10:コア
三人は宇宙船を駆け抜ける。目指すはデッキ、本部に救難信号を出すために。
瓦礫を飛び越え乗り越え回り道、次々と襲いかかるヤシログモをぶった切っていく。
そうして進むことしばらく、サムはエリアが変わったことに気付いた。船内はたとえるならデパートの構造に似ていた。テナントがありそうなスペースは様々な機械や実験装置がひしめいていたが、いずれも例のごとく破壊潰され、無残な瓦礫と化している。柱の一部は崩され骨組みがみえていたし、壁や床にも大きな穴があいていた。
そして、ヤシログモ。
クリスがすっかりまいったのが、うごめく繭を切った際に、コブシほどの小さな蜘蛛が無数にあふれ出た時だった。まるで下手糞なダンスのごとく踏み潰しまくり、その後もしばらくその感覚が足裏に残っている。
凹むクリスを笑ったサムだったが、角を曲がった際に出くわしたヤシログモを足首まで思いきり踏みつぶして悲鳴をあげた。
「だあああ! くそったれ!」
安全靴のため体液が染み込む事はなかったが、粘つく白濁色の体液がまるでアレのようで胸糞悪い。
クリスはその様子をゲロを吐きそうな目で見ていた。
「君はまだいいだろ……、僕なんかヤシログモの赤ちゃんをぶちぶち踏みつぶしたんだぞ……」
グロッキーなクリスを横目、サムがちらと背後に振り返る。少し離れたエイミーは参戦するわけでもなく、ただ黙ってついてくるだけだ。その目はサムが踏み潰したヤシログモにあった。顔色は芳しくないようだった。
デッキに近づくにつれ、どういうわけかヤシログモの死体がちらほら目につくようになっていた。
「光セイバーの調整がしたい。ここいらで休憩しないか?」
サムの提案にクリスは二つ返事で快諾した。ちょうどいいスペースを決め、ようやっと荷を下ろす。
クリスもヤシログモの様子が気になっていたようで、転がった死体を調査し始めた。サムはそんなクリス横目、光セイバーの調整をはじめたのだった。
「さっきからちらほらヤシログモの死体が転がってるよな」
それとないサムの問いに、クリスがしっかりと頷く。
「気付いたか、ヒゲ男。おそらくアポトーシスの誘導だ」
「なんだそりゃ? 俺にもわかるように説明してくれ」
クリスは床に転がった椅子を立て直し、サムの対面に腰かけた。
「……まず、ヤシログモはヒト細胞と組み合わせた生物兵器だ。ヒトの背に張り付いて寄生するための脳脊髄がある。つまり、知能はそこそこある。ここまではわかるな」
「ああ。なんでまたそんな生物兵器をこしらえたんだか……おっかねえ話だ」
クリスは空しさとやりきれなさとの入り混じった面持ちで、静かに頷いた。
「ヤシログモは実験段階のため、生殖能力は取り除かれている。その上で一匹のコアをベースに量産しているから、コアが死ねば繁殖できない。単為生殖は可能だがいずれも弱く、大きくなる前に死ぬよう設計されている。繁殖不可能な閉所、……この現状を理解できるほどの知能があるなら、生命体としてかなりのストレスのはずだ」
離れていたエイミーが、そそとクリスの傍に腰かけた。膝を三角に抱きかかえ、息を呑んでクリスを見上げる。
クリスは担ぐように、背後のヤシログモの死体に親指をさした。
「外傷がなく死んでいる個体……この状況は、自殺スイッチによるものだろう。死を感じるほどの危険や恐怖を感じたら、それ以上苦しまないよう自らショック死するんだ。ヤシログモは脳脊髄のある生物兵器だが、本来は捕食される側の小さな存在だった。そんなヤシログモにとって、僕たちはかなりの脅威だろうな」
サムはそれはもう大きく頷いた。
「なるほどな! もうちょいかいつまんでくれ」
クリスが呆れを通り越した拍子抜けまま、サムに目を眇めた。
「……つまり〔コアが死ねば、すべての個体が絶命する〕ということだ。わかったかバカヒゲ」
光セイバーの調整を終えたサムは、それはもうしっかりと頷いた。
「OK。で、そのコアは?」
ちょっと間があった。クリスはちょっと考えたが、お手上げに小さなため息を一つ。
「それがわかれば苦労はしない。見る限り大きさにも個体差があるし、コアがどう変異しているかは見てみない限りわからないな」
「てことは、これまで通りじゃんじゃんブッ殺せばいいってわけか」
身も蓋もない言い草だが、実のところそうだった。調整が終わった光セイバーを受け取ったクリスは、やるかたなく頷いたのだった。
準備を整えたところで、エイミーがそそとクリスの袖を引く。
「どうしたエイミー」
エイミーは恥ずかしげに膝をすりあわせ、上目遣いでクリスを見た。
「ごめんなさい、おトイレに行きたくて……。一人はこわいわ、お願い、クリス……」
うるんだ瞳に切なく頬を染める様子に、サムは思わずグッときた。ちらとクリスを見るも、クリスはどうということない面でエイミーを見下ろす。
「そこの物陰ですませるといい。ヤシログモが来ないよう、僕たちが見張っている」
安定のクリスに、サムはちょっと安心した。クリスは一発抜いたあとなのかと思うほど冷静沈着だからだ。同時、食事の前にきっちり神に祈りを捧げるタイプだなとも思った。
そんなクリスにエイミーは歯がゆげに、しぼむように物陰へ花を摘みに向かったのだった。
クリスは溜息一つメガネを外し、目がしらを揉む。サムは声を潜ませクリスに耳打ちした。
「……実は昨夜、誘われたんだよ」
「君もか」
まさかの返答にサムは目を丸くしてクリスを見た。
「マジかよ。ヤッた?」
クリスは眼鏡をはめなおし、じろりとサムを見上げる。
「あのな、冗談でも笑えないぞ。僕には妻子がいるし、子をなす以外での性交渉や不貞行為は悪だ」
安定のクリスにサムはアホみたいにうんうん頷いた。感心の頷きだったが、クリスは不服に鼻息一つ腕を組む。
「……エイミーはあんな人じゃなかったんだがな。少なくとも、人の物を隠すような人じゃなかった。極限状態は人柄も変わる、彼女も限界なんだろう」
★
「もうすぐ中央大広間だ」
クリスは言って、先を指さした。
「大広間のエレベーター奥がデッキだ。もうすぐだぞ」
薄暗く長い廊下を抜けると、巨大な吹き抜けの大広間に出た。
壁は各階がぐるりと見渡せるデザインで、下の階は合わせ鏡のように底なしだった。どんな生粋のバンジージャンプ狂も、ここからのダイブはごめんこうむるだろう。
一望したのも一瞬だった。一同視線そのままに一歩二歩後ずさり、そっと踵をかえす。物陰に隠れたサム達は見合わせた。
「(……おい、あれ見たかよ!)」
サムの囁きに皆頷いた。その視線の先は、吹き抜けの天井にあった。これまでの体験がなければ確実に肝を潰していたに違いない。
大広間の天井は蜘蛛の巣まみれで、その中央におよそ大型トラックほどもありそうな巨大なヤシログモが眠っていたのだ。
三人は身をよせ、クリスが声をひそませた。
「おそらくあれがコアだ。幸いこちらに気付いていないようだ、死角を進もう。もし見つかったら……」
クリスは一呼吸置き、二人を見た。
「もし見つかったら、みんな散り散りにデッキを目指すんだ。いいな」
それにサムとエイミーは頷き、一行は巨大ヤシログモの死角になるよう、フロアの陰を慎重に進んだのだった。
サムは横目、まるでぶどうのようにぶら下がる無数の繭に目を細めた。例のように中に人間が入っている。クリスのように家族が待つ者もたくさんいただろう。その無念を思うと胸が痛くなった。
「きゃあッ!」
突如銃声が響き、前方のクリスが膝をつく。サムは驚きに振り返ってエイミーを見た。
エイミーは、しまったという顔でとっさに立ちあがる。サムはまるで金槌で頭を殴られた気分になった。エイミーがずっこけたひょうしに引き金をひいてしまったのだ!
苦痛に足首を押さえるクリスの指の隙間から血が流れている。サムは反射的に巨大ヤシログモを見上げた。とたん血の気が引いた。
巨大ヤシログモが銃声に目覚めたようにぱっくり赤い目を開き、ぎょろりとこちらを見る。数ある目は充血し血走った人間の目そのものだ。漆黒の刃のような口が開く。
地響と悲鳴をぐちゃぐちゃにしたようなその咆哮に、クリスが叫んだ。
「行け! デッキはすぐそこだ!」
エイミーはサイレンのような悲鳴をあげ、デッキと真逆方向へ逃げて行く。サムはその背中に舌打ちした。
巨大ヤシログモは鎌を振り下ろすように脚を上下させ、おぞましい速さで二人に向かっている。
咆哮が響く中、サムがクリスの腕を引いた。
「おい、立てるか?! ここは不利だ、一旦引くぞ!」
クリスは首を横に振って、サムの手を払った。
「僕が囮になる、君はデッキへ!」
くそったれ! サムが苦渋に奥歯を噛む。手負いのクリスはとても走れそうにない。かといって肩をかす間も無い。置いていく他なかった。
「……ああ、言われなくてもそうするぜ!」
サムは言って、クリスを置いて一目散にデッキに猛ダッシュした。その背を見送ったクリスが巨大ヤシログモと睨みあう。
咆哮はため息のように消え、それが合図かのように繭が次々と孵化していく。まるで地獄絵図だ。
なんとか立ち上がったクリスが、腹の底から声を張り上げた。
「こっちだヤシログモ! 僕を倒してみろ!」
呼応するかのように巨大ヤシログモの口が開き、大量の糸を吹き飛ばす。
クリスの光セイバーが闇を払うように焼き飛ばし、互いに大きくにらみ合った。孵化したヤシログモたちが雲霞のごとくクリスを目指し、先の糸に乗った巨大ヤシログモが滑るように向かってくる。
クリスはサムライのように光セイバーを構えた。
「……ごめんな、ナタリア、サム」
クリスは祈るように呟き、威嚇するように光セイバーで空を切りかまえた。
「来い! 仲間の仇をとってやる!」