振り上げ、巨大ヤシログモの背に突き立てた。噴き出す体液かまわず、そのまますべるように切り裂いていく。光セイバーの残光が月のように輝き、巨大ヤシログモの絶叫が響いた。
サムの勢いは止まることなく、真っ二つどころか四つ、六つ、八つと次々斬り飛ばす。空中で見事きれいにバラバラになる巨大ヤシログモに、あたりのヤシログモが恐怖に我を忘れ、こと切れては吹き抜けの底へ落ちていった。
蜘蛛の巣から足を踏み外したら一貫の終わり、それはサムも承知だった。それでも現場の足回りよりはずっと安定している。
サムのまさかの不意打ちは大成功だった。
「オラ! これで終わりだ、二度と面見せんじゃねえぞ!」
サムは高々に吠え、巨大ヤシログモの頭に光セイバーを斬り上げた。最後の一刀に断末魔は煙のように溶けていく。
クリスは膝をつき、茫然まま小さくふきだした。
「本当に……めちゃくちゃだな、君ってやつは……」
木の葉のように落ちる繭やヤシログモをよけながら、サムはクリスの足元に張られた糸ですべり降りる。
流れるようにクリスの前に降り立ち、しっかりと親指を立てた。
クリスが泣き出しそうな笑顔で親指を立てかえし、二人ともバカ笑いに抱擁を交わした。
「どうだ、渋いだろ! ガハハハハ!」
「ああもう最高だ! 君ってやつは本当に、痛快にすごい奴だよ!」
一方、避難所では伍長達が銃を手に、バリケードを越えたヤシログモ達との戦闘真っ只中にあった。
突如ヤシログモ達が糸が切れたように動かなくなり、毒でもくらったかのように次々とこと切れていく。
皆が息を呑み。怖々と銃を下ろした。
「……やったのか?」
ヘンリーが静かに言って、くたばったヤシログモに湧くように笑みがこぼれる。
「……や、やったぞ皆! クリスが、あの三人がやったんだ!」
われるような歓声があがり、喜び安堵に抱き合う者や泣きだす者たちの中、伍長は綻ぶように笑みをこぼしたのだった。
「……これでよし」
クリスの手際はなかなかのものだった。ハンカチで手早く止血し、少しよろめき立ちあがる。
「行こう。本部が君を知ったら就職ひっぱりだこだぞ」
そう言って、二、三歩進んでよろついた。その腕を掴んだサムが肩をかす。
「そりゃありがてえな。でももうこんなのはこりごりだぜ」
それにクリスが「同感だ」と歯を見せ笑み返した。
大広間を抜けた先、二人はようやくデッキに到着した。
デッキは大きなガラスでぐるりと宇宙が見渡せる構造だった。地球はどこかと思ったが、宇宙は星一つないように見える。
そのため薄暗く、壁も天井も真っ黒だが、コントロールパネルは希望の星のように輝いていた。
青く輝く制御装置の一つをクリスが指差す。
「あれだ。あそこのレバーで救難信号を……」
それは、突然のことだった。一発銃声が響き、クリスの体に衝撃が走る。力なく肩をすりぬけた腕を掴みそこねたサムが、床に倒れるその背の銃痕に振り返った。
逆光にそいつはいた。
ふんわりとした肩までの髪、人畜無害そうな女が無表情に銃を下ろす。その背から、大きな蜘蛛の足が広がっていた。
そうとも。どこかおかしいのはうすうす感じていた。最初からさりげなく邪魔ばかりするそいつが、まさかヤシログモに寄生されているなんて誰が思うだろう。
かつてそいつは言った。〔同僚は目の前で襲われ、繭にされた〕と。その間、そいつは一体何をしていたんだ?
「エイミー……!」
サムは噛みつぶすようにそいつの名を口にした。クリスの血が床に広がる。
「残念、コアは私」
エイミーだったそれは、一歩踏み入り続けた。
「知能はそこそこある? ええそうね、ヒトの脳と繋がって気付いたの。ヒトに寄生した状態なら、子を成せると」
コアは恐ろしいほど蒼白だ。その目と口からは目に痛いほどの鮮血が流れ、胸元を赤く染める。
「避難所で交尾したのだけど、なかなか受精しなかったわ。オスの体でメスに卵を注入していく方が効率がいいわね」
サムはかまわず足元のクリスにひざまずいていた。赤い血に膝が熱くなる。
「おい、起きろクリス! 目を開けろ!」
イヤミをいう生意気な顔が、家族を語る笑みが、一人で巨大ヤシログモに立ち向かう勇士が今、消えようとしている。
サムは否定するように首を振った。振ってクリスの肩を揺らし、ぬるりとした熱い感触に手を見る。血まみれの両の手をかたく握りしめ、歯を食いしばりクリスの背に頭をついた。
「くそったれ……!」
「あなたの体に鞍替えするわ。死んでちょうだい」
コアが歌うように囁く。もはや人としての声帯は失せ、音のような虫独特の声色へと変貌していた。操り人形のように銃口を上げたコアは、サムにむかって引き金を引こうとしていた。
「……けか」
サムが呟き、歯をかたく食いしばり腹の底から怒号をあげた。
「言う事はそれだけか!!」
光セイバーを抜いたサムは、大きく踏み出しコアに飛びかかった。閃光がコアの首を一文字に切り落とし、エイミーの首が勢いよくクリスのわきへ転がる。
コアはひるむことなく、光セイバーの先を握り潰した。紙のようにつぶれた先端から光が消えるも、サムが屈することはなかった。
それでもコアのとんでもない力に、サムが歯を食いしばる。刃物のようなコアの脚が掌に食い込み、血が流れた。
「エイミーは私に食われる間、クリスの名前を叫んでいたわ」
コアは甘い声でささやいた。
「あなたは誰の名前を聞かせてくれるのかしら?」
床に伏せるクリスは、意識を噛んで薄眼を開けた。目前のエイミーの生首に目覚め、苦しげに頭を上げる。背からヤシログモを生やしたエイミーを見て、心内「くそったれ」と舌打ちした。
(僕のせいだ。彼女がヤシログモに寄生されていると見破れなかった)
ばかみたいに震える手で血まみれの腰元を探り、光セイバーを握りしめる。
「……ヒゲ男!」
クリスが声を振り絞り、光セイバーを投げた。サムが驚きままにコアの手を払い、血まみれの光セイバーをキャッチする。とたん目もくらむような閃光がほとばしり、血が蒸発した。
手放したコアの脚がサムに届く事はなかった。ゲロのような体液が床に落ち、真っ二つになったコアの体が崩れ落ちる。ずるりとサムの懐から落ちたコアは、死の痙攣に苦しみもだえ、ぷつりと糸が切れたように事切れた。
「くそったれ、地獄で耳をすませてろ」
サムは大きく息をつき、よろめきつつクリスにかけよる。
「クリス、終わったぞ、おい、しっかりしろ、目を開けろ!」
その声にクリスが大きく咳き込み、薄眼を開けた。
「……僕より先に……ッ救難信号を出せよ、バカ髭ッ……」
サムは慌てて中央のコンソールに飛びつき、制御装置のレバーを掴む。レバーは硬く、掌の傷が切り刻まれるかのように痛んだが、かまわず救難信号を起動させた。
赤いライトがアラートをたて、あたりに大きく鳴り響く。
クリスはその光に安堵した。手足が氷のように冷たいのがわかる。寒さに体が小さく震えていた。
それでも自分の血は熱いほどで、まるで羊水にどんどん沈んでいくような、穏やかな感覚があった。
アラート音が水中のように籠り、どんどん遠くなる。その中でハッキリとサムの声が通り、あらゆる感覚が目覚めるようによみがえった。
通るのも納得だった。サムが声を張り上げ肩を揺らしていたのだ。
「寝るなクリス! 家族が待ってんだろうが!」
クリスは小さく頷き、命乞いのようにサムの袖を掴んだ。
「……僕を、そこの通信機へ運んでくれ……妻と息子の声がききたい」
それにサムが頷き、そっとクリスを抱き上げる。クリスが激痛に声をあげ、血を吐き身をよじった。
「おい、大丈夫か」
「いいから……ッ早く」
クリスを抱き上げる両腕は血まみれだ。そのまま通信機のそばに屈み、通信機を寄せる。クリスは震える手で懐から一つのペンダントを取り出した。
チェーンの先に輝くロケットに、サムが目を大きく見開く。
それは今まさにサムがつけているロケットペンダントと、まったく同じものだった。